ソドムとゴモラ
ソドム(ヘブライ語 סדום、英語 Sodom)とゴモラ(עמורה、Gomorrah)は、旧約聖書の『創世記』に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市(商業都市)。後代の預言者たちがソドムとゴモラに言及している部分では、例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。
目次
罪
ソドムの罪については、『エゼキエル書』16章49-50節において、多くの点が指摘されている[1][2]。古来、『創世記』19章前半、特に19章8節のロトの提案内容[3]から推察して、甚だしい性の乱れが最大の原因であったとする見解が一般的である。ただし同性愛が罪でないと主張する教会では「ソドムの罪」を男色だとする説は今日では全くの謬見(びゅうけん)であることが証明されたとされる[4][5]。クルアーンにも町の名前は出てこないが、ほぼ同じ物語が述べられており、預言者ルート(ロト)に従わなかったために、彼に従ったわずかな仲間を除き滅ぼされた。その際、神に滅ぼされた他の民(ノアの洪水で滅んだ民や、アード族やサムード族など)とは異なり、ルートの民(すなわちソドムの住民)は、偶像や他の神を崇拝する罪ではなく、男色などの風俗の乱れの罪により滅ぼされた。
地理
シディムの谷
ソドムとゴモラの廃墟は死海南部の湖底に沈んだと伝えられる。これは、「シディムの谷(テンプレート:Lang-he 英語: Vale of Siddim)」と、シディムの谷の至る所にある「アスファルト」の穴[6]に関する『創世記』の描写と、死海南部の状況が似通っていることなどから、一般にもそう信じられているが、その一方で、死海南岸付近に点在する遺跡と結びつけようとする研究者も存在する。
バブ・エ・ドゥラーとヌメイラ
ソドムを死海南東部に位置する前期青銅器時代(紀元前3150年-2200年)の都市遺跡バブ・エ・ドゥラー(Bab edh-Dhra)、ゴモラをこの遺跡に隣接する同時代の都市遺跡ヌメイラ(Numeira)と考える研究者もいる。いずれも現代のヨルダン・ハシミテ王国、カラク県に位置する。なおこの都市遺跡の近隣には、天から降る硫黄と火からロトが逃げ込んだとされるロトの洞窟の遺跡(テンプレート:Lang-ar UNGEGN式: Deir 'Ain 'Abata デイル・アイン・アバタ)がある。ビザンティン(東ローマ)時代に、ロトの洞窟の伝説地の上に教会が建てられたが、この教会の遺跡が現在残されている。教会の左手には、ロトが逃げ込んだとされる洞窟が実在する。
モアブとアンモン
創世記によると、この洞窟でロトと二人の娘の間に生まれた男の子二人[7]が、それぞれモアブとアンモンの民族の祖先となったとされるが、ロトの洞窟を含む前述の遺跡すべてが、かつてモアブと呼ばれた地、現代のカラク県(ヨルダン王国)にあることは、ソドムとゴモラ、ロト、そしてモアブの伝承を考える上で興味深い。上記の考古遺跡から出土した考古資料は、現在ヨルダンのカラク考古博物館(カラク城内)やアンマン国立考古博物館で見ることができる。
セドム
ソドムのための執り成し
創世記18章後半部(16節から33節)で、ロトのおじであるアブラハムが、ソドムとゴモラに関して事前にヤハウェと問答している。ヤハウェは、ソドムとゴモラの罪が重いという機運が高まっているとして、それを確かめるために降る(くだる)ことをアブラハムに告げた。アブラハムはそれに応じて、正しい者が50人いるかもしれないのに滅ぼすとは、全くありえない、と進み出て言った。それに対しヤハウェは、正しい者が50人いたら赦す(ゆるす)と言った。そこでアブラハムは「塵芥(ちりあくた)に過ぎない私ですが」と切り出し、正しい者が45人しかいないかもしれない、もしかしたら40人しかいない、30人、20人と、正しい者が少なくても赦すようにヤハウェと交渉をした。最終的に、「正しい者が10人いたら」というヤハウェの言質を取り付けたが、19章でヤハウェは結局、ソドムとゴモラを滅ぼした。
創世記19章前半部「ソドムの滅亡」主な内容
