明石淡路フェリー
明石淡路フェリー株式会社(あかしあわじフェリー、テンプレート:Lang-en)は、かつて存在した日本の海運会社である。
民間企業と自治体が共同出資した第三セクターで、本社は兵庫県明石市中崎二丁目7番1号にある。兵庫県の明石港と岩屋港(淡路島)を結ぶフェリー航路を運航しており、「たこフェリー」の愛称で知られる。
概要
明石市街地と淡路島を結ぶ最短ルートのひとつであった。また、明石海峡大橋が開通するまでは淡路フェリーとともに自動車交通の要であり、特にテンプレート:要出典範囲。なお、明石海峡大橋が供用されたのちも両区間の往来には遠回りを強いられる[1]ほか、自動車専用道路である同橋を通行できない小型バイクなど[2]にも利用されていた。また、定期券も発売されており、淡路島北部から明石市などへの通勤通学など旅客のみでの利用も見られた。
航路の愛称として「たこフェリー」と呼称されており、各船の船体にはオリジナルキャラクター「たこファミリー」が描かれているほか、キャラクターグッズを販売するなど増収に努めていた。
歴史
1952年の旧道路整備特別措置法により、四国・阪神間の物流ルートである国道28号の海上区間を有料道路とする、兵庫県営の明石フェリーを1954年4月12日に開設[3]。同時に鳴門海峡にも徳島県営の鳴門フェリーが開設された。
1956年の日本道路公団設立に伴い事業譲渡され、1986年まで公団明石フェリーとして運航。その後、関西汽船設立の明岩海峡フェリー(明岩フェリー)へ航路譲渡、さらに明石フェリーへ航路譲渡されたが[4]、明石海峡大橋開通に伴い経営状態が悪化。撤退を決定した同社の事業を引き継ぐため、2000年7月1日に甲子園高速フェリー(→甲子園運輸倉庫、現在はツネイシホールディングスの一部門)、明石市、淡路町(現在の淡路市)などが出資する第三セクターとして現在の明石淡路フェリーが設立された。
明岩フェリー時代には、並行する旅客船航路の播淡聯絡汽船・淡路連絡汽船[5]が運航しない深夜の便を除き旅客のみでの乗船を認めていなかったが[6]、継承後は旅客のみでも乗船できるようになった。
2007年2月以降は本州と淡路島を結ぶ唯一のフェリーとなったが2008年、原油価格の高騰や、明石海峡大橋を含む神戸淡路鳴門自動車道でのETCを利用した各種割引などが原因となった利用客減少による収支悪化を理由として、深夜・早朝便が廃止(終夜運航の廃止)された(これにより深夜の帰宅路が絶たれた淡路市岩屋地区の住民のため、岩屋地区町内会連合会が岩屋ポートとJR明石駅の区間にマイクロバスを運行している[7][8])。
2009年、高速道路の休日割引(ETC利用者向けに料金の上限を1,000円とする制度など)の影響による利用者の減少を受け、会社は所属する船員らに対し給料の削減を提示した。これに対し、船員45人のうち約30%に当たる15人が同年6月22日までに退職を申し出たことから従来の本数の維持が不可能となり、同月26日から早朝と夕方の便を減便(1日64便→48便)した[9]。その後は再び増便に転じ、2010年3月1日時点では29往復58便を運航していた[10]。
航路休止、終焉
2010年9月3日、親会社であるツネイシホールディングスは「高速道路割引の影響が大きい」として、他の株主である明石市と淡路市に対し、航路廃止と会社の清算を申し入れたことが明らかになった[11]。これを受けて明石市は並行して高速船を運航する淡路ジェノバラインに対し、当フェリーとの合併・統合を要請した[12]ほか、会社清算にさいして従業員の退職金などに充当するため、「あさしお丸」を1億円でタイの会社へ売却する方針を決め、これに伴い9月21日から運航便数が36便に減便となった[13]。
同年10月15日、明石市とフェリー側の協議の結果、11月15日の運航をもって航路を休止することが明らかになった。同日の明石港発17時40分の便をもって営業を終了し、従業員は同日付で解雇となる。なお、同社の負債総額は11月末で4,000万円に達する見通しで、最後に残った「あさかぜ丸」の売却益を負債解消に充当するとした[14][15]。これにより、明石海峡大橋を通行できない車両が自走して本州と淡路島を行き来することができなくなった[16]。
一方、航路休止直前の同年11月、淡路ジェノバラインが航路の運航を承継し2011年3月の運航再開を目指すことを表明した。岸壁など施設使用料の減額や使用する船舶の手配など詳細の交渉が引き続き行われた[17]が、航路復活に意欲的だった明石市長(当時)の北口寛人がフェリー支援についての発言に関して市議会による問責決議を受けたのち2011年4月の選挙に不出馬を決めたことから協議が停滞した。
