きのくに (列車)
本項では、国鉄と南海が直通運転を行っていた優等列車の沿革についても記述する。
目次
概要
「きのくに」は1958年12月1日に天王寺駅 - 白浜口駅(現在の白浜駅)間を全車座席指定席の準急列車として運行を開始した。1959年7月15日には毎日運行の臨時列車1往復増発され、この列車には南海難波駅発着編成を連結するようになった。その後、1966年3月5日には準急制度改変に伴い、急行列車化された。
運行概況
1958年12月1日の運転開始当初は、天王寺駅 - 白浜口駅間で1往復設定された。その後、紀勢本線が1959年7月15日に全通したのを機に、毎日運行の臨時列車を1往復増発して、2往復となった。この臨時列車には南海線難波駅発着編成を、東和歌山駅 - 白浜口駅間で併結して、東和歌山駅で分割併合を行っていた。南海側はキハ55系と同一水準のキハ5501形・キハ5551形気動車を新製し準備したが、南海側で自社線内での乗務員養成が間に合わず、エンジンをアイドリング状態にして電車で牽引していた。
利用者も多く運転本数・区間も拡大され、1962年に天王寺駅 - 紀伊椿駅(現在の椿駅)間に1往復を増発。1963年10月には1往復増発し、4往復体制となった。1965年3月1日に特急「くろしお」の運行が開始したと同時に「きのくに」の白浜行き1本を新宮駅まで運行区間を変更した。1966年には準急制度改変に伴い、急行列車に格上げされた。
1968年には、和歌山駅(同年3月1日に東和歌山駅から改称)を発着し紀勢本線内で完結する急行列車のうち、阪和線・南海線直通の急行列車の名称として「きのくに」の名称が与えられる。これにより、定期列車では天王寺駅発10本、天王寺駅行き8本、季節列車3往復、難波駅発着は定期列車3往復、季節列車1往復の体制となる。さらに1969年には天王寺駅 - 白浜駅間運行の臨時列車を1往復増発している。
しかし、1978年10月2日に和歌山駅 - 新宮駅間の電化が完成し、「きのくに」が「くろしお」に置き換えられることにより減便が始まり、このときのダイヤ改正では9往復に、1980年には季節列車を含めて6往復となっていた。
1982年には天王寺駅 - 新宮駅間運行の夜行列車が季節列車化され、鳥羽駅乗り入れを終了し、天王寺駅・難波駅 - 白浜駅・新宮駅・熊野市駅間及び紀伊田辺発新宮行のみの運行となった。1984年2月1日にこの夜行列車は廃止されている。この時は天王寺駅発は3本、天王寺駅行き5本、難波駅発着は2往復であったが、和歌山市駅 - 和歌山駅間を除きほぼ「全区間架線下を走る気動車列車」となっていた。しかし、南海側では車両の更新が出来ず、車両自体も冷房化が出来ないため(下記使用車両参照)、当時すでに冷房化が実施された国鉄側の車両や、料金不要の自社の普通列車にまで冷房化が進んでいた南海線内での他列車に比べ見劣りするようになっていた。
1985年3月14日に「きのくに」は「くろしお」に昇格することで運転を終了した。また、「黒潮号」以来の南海線難波駅発着列車は運行を終了することとなった[1]。
停車駅
- 末期(1980年代以降)の停車駅
1978年10月1日以前は天王寺 - 白浜間を途中和歌山駅・御坊駅・紀伊田辺駅のみ停車、左記に箕島駅・湯浅駅・南部駅のいずれか1駅を加えた季節列車も設定されていたほか、下津駅・初島駅・紀伊由良駅・下里駅に停車する列車も一部設定されていた。また、海水浴客の便宜を図って、一時期夏季のみ江住駅・和深駅・紀伊田原駅・紀伊浦神駅に臨時停車する列車も存在した。
南海本線内の種別は「連絡急行」(1966年3月4日以前は連絡準急)で線内は特急扱いとされ、当時の南海本線特急と同じ停車駅で運行されていた。新今宮駅は開業時の1966年12月1日より停車。また1968年9月30日まで泉大津駅・貝塚駅・泉佐野駅にも停車していた。
使用車両
天王寺駅発着にはキハ28・キハ58・キハ65が、南海難波駅発着にはキハ5501・キハ5551が使用されていた。南海側の車両、キハ5501・5551は全車2エンジン搭載で冷房電源専用のディーゼル発電機を搭載するスペースが無かったため、晩年まで冷房化されなかった。
