クラウディオ・タファレル
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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:サッカー選手 テンプレート:MedalTop テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalSilver テンプレート:MedalBottom クラウディオ・タファレル(Cláudio André Mergen Taffarel、1966年5月8日 - )は、ブラジル・サンタロサ出身の元サッカー選手。現役時のポジションはGK。ブラジル代表GKとして最多出場記録を持つ。
経歴
1984年、SCインテルナシオナルでデビュー。1988年7月7日のオーストラリア戦で代表デビューを果たすと、1990年のイタリアW杯でベスト16に終わったものの活躍を見せ、パルマへ移籍。イタリアでプレーする初のブラジル人ゴールキーパーだった[1]。当時ブラジル人ゴールキーパーで欧州で活躍する選手はなく、キーパーが欧州で活躍するのは無理だという説を覆した。コッパ・イタリアなどのタイトル獲得に貢献した。
その後1993年から2シーズンをレッジャーナでプレー。翌年にはアトレチコ・ミネイロへ移籍したが、1998年にはガラタサライへ移籍。代表からしばらく遠ざかっていたがトルコでの活躍を買われ、同年のフランスW杯では出場を果たし、準優勝に貢献した。
1994年のアメリカW杯ではPK戦にもつれこんだイタリアとの決勝戦を制して優勝した。決勝戦から1年後の同日に行われたコパ・アメリカの準々決勝・アルゼンチン戦でもPK戦に勝利した。1998年のフランスW杯でも準決勝のオランダ戦ではPKを止め、勝利に貢献した。
2001年にはパルマへ復帰。2003年に現役を引退。ワールドカップ通算18試合出場はゴールキーパーとしての出場最多記録である。
選手経歴
- テンプレート:Flagicon SCインテルナシオナル 1984-1990
- テンプレート:Flagicon ACパルマ 1990-1993
- テンプレート:Flagicon レッジャーナ 1993-1995
- テンプレート:Flagicon アトレチコ・ミネイロ 1995-1998
- テンプレート:Flagicon ガラタサライ 1998-2001
- テンプレート:Flagicon ACパルマ 2001-2003
関連項目
- ガルヴァオン・ブエノ - ブラジルの有名なスポーツ実況アナウンサー。1994年と1998年のワールドカップに際して、ブラジルゴールが脅かされそうになった局面で“Sai que é sua, Taffarel!”「(ゴールから)出ろ、お前の(ボール)だぞ、タファレル!」という台詞を決まり文句にしていた。
脚注
テンプレート:Navboxes- ↑ footballista 2009/8/19号 37p