同年12月24日、ツネイシホールディングスは、同日に開かれた明石淡路フェリーの臨時株主総会により、全保有株式の淡路ジェノバラインへの譲渡と派遣していた役員の退任により経営から撤退したことを発表した[18]。
航路再開に向け使用する船舶について、明石海峡を横断する当航路に必要な性能を満たすものが、すぐには調達できない状況にあると報道された[19][20][21]。
2011年10月20日、淡路ジェノバラインと淡路市・明石市が協議、テンプレート:要出典範囲を購入して排気量125cc以下のバイク・自転車・旅客を対象とした運行を2011年12月1日をめどに運行再開を行う計画があり、このフェリーには普通乗用車5台程度搭載できるが乗用車は搭載せず、乗降場は「たこフェリー」乗り場ではなく淡路ジェノバライン乗り場にて行うと報道された[22]。ただフェリー購入資金が明石淡路フェリーの運航休止後の事業清算で生じた残余金を充てることに「ジェノバ社が小型フェリーを購入するのに、たこフェリー(明石淡路フェリー)の金を使うのはおかしい」と明石市長の泉房穂は10月21日の会見にて購入見合わせを求める意向を表明し、また「車を運べないなら、フェリーではない」「たこフェリー社が取締役会を開いておらず、法的に問題がある」と述べた[23]。
同年10月24日、淡路市の門康彦市長と明石市長の会談により、小型フェリーによる運航再開計画は事実上撤回された[24]。
同年11月16日、航路の運航休止から1年が経過し、第三セクターである会社の解散も考慮されていると報道された[25]。
同年12月27日に再開の断念と第三セクターの解散が議論されたが明石海峡大橋を含む新たな高速道路料金体系が決まる2012年3月まで先送りされていた[26]。しかし、同年5月には、運行再開を断念し会社を解散することが決定した[27]。同月29日付で会社は解散し、清算会社となった。また、同日付で航路の廃止届けが出され、30日後の同年6月29日付で航路廃止となり、本航路は名実共に58年の歴史に幕を閉じた[28]。2013年3月27日付で清算終了し、明石淡路フェリー株式会社は完全消滅した。
沿革
- 1954年4月12日 - 国道28号中、明石市西本町から兵庫県津名郡淡路町岩屋までの区間を有料道路明石フェリーとして[29]、兵庫県が出資し運航開始。事業費は18億400万円[29]。
- 1956年7月1日 - 4月設立の日本道路公団へ事業譲渡[29]。
- 1961年11月3日 - 航送船を増設する[30]。
- 1977年6月30日 - 新船を建造する[31]。
- 1986年11月20日 - 明岩海峡フェリー(関西汽船の子会社)へ航路権譲渡[29][4]。
- 1992年7月 - 明石フェリー(関西汽船の子会社)へ航路権譲渡[4]。
- 2000年7月1日 - 明石淡路フェリーへ事業譲渡(営業権及び資産)[4]。
- 2000年10月1日 - 車なしでの乗船が可能になる。
- 2008年12月1日 - 深夜・早朝便(23時-4時)を廃止。
- 2009年6月26日 - 船員の大量退職により、早朝・夕方の便を減便。
- 2009年12月18日 - あさかぜ丸が新愛称「のりたい号」として新塗装となって就航。
- 2010年3月28日 - あさなぎ丸が業績悪化による売船のため、この日が最終運航。
- 2010年10月3日 - あさしお丸が売却のため最終運航[32]。
- 2010年10月15日 - フェリーの休止を発表。
- 2010年11月16日 - 航路休止(前日の18時まで運航された)。
- 2012年5月29日 - 会社解散。
- 2012年6月29日 - 航路廃止。
- 2013年3月27日 - 清算終了。
航路
以下は、休止直前の運航状況。
近時引退の就航船
- あさなぎ丸(イルカの図柄、1,381総トン、1991年10月新来島どっく太平工場建造、2010年4月タイへ売却)
- あさしお丸(タコの図柄、1,324総トン、1989年11月新来島どっく太平工場建造、2010年3月エレベーター設置、2010年10月タイへ売却)
- あさかぜ丸(愛称「のりたい号」。パパたこ・たいやんきー、明石のキャラクターなどの図柄、1,296総トン、1989年9月新来島どっく太平工場建造)
- TAKO Ferry 01.JPG
あさしお丸(明石港)
- TAKO Ferry 02.JPG
あさなぎ丸(明石港)
あさかぜ丸