和歌山 - 紀伊田辺間の複線化工事が完了して以降の所要時間は天王寺 - 白浜間を2時間30 - 50分台、天王寺 - 新宮間を4時間50分台 - 5時間10分台であった。また1970年代までは気動車のほかにも機関車牽引(主に12系客車を使用、阪和線内はEF58形電気機関車など、紀勢線内はDF50形ディーゼル機関車などの牽引により運転)による臨時客車急行として運転されていたものがあった。客車急行は気動車よりもさらに遅く、特に性能が劣るディーゼル機関車牽引区間に当たる紀勢本線内において運転時間の格差が顕著に現れていた。天王寺 - 白浜間を平均3時間30分前後、最大3時間55分かかって走り、この臨時列車(白浜駅15:34発 → 天王寺駅19:29着)は御坊駅で後続の気動車運転による季節列車「きのくに」に追い抜かれ、白浜駅を1時間6分後に出発するもう1本後の定期「きのくに」に和歌山駅で6分差、終点の天王寺駅で1分差にまで詰め寄られるという極端に遅い列車であった。
国鉄・南海直通優等列車沿革
南海との直通運転は、第二次世界大戦前の1933年11月 - 1937年12月に大阪から当時の南海鉄道ないしは、阪和電気鉄道を経由して白浜口駅(現在の白浜駅)へ直通する週末快速列車「黒潮号」(くろしおごう)、平日運転の「平日列車」、日曜日運転の「日曜列車」が運転されていた。大阪と和歌山を直接結ぶ鉄道を国鉄が管理しておらず、その点では私鉄による国鉄の飛び地路線への直通運転という形を採ったことや、公募による列車愛称の付与など異例な点が多いことや、南海鉄道・阪和電気鉄道・鉄道省共にその運営事業者が互いの威信を賭け列車運行を行ったことで知られる。
南紀直通列車の運転開始
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)11月17日:国鉄と南海による「黒潮号」が難波駅 - 白浜口駅間で運転開始。
- 1935年(昭和10年)3月29日:「平日列車」「日曜列車」の運転区間が、阪和天王寺駅・難波駅 - 紀伊椿駅(現在の椿駅)間に変更。
- 1936年(昭和11年)10月30日:「平日列車」「日曜列車」の運転区間が、阪和天王寺駅・難波駅 - 周参見駅間に変更(ただし、南海車・阪和車は白浜口まで)。
- 1937年(昭和12年)12月1日:「黒潮号」が廃止。「平日列車」と「日曜列車」が統合される。
戦後の南紀直通列車の復活
- 1948年(昭和23年)7月1日:不定期列車として天王寺駅・和歌山市駅 - 新宮駅間を運行する夜行準急列車2010・2011列車が運行される。この列車が大阪対南紀直通優等列車の戦後復活運行とされる。
- 1949年(昭和24年)9月15日:2010・2011列車、天王寺駅 - 新宮駅間を運行する準急列車として定期列車化。
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)5月頃より:「黒潮」の難波駅発着編成に南海所有客車サハ4801形客車の使用を開始する。ただし、1両のみの所有であったため、多客時には国鉄所有車両を貸し出す形で運用。
- 1953年(昭和28年)5月1日:天王寺駅 - 白浜口駅間を運行する臨時準急列車として「南紀」(なんき)が運行を開始。
- 1954年(昭和29年)10月1日:「黒潮」天王寺駅発着1往復を増発し、同時に準急列車化。
- 1955年(昭和30年)3月25日:「南紀」が定期列車化[2]。
- 1956年(昭和31年)11月19日:新宮発天王寺行の準急列車103列車を設定。また、「黒潮」の列車名を「くろしお」のひらがな表記にする。
「きのくに」の登場
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)7月15日:紀勢本線全通に伴い、以下のように変更する。
- 「きのくに」が毎日運行の臨時列車1往復増発。この列車には南海線難波駅発着編成を連結する。
