ダリル・ホール&ジョン・オーツ
テンプレート:Infobox Musician ダリル・ホール&ジョン・オーツ(英語:Daryl Hall & John Oates)は、アメリカのブルー・アイド・ソウルのデュオである。ダリル・ホールと、ジョン・オーツの2人組で、1972年にデビューした。
目次
概要
1970年代中盤に「サラ・スマイル」が全米ヒットとなり、その後も「リッチ・ガール」「イッツ・ア・ラーフ」「ウェイト・フォー・ミー」などヒットを連発した。。1980年代以降も、R&Bやソウルのテイストを取り入れたポップスで人気を博した。彼らは、ブルー・アイド・ソウルと呼ばれるジャンルで最も成功したアーティストの一つである。1985年に行なわれたライヴエイドに出演。長年憧れ、また友人でもあった元テンプテーションズのエディ・ケンドリックス、デヴィッド・ラフィンと共演している。その後、1991年に活動停止したが、1995年に活動再開を果たした。現在は互いにプロデューサーとしても精力的に活動を続けており、日本での人気が特に高い。ホール・アンド・オーツの略称でも知られる。ちなみに、ベストヒットUSA最多登場の二人でもある。また、全米トップ10入りした楽曲(16曲)の内半数(7曲)はダリルの元恋人であるサラ・アレンとその妹ジャンナ・アレン(1993年に白血病で亡くなっている)との共作である。
2014年にロックの殿堂入りを果たした。
メンバー
ダリル・ホール(Daryl Hall 、1948年10月11日 - 右上写真左)
- 本名はダリル・フランクリン・ホール(Daryl Franklin Hohl)。長い間、公私共にサラ・アレンと暮らしていた。
- ペンシルベニア州モントゴメリー・ポッツタウン(フィラデルフィア近郊)生まれ、ボーカル、キーボード担当。
- ドイツ系アメリカ人で、ペンシルベニア・ダッチの血も受け継ぐ。
- 子供の頃は読書好きで空想好き、スポーツが苦手な少年だった。
- 1965年、テンプル大学の入学式で、ジョン・オーツと知り合う。
- 1994 FIFAワールドカップの公式テーマ曲を歌った。
- 2005年、野生動物等に寄生するダニから感染するライム病により一時ライブをキャンセルするなどしたが、現在では完治した模様。
ジョン・オーツ(John Oates 、1949年4月7日 - 右上写真右)
- 本名はジョン・ウィリアム・オーツ(John William Oates)。80年代に結婚、その後離婚したが現在では再婚して一児(息子タナー)をもうけ、コロラド州アスペンで生活している。
- ニューヨーク生まれ、ボーカル、ギター担当。
- 父方の祖父はイギリス人、祖母はスペイン人とモロッコ人の血を引くムーア人。母方の祖父母はイタリア人。
- 中学・高校時代からバンドを結成して活動。
- スポーツは万能で、テンプル大学にはレスリングで奨学金を得て入学。
- 1987年にはIcehouseの代表曲Electric Blue(全米7位)を、ヴォーカルのアイヴァ・デイヴィスと共作。ジョン・オーツ自身もコーラスで参加。
代表曲
ダリル・ホール&ジョン・オーツ
- Sara Smile:サラ・スマイル(1976年、全米第4位)
- She's Gone:シーズ・ゴーン(追憶のメロディ)(1972年の作品。1976年再発売、全米第6位)
- Rich Girl:リッチ・ガール(1977年3月26日付〜4月2日付、2週連続全米No.1)
- It's a Laugh:イッツ・ア・ラーフ(1978年)
- Wait for Me:ウェイト・フォー・ミー(1980年)
- You've Lost That Lovin' Feeling:ふられた気持ち(1981年、ブルーアイド・ソウルの大先輩、ライチャス・ブラザーズのヒット曲をカバー)
- Kiss on My List:キッス・オン・マイ・リスト(1981年4月11日付〜4月25日付、3週連続全米No.1、同年年間第7位。様々なコンピレーションCDに収録される際、ラヴソングとして扱われる事が多い。ところが実際はアンチ・ラヴソングである。ダリル・ホール自身、「君のキスは最高に素敵な物の一つとしてリストに載っているけど、唯一無二ではない。そういう歌だからね。みんなは『君を愛している。君がいなければ僕は死んでしまう』という内容の歌だと思っているけど、本当はその正反対なのさ」と語っている。)
- You Make My Dreams:ユー・メイク・マイ・ドリームス(1981年、全米第5位)