- TAKO Ferry 04.JPG
旧塗装時代、右舷に描かれた「パパたこ」(明石港)
- Asakaze-maru JAPAN.jpg
塗装変更後(明石港)
- Inboard of Asakaze-maru (cabin deck) 1 JAPAN.jpg
客室
- Inboard of Asakaze-maru (cabin deck) 2 JAPAN.jpg
客室(売店付近)
- Inboard of Asakaze-maru (Car-deck) JAPAN.jpg
車両甲板
乗り場への交通
明石港
岩屋港
- 港内の淡路ジェノバライン乗場および、隣接する岩屋バスターミナルから徒歩。
- 最寄りのバス停は「片浜」である。
イメージソング
- 『たこフェリー音頭』 - 河内家菊水丸が歌う河内音頭風のイメージソング。CMソングとして使われたほか、テンプレート:要出典範囲。
- 『パパたこイエー!!』 - ワタナベフラワーが歌うイメージソング。テンプレート:要出典範囲。
脚注
関連項目
- 淡路ジェノバライン - 並行する旅客船航路を運航する会社。
- 甲子園高速フェリー - かつて西宮〜津名間でフェリーを運航していた海運会社。
- 淡路フェリーボート - かつて神戸〜大磯間でフェリーを運航していた海運会社。
- 毎日放送(MBSラジオ) - 河内家菊水丸出演のCMが放送されていたほか、曲の著作権にもクレジットされている。
- ワタナベフラワー - イメージソング「パパたこイエー!!」を歌うバンド。
外部リンク
テンプレート:Asbox- ↑ 明石市からの最寄り出入口は玉津または長坂となる。
- ↑ 道路交通法では、自動車専用道路は125cc以下の車両は通行できないことが定められているため、原動機付自転車・小型自動二輪車・ミニカーおよび軽車両は通行できない。
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 関西汽船株式会社 有価証券報告書 会社沿革 2006年3月31日付
- ↑ 2001年、両社は合併し明淡高速船となったが、のちに航路を淡路ジェノバラインに承継し会社清算した。 ※詳細は、明淡高速船を参照。
- ↑ 播淡聯絡汽船、明岩海峡フェリーは両社とも関西汽船の連結子会社のため。
- ↑ 運行期限は2009年3月末までとされている。
- ↑ 帰宅の足、住民守る 岩屋-明石間に深夜バス運行テンプレート:リンク切れ - 神戸新聞(2008年11月19日)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 明石淡路フェリーテンプレート:リンク切れ
- ↑ たこフェリー、親会社が撤退へ 会社清算申し出る - 神戸新聞2010年9月3日 同6日閲覧テンプレート:リンク切れ
- ↑ 親会社撤退のたこフェリー ジェノバ社と合併も - 神戸新聞 2010年9月4日 同6日閲覧テンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ たこフェリー休止へ 高速料金値下げ、利用者激減 - 朝日新聞(大阪) 2010年10月16日付
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ たこフェリー運行休止で、バイクが淡路島に孤立 - レスポンス自動車ニュース 2010年11月15日付。但し自転車は淡路ジェノバラインに積載可能。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ たこフェリー、来月の運航再開断念テンプレート:リンク切れ - msn産経 2011年2月19日、4月12日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite news
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- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 29.0 29.1 29.2 29.3 日本道路公団『日本道路公団(JH)年報(平成15年版)』2003年
- ↑ 同年11月2日、日本道路公団公告第25号「明石フェリー工事一部完了公告」
- ↑ 同年6月29日、日本道路公団公告第28号「有料道路「明石フェリー」工事完了公告」
- ↑ こちらフェリー事業部ですテンプレート:リンク切れ - 明石淡路フェリーブログ