ヤハウェの使い(天使)二人[8]がソドムにあるロトの家へ訪れ、ロトは使いたちをもてなした。やがてソドムの男たちがロトの家を囲み、使いたちとセックスをするから使いたちを出すよう騒いだ。ロトは二人の使いたちを守るべく、かわりに自分の二人の処女の娘達を差し出そうとした。使いたちは、ヤハウェの使いとして町を滅ぼしに来たことをロトに明かし、狼狽するロトに妻と娘とともに逃げるよう促し、町外れへ連れ出した。ロトがツォアル(テンプレート:Lang-he 英語: Zoara)という町に避難すると、ヤハウェはソドムとゴモラを滅ぼした。ロトの妻(テンプレート:Lang-he)は禁を犯して後ろを振り向き、塩の柱(テンプレート:Lang-he ネツィヴ・メラー)に変えられた。ヤハウェはアブラハムに配慮して、ロトを救い出した。
科学的な調査
ニネベの遺跡で見つかったシュメール人の古代の天文学者が粘土板に残した円形の星座板には、ふたご座・木星などの惑星と、アピンと名づけられた正体不明の矢印が書きこまれており、この天体配置があった日の明け方の5時30分ころに、4分半かけてアピンは地上に落下したという記述が残されている。
アランボンド教授の解析により、この天文事象は、惑星の配置が粘土板の星座盤の位置と一致したことから、紀元前3123年6月29日であったと特定され、アピンの記述は典型的なアテン群小惑星の落下の記録であると結論付けた。衝突予想地点には、クレーターはなく、この小惑星はアルプス上空で空中爆発したであろうと推定されている。 アランボンド教授はこの日、直径1.25キロほどの小惑星がアルプス上空のコフェルスで空中爆発し、破片が軌道を逆戻りする形で地中海一帯に帯状にばら撒かれたであろうと説明し、これはソドムとゴモラの事象のことであろうという説を述べている。さらに南アルプスの氷床コアの調査によって、紀元前3100年ころに急激な気温の低下があったという傍証的データが示されている。[9]
ソドムとゴモラを題材とした芸術作品
- 絵画
- アルブレヒト・デューラーによる油彩画、『ソドムを逃れるロトと娘たち』(Lot Fleeing with His Daughters from Sodom)、1498年
- ジョン・マーティンによる油彩画『ソドムとゴモラ』(Sodom and Gomorrah)、1854年(上部右上画像)
- 文学
- マルセル・プルーストによる小説、『失われた時を求めて』第四篇「ソドムとゴモラ」、1922-1923年
- 映画
- ロバート・アルドリッチ監督による『ソドムとゴモラ』、1962年
- ジョン・ヒューストン監督による『天地創造』、1966年
- 戯曲
- ジャン・ジロドゥによる『ソドムとゴモル』、1943年
- 楽曲
- LUNA SEA『乱』、2013年
関連項目
脚注
- ↑ 該当節では、ソドムとその娘たちが高慢で、飽食に安んじながら貧者を助けず、ヤハウェの前で忌まわしいことをしたという、ヤハウェによる指摘がある。
- ↑ さらに16章53節から55節では、いずれソドムとその娘たちを復帰させることを、ヤハウェが示唆(しさ)している。
- ↑ ロトは、自分の二人の娘を差し出すから、訪問している客たち(二個の天使たち)には手を出さないで欲しいと提案した。
- ↑ 自由主義神学では「客人冷遇」が原因であることは既にコンセンサスとなっている
- ↑ 同性愛を罪とするかどうかは教派によって相違がある。聖公会、日本基督教団は同性愛を容認するが、正教会、カトリック教会、福音派などはこれを認めていない。また個人によっても立場は異なり、日本では北朝鮮への歴史の精算が不十分として同国への謝罪運動をしていたり、9条を守れと訴える意見広告に名を連ねる様なリベラル・左派系のクリスチャンにも「同性愛は病気であり治すべき」、「同性婚や性別変更に反対」と考える人々がおり、同性愛への賛否と政治信条は余り関係がない。
- ↑ ソドムとゴモラの王が、シディムの谷の戦い(Battle of the Vale of Siddim)で逃亡中に落ちた穴。
- ↑ ロトの二人の娘は、父であるロトが年老いていくことと、洞窟の周辺に「男の人が来てくれる」という世間の習慣がないことを懸念していた。そこでロトの二人の娘は洞窟で、ロトとの間に子どもを作った。姉が産んだ男の子はモアブ(「(私の)父親から」という意味。テンプレート:Lang-he)と名づけられ、妹が産んだ男の子はベン・アミ(「私の肉親の子」という意味。テンプレート:Lang-he)と名づけられた。
- ↑ 19章で「天使たち」のヘブライ語表記は、「המלאכים(ハマルアヒーム)」等、男性形である。なお、「אלוהים (エロヒーム)」(ヤハウェのこと)も男性形である。
- ↑ Discovery Channel「ソドムとゴモラ」より