- Everytime You Go Away:エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ(1981年、アルバム・モダン・ヴォイスに収録。1985年にイギリスの歌手、ポール・ヤングがカバーし、同年7月27日付のチャートで全米No.1を獲得している。)
- Private Eyes:プライベート・アイズ(1981年11月7日付〜11月14日付、2週連続全米No.1)
- I Can't Go For That (No Can Do):アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット(1982年1月30日付、全米No.1。オリビア・ニュートン=ジョンの「フィジカル」(1980年代、アメリカで最も売れたシングル)の連続No.1を10週で止めたが、これによりフォリナーの「ガール・ライク・ユー」が10週連続全米第2位に泣かされる事になった。なお、「フィジカル」の前にNo.1だった曲は Private Eyes 。)
- Did It in a Minute:ディド・イット・イン・ア・ミニット(1982年、全米第9位)
- Maneater:マンイーター(1982年12月18日付〜1983年1月8日付、4週連続全米No.1、1983年年間第7位)
- One on One:ワン・オン・ワン(1983年、全米第7位)
- Family Man:ファミリー・マン(1983年、全米第6位。マイク・オールドフィールドのカバー)
- Say It Isn't So:セイ・イット・イズント・ソー(1983年12月17日付〜1984年1月7日付、4週連続全米第2位。ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソンの「 SAY,SAY,SAY 」に全米No.1を阻まれた。)
- Adult Education:アダルト・エデュケイション(1984年、全米第8位)
- Out of Touch:アウト・オブ・タッチ(1984年12月8日付〜12月15日付、2週連続全米No.1、1985年年間第6位。現在の所、2人にとって最後の全米No.1)
- Method of Modern Love:メソッド・オブ・モダン・オブ・ラヴ(1985年、全米第5位)
- Everything Your Heart Desires:エヴリシング・ユア・ハート・デザイアーズ:(1988年、全米第3位。現在、2人にとって最後のビルボード・ポップチャートTOP10ランクイン楽曲)
ダリル・ホール
注。チャート順位は全てビルボードを参照している。
ディスコグラフィ
アルバム
- 『Whole Oats』:ホール・オーツ(1972年、whole Oatsとは、未精白のカラスムギ)
- 『Abandoned Luncheonette』:アバンダンド・ランチョネット(1973年、全米第33位。アリフ・マーディンによるプロデュース。)
- 『War Babies』:ウォー・ベイビーズ(1974年、全米第86位。トッド・ラングレンがプロデュース。)
- 『Daryl Hall & John Oates』:サラ・スマイル(1975年、全米第17位)
- 『No Goodbyes』:サヨナラはいわないで(1976年、全米第92位)
- 『Bigger Than Both of Us』:ロックン・ソウル(1976年、全米第13位)
- 『Beginning』:ビギニングス(1976年)
- 『Beauty on a Back Street』:裏通りの魔女(1977年、全米第30位)
- 『Live time』:ライブタイム(1978年、全米第42位)
- 『Along the Red Ledge』:赤い断層(1978年、全米第27位。デヴィッド・フォスターによるプロデュース。)
- 『X-Static』:モダン・ポップ(1979年、全米第33位。前作同様デヴィッド・フォスターによるプロデュース。)
- 『Voices』:モダン・ヴォイス(1980年、全米第17位。1981年年間第8位。初のセルフプロデュース&ミリオンセラーアルバム。)
- 『Private Eyes』:プライベート・アイズ(1981年、全米第5位。初のプラチナ・ディスク)
- 『H2O』:H2O(1982年、1983年1月15日付〜4月16日付、15週連続全米3位、同年年間第4位、プラチナ・アルバム。この二人にとって最大の売り上げを記録したアルバムである。)
- 『Rock'n Soul Part1』:フロム・A・トゥ・ONE(1983年、全米第7位)
