アブラハム

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神にひとり子イサクを捧げようとするアブラハムと、それを制止する天使
レンブラント『アブラハムとイサク』、1634年。

テンプレート:族長 アブラハム英語 Abraham 、ヘブライ語 אַבְרָהָם (ab-raw-hawm') アブラハーム、ギリシア語 Αβραάμ Avraám アブラハム)は、ユダヤ教キリスト教イスラム教を信じるいわゆる聖典の民の始祖。ノアの洪水後、による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。「信仰の父」とも呼ばれる。

ユダヤ教の教義では全てのユダヤ人の、またイスラム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされ、神の祝福も律法戒律)も彼から始まる。イスラム教ではイブラーヒームテンプレート:Lang-ar, Ibrāhīm)と呼ばれ、ノア(ヌーフ)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされる。キリスト教の正教会においてはアウラアムと称され、聖人に列せられている。

族長と呼ばれるヘブル人の先祖たちの一人である[1]

男性の名としてのアブラハム

アブラハムはかつて、古代ヘブライ語ではアブラム(אַבְרָם、Abram)で、「群衆(多数のもの)の父」の意味であった。そのアブラムが、神の指示によりアブラハム(אַבְרָהָם、Abraham)に変更された。このことにならったかのような母音付加が、これ以後、パレスチナ地方の言語にはよく見受けられる現象となる。同時に、このことが古代ヘブライ語や古代アラム語の正確な読みをわかりにくくさせている原因となっている。

アブラハムの名は、ユダヤ教、キリスト教などを支持する人々の間では、世界的に非常によく男性の名として使われている。イスラエルに住むユダヤ教徒でその名を持つ人は非常に多い。数名に一人がその名、という状況である。イスラエル以外の世界中のユダヤ系の男性にもかなり多い。イスラム教社会でも、イブラーヒームの名で男性の名前としては一般的な存在となっている。

ヨーロッパで専らカトリックだけが布教されていた時代には、その名はあまり使われていなかった。プロテスタントが生まれてからは、カトリックの聖人と同じ名になることを避けて旧約聖書の人名を用いることが多くなり、近世になりアブラハムと名付けられた人はいくらか増加した。

アメリカ合衆国においては、ユダヤ人の数も多く[2]、また元々人種的にはユダヤ系でありながら現在はプロテスタント系の中でも特に旧約聖書とイスラエルを重視する教会に所属している人、あるいは人種的にはユダヤ人とは関係ないがプロテスタント教会に属する人、などが入り乱れており、結果としてその名をつけている人はかなり多い。第16代大統領リンカーンのファーストネームもアブラハム(Abraham:英語読みではエイブラハム)である。英語における短縮形は「エイブ」。

聖書におけるアブラハム

詳細は旧約聖書冒頭の創世記の12章から25章にかけて、大洪水やノアの箱舟の物語とバベルの塔の話のあとに描かれている。アブラハムは伝説と歴史の間に生きている[3]。この項では、元の名のアブラムを基本に、記述を進める。

テラの子アブラムは、文明が発祥したメソポタミア地方カルデアウル(現在のイラク南部)において裕福な遊牧民の家に生まれた、と学者らによって考えられている。イラク人はカルデアのウルとはメソポタミア南部の古代都市ウルのことであるとしており、現在の歴史学者や考古学者の間でもこの考えが主流である。

テラは、その息子アブラムと、孫でアブラムの甥に当たるロト、およびアブラムの妻でアブラムの異母妹に当たるサライ(のちのサラ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸。現在のパレスティナ)に移り住むことを目指し、ウルから出発した。しかし、途中のハランにテラ一行は住み着いた。

アブラムは、父テラの死後、ヤハウェ(エホバ)神(יהוה)から啓示を受け、それに従って、妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々とともに約束の地カナン(パレスチナ)へ旅立った。アブラム75歳の時のことである。以下は、その時の神の啓示である。 テンプレート:Quotation

アブラム一行がカナンの地に入ると、シェケムエルサレムの北方約50km)で神がアブラムの前に現れ、 テンプレート:Quotation と預言された。アブラムは、自分のために現れてくださった神のため最初の祭壇をシェケムに築いた。その後、アブラム一行は更に南下してベテルとアイの間(エルサレムの北方約20km)に移り住んだ。ベテルとアイの間にも神のための祭壇を築き、神の御名によって祈った。