- 天王寺駅 - 新宮駅間を運行する夜行普通列車を準急列車に格上げ。この列車に「はやたま」の名称を与える。これにより、「はやたま」は変則的ながらも上下1往復の体裁が整う。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)3月1日:ダイヤ改正に伴い、「臨時南紀」を「南紀」に編入。これにより、「南紀」3往復体制となる。また、昼行列車の一部に南海線難波駅発着の編成を連結を開始。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)10月1日:ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「南紀」の難波駅発着を増発。昼行の全列車が天王寺駅・難波駅 - 新宮駅間の運行となる。
- 「きのくに」を1往復増発 4往復体制を採る。
特急「くろしお」の登場
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)10月1日:「くろしお」を天王寺駅 - 白浜駅、天王寺駅 - 新宮駅間で各1往復ずつ増発。これにより、3往復で運行。また「くろしお」の列車号数を下り天王寺駅行きを奇数、上り名古屋駅行きを偶数とする。
- 1968年(昭和43年)10月1日:和歌山駅を発着し紀勢本線内で完結する急行列車のうち、阪和線・南海線直通の急行列車の名称として「きのくに」の名称が与えられる。これにより、「きのくに」は定期列車では天王寺駅発10本、天王寺駅行き8本、季節列車3往復、難波駅発着は定期列車3往復、季節列車1往復の体制となる。「南紀」の名称は廃止。
- 1969年(昭和44年)10月1日:「きのくに」が天王寺駅 - 白浜駅間運行の臨時列車を1往復増発する。
- 1970年(昭和45年)10月1日:白浜発天王寺行の「くろしお」を季節列車として1本増発。また、天王寺駅 - 白浜駅間運行の1往復を季節列車化する。
- 1971年(昭和46年)11月2日:天王寺駅 - 紀伊勝浦駅間を運行する臨時特別急行列車として「ブルースカイ」が運行される。
- 1972年(昭和47年)3月15日:「くろしお」の白浜駅発着列車を新宮駅発着に変更し、新宮駅発着3往復、名古屋駅発着1往復の4往復体制となる。
- 1972年(昭和47年)10月2日:「きのくに」の1往復を「くろしお」に格上げ、天王寺駅 - 白浜間1往復増発。5往復体制となる。
- 1973年(昭和48年)10月12日
「きのくに」の縮小と運転終了まで
- 1978年(昭和53年)10月2日:紀勢本線和歌山駅 - 新宮駅間の電化完成に伴い、以下のように変更。
- 1980年(昭和55年)10月1日:「きのくに」の3往復を格上げする形で天王寺駅 - 白浜駅間に「くろしお」を3往復増発。これにより、「くろしお」は10往復、「きのくに」は季節列車を含めて6往復となる。
- 1982年(昭和57年)
- 5月17日:関西本線名古屋駅 - 亀山駅間電化に伴い、以下のように変更する。
- 「くろしお」白浜駅発着1往復を季節列車化し、定期列車としては9往復に減便する。また、従来新宮駅発着の季節列車を白浜駅発着とする。
- 「きのくに」の鳥羽駅乗り入れを終了し、天王寺駅・難波駅 - 白浜駅・新宮駅・熊野市駅間及び紀伊田辺発新宮行のみの運行となる。
- 11月15日:「きのくに」の天王寺駅 - 新宮駅間運行の夜行列車を季節列車化する。
- 1984年(昭和59年)2月1日:「きのくに」の夜行列車廃止。この時には「きのくに」は天王寺駅発は3本、天王寺駅行き5本・難波駅発着は2往復であった。
- 1985年(昭和60年)3月14日:「きのくに」を「くろしお」に昇格して4往復増発。これにより、13往復体制となる。これに伴い「黒潮号」以来の南海線難波駅発着列車は運行を終了することとなった。
- 2003年(平成15年)10月11日・12日:紀勢本線電化25周年を記念して、急行「きのくに」を天王寺駅 - 新宮駅間でリバイバル運転。
脚注
参考文献
- 竹田辰男『阪和電気鉄道史』鉄道資料保存会 1989年 ISBN 4-88540-061-9