- 『Big Bam Boom』:ビッグ・バン・ブーム(1984年、全米第5位)
- 『Live at the Apollo』:ライヴ・アット・ジ・アポロ(1985年、全米第21位。この中で、ボブ・クリアマウンテン、元テンプテーションズのデヴィッド・ラフィン、エディ・ケンドリックスと共演を果たしている。)
- 『Ooh Yeah!』:OohYeah!(1988年、全米第24位)
- 『Change of Season』:チェンジ・オブ・シーズン(1990年、全米第60位)
- 『Marigold Sky』:マリゴールド・スカイ(1997年、全米第95位)
- 『Do It for Love』:ドゥ・イット・フォー・ラヴ(2003年、全米第77位。タイトル曲がビルボード・アダルトコンテンポラリーチャートで一位に。)
- 『Our Kind of Soul』(アワ・カインド・オブ・ソウル)2004年(全米第69位)
- 『Ultimate Daryl Hall & John Oates』(アルティメット・ダリル・ホール&ジョン・オーツ)2004年(全米第63位)
- 『Home for Christmas』(ホーム・フォー・クリスマス)2006年
シングル(全米チャート・イン曲)
(出典:ビルボード) 1972年
- She's Gone (全米第60位)
1976年
- Sara Smile (全米第4位)
- She's Gone (全米第7位)
- Do What You Want, Be What You Are (全米第39位)
1977年
- Rich Girl (全米第1位)
- Back Together Again (全米第28位)
- It's Uncanny (全米第80位)
- Why Do Lovers (Break Each Other's Heart?)(全米第73位)
1978年
- It's a Laugh (全米第20位)
- I Don't Wanna Lose You (全米第42位)
1979年
- Wait for Me (全米第18位)
1980年
- Who Said the World Was Fair (全米第110位)
- How Does It Feel to Be Back (全米第30位)
- You've Lost That Lovin' Feelin' (全米第12位)
1981年
- Kiss on My List (全米第1位)
- You Make My Dreams (全米第5位)
- Private Eyes (全米第1位)
- I Can't Go for That (No Can Do) (全米第1位)
1982年
- Did It in a Minute (全米第9位)
- Your Imagination (全米第33位)
- Maneater (全米第1位)
1983年
- One on One (全米第7位)
- Family Man (全米第6位)
- Say It Isn't So (全米第2位)
1984年
- Adult Education (全米第8位)
- Out of Touch (全米第1位)
- Method of Modern Love (全米第5位)
1985年
- Some Things are Better Left Unsaid (全米第18位)
- Possession Obssession (全米第30位)
- The Way You Do the Things You Do/My Girl with David Ruffin & Eddie Kendricks(全米第20位)
1988年
- Everything Your Heart Desire (全米第3位)
- Missed Opportunity (全米第29位)
- Downtown Life (全米第31位)
1990年
- So Close (全米第11位)
1991年
- Don't Hold Back Your Love (全米第41位)
2004年
- I'll Be Around (全米第97位)
ダリル・ホール
- 『Sacred Songs』:セイクレッド・ソングス(1980年)※ロバート・フリップとの合作。
- 『Three Hearts in the Happy Ending Machine』:ドリームタイム(1986年)
- 『Soul Alone』:ソウル・アローン(1993年)
- 『Can't Stop Dreaming』:キャント・ストップ・ドリーミング(1996年)
- 『Laughing Down Crying』ラフィング・ダウン・クライング(2011年)