その後、ネゲブ地方(カナン南部の高原性乾燥地帯)が飢饉に襲われたため、アブラム一行は揃ってエジプトへ避難した。見目麗しい妻サライが原因で自分が殺害されることを恐れたアブラムは、妻サライに自分の妹とだけ称させることにした(実際、サライは、アブラムの異母妹であった)。そのサライがエジプト王の宮廷に召し抱えられたため、アブラムは一大財産を築いた。神は、アブラムの妻サライがエジプト王の妻とされてしまっていることでエジプト王とその家とをひどい災害で痛めつける。エジプト王は、神がアブラム側に立っている事態を理解したので、アブラム一行を彼らの全ての所有物と共にカナンの地へ送り出した。

アブラム一行は、ベテルとアイの間の祭壇のところまで戻り、神の御名によって祈った。アブラム一行は既に家畜も奴隷も金銀財産も十分持ち過ぎていたので、アブラムがカナン地方(ヨルダン川西岸)を、ロトがヨルダンの低地全体を選び取って住み分け、ロトは、のちに東のほう、ヨルダン川東岸に移動した。なお、ロトがヨルダンの低地を選び、移り住んだ時点では、そこにはまだソドムとゴモラが存在しており、これらの都市は神の怒りによって滅ぼされる直前であった。

アブラムとロトとが分かれた後、アブラムに神から以下のような預言が下された。 テンプレート:Quotation

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じるいわゆる聖典の民は、いずれも彼を唯一神ヤハウェ(エホバ)(יהוה)が人類救済のために選んだ預言者として篤く尊敬し、祝福する傾向が強い。そのため、これらの宗教は「アブラハムの宗教」とも呼ばれる。

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神の使いを迎えるアブラハム(『創世記』第18章)。ドレ
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神にひとり息子のイサクを捧げようとするアブラハムとそれをとどめる天使(『創世記』第22章)。(ロラン・ドゥ・ラ・イール画、1650。オルレアン美術館

彼は老齢になっても嫡子に恵まれなかった(ハランを出発したときは75歳)が、神の言葉 テンプレート:Quotation の通り、後に老妻サラ(サライ)との間に嫡子イサク(イツハク)を授かった。アブラム100歳の時の事である。

アブラム137歳の時、妻サラは127年の生涯を閉じた。そして、アブラムは175歳で世を去った。
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ヘブロンにあるアブラハムの墓廟の前で祈るユダヤ人たち

アブラムの墓廟パレスチナヨルダン川西岸地区ヘブロンにあり、ユダヤ教とイスラム教の聖地として尊崇されている。

祖先としてのアブラハムの位置付け

ユダヤ人はイサクの子ヤコブ(ヤアコブ)を共通の祖先としてイスラエル12部族が派生したとし、アブラハムを「父」として崇め、また「アブラハムのすえ」を称する。 一方でイサクの異母兄に、妾ハガルから生まれた一子イシュマエル(イシュマイール)があり、旧約聖書の伝承では彼がアラブ人の先祖となったとされる。

また、すべてのユダヤ教徒の男子はアブラハムと神との契約により、生後8日に割礼を受ける定めである。

イスラム教におけるイブラーヒーム

この項では、アラビア語発音のイブラーヒームの名を基本に、記述を進める。

イスラム教では、旧約聖書の伝承について、改竄にもとづく誤りを含みつつも神の言葉を伝えた啓典であると考えてはいるが、イブラーヒームについて同様に考えており、アラブ人はイブラーヒームとイシュマエル(アラビア語ではイスマーイール)を先祖とみなしている。イスラム教の立場では、イブラーヒームとはユダヤ教もキリスト教も存在しない時代に唯一神を信じ帰依した完全に純粋な一神教徒であり、イスラム教とはユダヤ教とキリスト教がいずれもイブラーヒームの信仰から逸脱して不完全な一神教に落ちた後の時代にイブラーヒームの純粋な一神教を再興した教えである、と考えられた。

トルコのムスリムの伝承では、『旧約聖書』にある預言者イブラーヒームがカナンに向けて出発した「ウル」(カルデアのウル)とはウルファのことであるとし、これは世俗主義の立場である聖書学からも支持されていた[4]イスラム教の伝統ではイブラーヒームの誕生した場所はウルファであるとされており、これを記念するモスクも建てられている。

イスラム教徒(ムスリム)も生後7日目から12歳までの間に割礼を行うが、ユダヤ教とは違って特にイブラーヒームに由来する法とは考えられておらず、イブラーヒームとアッラーフとの契約に基づいた宗教的義務ではなく共同体の慣習に過ぎないとみなす法学派が有力である。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

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  1. 新聖書辞典』773ページ
  2. アメリカ合衆国におけるユダヤ人の人数は、5,300,000~5,671,000人とされており、イスラエルにおける人数とほぼ同数である(Wikipedia英語版2007年7月27日より)。
  3. フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編者、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅰ 古代ー中世 原書房 2004年 2ページ
  4. 「ウルファ」という地名が実際に確認されるのは東ローマ帝国時代以降である。