トレイ・ムーア
テンプレート:Infobox baseball player トレイ・ムーア(Warren Neal "Trey" Moore III[1], 1972年10月2日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
テキサスA&M大学時代は投手だけでなく一塁手としても出場することがあった。1994年のMLBドラフト2巡目でシアトル・マリナーズに指名されて契約。テンプレート:By、モントリオール・エクスポズでメジャー初昇格。テンプレート:By、アトランタ・ブレーブスに移籍。
テンプレート:By、阪神タイガースに入団。先発ローテーションの一角として2年連続で10勝を挙げたものの、夏場以降にスタミナ不足で調子を落とすのが難点であり、二軍投手コーチの葛西稔との確執もあって、2003年オフに阪神を退団した。
テンプレート:By、2年連続二桁勝利の実績を買われ、投手陣が弱点だったオリックス・ブルーウェーブに移籍。この年6勝を挙げたが防御率は6点台と不振で、同年限りで解雇された。
現役引退後は地元テキサスで野球教室のコーチとしてピッチングとバッティングを教えている。
プレースタイル
日本では打撃が非常にいい投手として注目されており、当時評論家だった田尾安志は「フォームにムダがない」と褒めた程。自身も「ピッチングは教えられないがバッティングなら教えられる」と豪語していた。実際に、ムーアの前を打つ8番打者の藤本敦士が犠牲バントで走者を進めた後にタイムリーヒットを放ったり、投手では珍しい三塁打も記録するなど打撃でも活躍した。2アウトで走者がいた際でも、8番打者の藤本や秀太が敬遠されることはなかった。また、試合中盤でリードされている場面でも、そのまま打席に入り、直後の回の頭から投手交代したこともある。しかし元々打席数が少ない上、本拠地が広い阪神甲子園球場であったこともあり、本塁打を打つことはなかった。
2003年のオールスターゲームのファン投票では一塁手代表として多くの票が集まり、一塁手部門3位に入った。ただし、これに関して当時監督の星野仙一は「本来の一塁手に対して失礼だ」と述べている。
テンプレート:By5月17日の対巨人戦(甲子園)では、木佐貫洋から唯一の得点となる決勝適時打を三遊間に放っている。同年のダイエーとの日本シリーズ第3戦では、和田毅からチーム初安打を打った。またヘッドスライディングをするなど、走塁面でも注目された。
オリックス時代は打撃を生かすために野手として出場するという案も出されたが、監督の伊原春樹曰く「野手に失礼」ということで見送られた。
本来の投手としてはオーバースロー、スリークォーター、サイドスローと投球ごとに腕の角度が変わる投法で相手打者を混乱させ、決め球のスライダーはSSS(スーパー・シークレット・スライダー)と呼ばれた。
人物
ヘルメットには当て字で「夢亜」と書かれており、他の投手が打席に立つ際に、安打や犠打を決めたい時はゲン担ぎでムーアのヘルメットを被ることがあった。2003年5月6日の対中日戦で井川慶がスクイズプレイを決めた時も、ムーアのヘルメットを被っていた。なお、「夢亜」というのは星野がサインを書く際に「夢」と書き添えるのを知り、この字の意味を尋ねたところ「Dream」であることを聞いて気に入り、使用するようになったものである。後に自らもサインに書くようになった。
ヒーローインタビューでお立ち台に上がったとき、かつてトーマス・オマリーが語っていた「阪神ファンハ、一番ヤーッ!!」を引用し、「タイガースファンハ、一番ヤーッ!!」と、ファンに向って雄叫びをしていた。
阪神時代は独特の髭とスキンヘッドが印象的な選手として知られ、トラッキーがムーアのヒーローインタビュー時に付け髭をつけて登場したこともあった。オリックス移籍後の2004年に髭を剃った。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | MON | 13 | 11 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | -- | .286 | 277 | 61.0 | 78 | 5 | 17 | 3 | 1 | 35 | 2 | 0 | 37 | 34 | 5.02 | 1.56 |
テンプレート:By2 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | .167 | 178 | 35.1 | 55 | 7 | 21 | 1 | 4 | 24 | 1 | 1 | 31 | 26 | 6.62 | 2.15 | |
テンプレート:By2 | ATL | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 21 | 4.0 | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 5 | 5 | 11.25 | 2.25 |
テンプレート:By2 | 阪神 | 27 | 27 | 4 | 2 | 0 | 10 | 11 | 0 | -- | .476 | 760 | 181.1 | 165 | 19 | 60 | 2 | 7 | 116 | 7 | 0 | 76 | 67 | 3.33 | 1.24 |
テンプレート:By2 | 21 | 20 | 1 | 1 | 0 | 10 | 6 | 0 | -- | .625 | 493 | 111.2 | 122 | 7 | 39 | 1 | 5 | 94 | 3 | 0 | 59 | 54 | 4.35 | 1.44 | |
テンプレート:By2 | オリックス | 16 | 16 | 1 | 0 | 0 | 6 | 6 | 0 | -- | .500 | 409 | 83.2 | 105 | 12 | 57 | 1 | 8 | 63 | 4 | 0 | 68 | 58 | 6.24 | 1.94 |
MLB:3年 | 23 | 19 | 0 | 0 | 0 | 3 | 10 | 0 | 0 | .231 | 476 | 100.1 | 140 | 12 | 40 | 4 | 5 | 60 | 4 | 1 | 73 | 65 | 5.83 | 1.79 | |
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NPB:3年 | 64 | 63 | 6 | 3 | 0 | 26 | 23 | 0 | -- | .531 | 1662 | 376.2 | 392 | 38 | 156 | 4 | 20 | 273 | 14 | 0 | 203 | 179 | 4.28 | 1.45 |
通算打撃成績
- MLB
- 23試合、打率.231、26打数6安打0打点
- NPB
- 48試合、打率.295、105打数31安打11打点
- ※試合数は打席に立たなかったオリックス時代を除く
記録
- MLB投手記録
- 初登板・初先発:1998年4月5日、対シカゴ・カブス3回戦(リグレー・フィールド)、3回2/3を4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回裏にホセ・ヘルナンデスから空振り三振
- 初勝利:1998年4月15日、対ミルウォーキー・ブルワーズ4回戦(オリンピック・スタジアム)、6回2失点
- NPB投手記録
- 初登板・初先発・初勝利:2002年3月30日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、6回1失点
- 初奪三振:同上、1回裏に二岡智宏から空振り三振
- 初完投勝利:2002年4月6日、対ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、9回1失点
- 初完封勝利:2002年5月25日、対中日ドラゴンズ9回戦(ナゴヤドーム)
- NPB打撃記録
- 初打席・初安打:2002年3月30日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、3回表に工藤公康から右前安打
- 初打点:2002年4月20日、対読売ジャイアンツ4回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に西山一宇から右前適時打
- NPBその他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2002年)
背番号
- 29 (1998年)
- 50 (2001年)
- 17 (2002年 - 2003年)
- 49 (2004年)