ガリバー(ダリル・ホールが、かつて所属していたバンド)
- 『Gulliver』:ガリバー(1998年)
テンプトーンズ(ダリル・ホールが、かつて所属していたバンド)
- 『The Temptones』:テンプトーンズ(1996年)
ジョン・オーツ
※注 チャート順位は全てビルボードを参照している。
ビデオ
- VHM68022 Daryl Hall John Oates Rock'N Soul Live ロックン・ソウル・ライブ VHD
日本公演
- 2月12日 福岡国際センター、13日 大阪厚生年金会館、15日 宮城県スポーツセンター、16日,17日 日本武道館、18日 横浜文化体育館、20日 愛知県体育館、21日,24日 日本武道館、23日 大阪城ホール、 日本武道館
- 6月6日 仙台市体育館、8日 愛知県体育館、11日,12日 大阪城ホール、13日 横浜文化体育館、17日,18日,19日 日本武道館
- 10月13日 静岡産業館、14日 東京ドーム、16日 福岡国際センター、18日 広島サンプラザ、20日 大阪城ホール、21日 名古屋レインボーホール、24日 大阪城ホール、26日,27日 横浜文化体育館
- 1990年 KIRIN DRY GIGS 1990 with The Doobie Brothers, Boz Scaggs(7/15), Shella E, Johnny Gill
- 7月15日 東京ドーム、17日 横浜アリーナ、19日,20日 大阪城ホール
- 10月8日 神奈川県民ホール、9日 NHKホール、10日 国立代々木競技場第一体育館、12日 仙台サンプラザ、14日 フェスティバルホール、15日 名古屋市公会堂、18日 尼崎アルカイックホール、19日 福岡サンパレス、21日 大阪厚生年金会館、22日 大宮ソニックシティ
- 2月18日 NHKホール、19日 渋谷公会堂、21日 東京厚生年金会館、22日 宮城県民会館、24日 名古屋クラブクアトロ、25日 心斎橋クラブクアトロ、27日,28日 フェスティバルホール、3月1日 愛知厚生年金会館、3日 横浜文化体育館、4日 渋谷クラブクアトロ
- 11月30日 名古屋クラブクアトロ、12月1日 心斎橋クラブクアトロ、3日 渋谷クラブクアトロ、4日 日本武道館、6日 名古屋市公会堂、7日 アクトシティ浜松大ホール、8日 岡山市民会館、10日 鳥取県民文化会館、12日 福岡サンパレス、13日 大阪府立体育会館、15日 北海道厚生年金会館、17日 郡山市民文化センター、19日 仙台サンプラザ、20日 横浜文化体育館
- 5月21日 仙台サンプラザ、22日 岩手県民会館、24日,25日,28日,29日 東京国際フォーラムホールA、31日 福岡市民会館、6月1日,2日 大阪厚生年金会館、4日 名古屋市民会館、5日 パシフィコ横浜国立大ホール
- 3月4日 神奈川県民ホール、6日 北海道厚生年金会館、8日 仙台イズミティ21、10日 石川厚生年金会館、11日 広島郵便貯金ホール、12日 メルパルクホール福岡、14日,15日 大阪厚生年金会館、17日 名古屋市民会館、19日,20日 東京国際フォーラムホールA、21日 渋谷公会堂(日本通算100公演目)
- 2月21日 大阪グランキューブ大阪、2月22日 大阪グランキューブ大阪、2月24日 名古屋Zepp Nagoya、2月26日 東京日本武道館、2月28日 東京国際フォーラムホールA
タイアップ
- Private Eyes - 2001年にSONY CyberShot DSC-P5のテレビCMに使用。
関連項目
- フィラデルフィア・ソウル
- トッド・ラングレン(プロデューサー)
- スタイリスティックス-1972年の大ヒット(No.9)『You Are Everything(ユー・アー・エヴリシング)』をカバー(この曲はマーヴィン・ゲイ&ダイアナ・ロスも1973年にデュエットでカバー)。
- マーヴィン・ゲイ-『What's Going On(ホワッツ・ゴーイン・オン)』をライブでカバー。
- テンプテーションズ
- デヴィッド・ラフィン - ホール&オーツと共演
- エディ・ケンドリックス - ホール&オーツと共演
- ライチャス・ブラザーズ
- ボズ・スキャッグス
- スティーリー・ダン
- 桑田佳祐 - 「SHE'S A BIG TEASER」のレコーディングにコーラスで参加
参考文献
- 『ホール&オーツ ロックン・ソウルを求めて』著:林洋子 シンコー・ミュージック 1984年初版 ISBN 4-401-61153-5