きりたんぽ
きりたんぽ(切蒲英)とは、つぶした粳米のご飯を竹輪のように杉の棒に巻き付けて焼き、棒から外して食べやすく切った食品。秋田県の郷土料理。鶏がらのだし汁に入れて煮込んだり、味噌を付けて焼いたりして食べる。秋田県内では、冬場に学校給食のメニューとなる。
主な種類と概要
- たんぽ
- たんぽは、切る前の段階でのきりたんぽのことを指している。ただし、ほとんどの人がこれを「きりたんぽ」であると考えるが、切っていないので厳密には誤りである。「たんぽ」とは、元来、稽古用の槍につける綿を丸めて布で包んだものであり、杉(秋田杉)の棒に半殺し(半分潰すという意味)のご飯を巻き付けたところがたんぽをつけた槍(たんぽ槍)に似ていることから、その名が付いた。
- みそつけたんぽ
- 焼いたたんぽに味噌を塗って食べるもの。みそたんぽとも呼ばれる。
- きりたんぽ鍋
- 鶏(比内地鶏)のガラでとっただし汁をベースにこいくち醤油、酒と砂糖(または味醂)で醤油ベースのスープを作る。煮えにくい順にゴボウ、マイタケ(金茸、銀茸)、比内地鶏を並べ中火で煮立てる。きりたんぽとネギを入れ、味が染みる直前でセリを投入する。セリに火が通ったら完成。
- 比内地鶏が品種開発される以前は、だし汁には比内鶏のものを用いていた。比内地鶏が手に入らない場合はブロイラーのトリガラ、もも肉、鳥皮、ネクタイ(首の肉)で代用すると良い味が出る。
- 基本的に鶏ベースのキリっとした醤油スープ。具材については邪道とされるものがいくつかあり甘味と水分が多く出る白菜、風味が変わってしまう魚肉(竹輪などの練りもの)、匂いが変わるニンジン、風味が変わるシイタケは入れないテンプレート:要出典。基本はゴボウ、鶏肉、マイタケ、ネギ、たんぽ、セリの6種[1]である。 なお、きりたんぽは通常もち米を使っておらず長時間煮ると形が崩れるため、食せる状態まで煮たら早めに鍋から引き上げ食べる事が望ましい。特におみやげ品として売られているきりたんぽには繋ぎとして米粉が混ぜ込まれているため、その場で米を潰して作ったきりたんぽよりも型くずれしやすい。
起源
きりたんぽ鍋は家庭料理であることから、鍋に入れる鶏肉に本来は決まりはない。比内地鶏が使われるようになった契機は、比内地鶏の産地である大館市の企業が、煮込んでも硬くなりすぎず鍋物に最適なことに注目してセットで売り出し、成功したことである。その後、県北部の鹿角市が発祥、大館市が本場として定着し、秋田県の郷土料理として広く親しまれるようになった。これに対し県南部、つまり由利本荘市、大仙市、横手市、湯沢市周辺では、北部ほどなじみがあるわけではない。県南部はむしろ、山形県や宮城県などで広く行われている芋煮会の分布範囲である。
また、秋田県北部に住むマタギの料理が起源だったとの説もある。これは、マタギが山から帰った際、残した飯を潰して棒につけて焼き、獲物のヤマドリや山菜、キノコとともに煮たり味噌をつけて食べたりしていたことを理由とする説である。しかし、当の阿仁町(現・北秋田市)のマタギは、マタギ料理起源説を明確に否定している。曰く、「冬に米が食える身分なら(わざわざ危険を冒して)冬山に登らない。マタギにとっての狩りとは米を食えない身分が生存権獲得のために行うギリギリの行為なのであって、おにぎり片手に行うハンティングではない」。つまり、当時最高の贅沢であった米の料理法の一種であるきりたんぽはマタギの生業と矛盾している、というのがその理由である。しかし、逆に言えば明治維新~昭和初期にかけて貧しかった頃、積極的に稲作を営まず、農業よりも遥かに換金効率の高い狩猟を行っていたマタギであるからこそ米が手に入りやすかったという事情も考えられる上、マタギたちが狩りに携行食としておにぎりを持参するのはごく普通のことだったようである。
行事
- 本場大館きりたんぽまつり[2](秋田県大館市):大館樹海ドーム(10月) - 本場大館きりたんぽまつり実行委員会主催、秋田魁新報社・秋田銀行協賛
- きりたんぽ発祥まつり[3](秋田県鹿角市):あんとらあなど(11月) - 十和田八幡平観光物産協会
評価
- 2007年(平成19年)、農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」の秋田県のノミネート料理のきりたんぽ鍋がインターネット投票で3位の得票となった。
脚注
関連項目
- 類似の郷土料理
外部リンク
テンプレート:リダイレクトの所属カテゴリ- ↑ ほかに好まれる具材として、しらたき、サトイモ、卵巣を含む鷄モツ、つみれを入れる場合もある。
- ↑ テンプレート:Cite web
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