おはようテレビ朝日
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おはようテレビ朝日(おはようテレビあさひ)は、テレビ朝日で1981年3月30日から1985年9月27日までにかけて放送された朝の情報番組である。放送時間は平日の7:15 - 8:30(JST)。
番組概要
それまで朝の時間帯に、子供向けのアニメや『徹子の部屋』の再放送などを放送していたテレビ朝日が、同局の準キー局であるABCが既に放送していた『おはよう朝日です』(以下、おは朝)を範に取り、本格的に朝の生番組に乗り出した番組。
歴代の司会者
期間 | メイン | 女性サブ | テレビ朝日アナウンサー | |||
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男性 | 女性 | |||||
1981.4 | 1982.3 | 大野しげひさ 押阪忍 |
中川由美子 | 吉澤一彦 古舘伊知郎1 |
坪内純子1 南美希子1 | |
1982.4 | 1983.3 | 広川太一郎 | 古川柳子 | 吉澤一彦 | (不在) | |
1983.4 | 1984.3 | 迫文代 | 迫文代1 | |||
1984.4 | 1984.9 | 友竹まり | 吉澤一彦 辻義就1・2 |
迫文代1 | 宮嶋泰子 | |
1984.10 | 1985.3 | 広川太一郎 三遊亭楽太郎3 |
頼近美津子 | 小林一枝1 山口容子1 | ||
1985.4 | 1985.9 | 辻義就1・2 | ||||
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- 備考
- 吉澤は当番組降板後の1985年4月から半年間、週末朝の『ANNニュースセブン』を担当し、その後も次番組の『やじうま新聞』など朝の情報番組を通算30年近くに渡り担当し続けた。
- エレクトーン演奏者
- 1981.4 - 不明:あさいじゅんこ、あらきじゅんこ
- 1982 - 1984:おおさきみちの
- 不明 - 1984.3:こいしみみ
主なコーナー
- やじうま新聞
- 朝刊各紙の紹介。現在も続く『やじうま』番組の走り。
- 今日のメンタル占い
- みどりの窓口
- 国鉄提供の空席情報と交通情報コーナー。以前は6:45からの独立した番組だったが、6:00台に『おはよう!CNN』が開始されたため、この番組内のコーナーとして放送される。テンプレート:Main
- 交通情報
- 首都圏の道路情報を中心に、電話やヘリコプター中継などを駆使した詳細な情報を放送。
- ワンポイントコミュニケーション
- ウィークアングル
- 旅をはじめとしたタウン情報コーナー。
- 築地HOT情報
- 築地市場から毎朝生中継を行い、お買い得な生鮮食品の情報を紹介。番組のステッカーが貼られた鮮魚店では、その日紹介された鮮魚が他店より安く買える特典があった。
- ヘリコプター生中継
- 放送開始時間から終了時間まで随時放送(後述)。
ヘリコプター生中継
- この番組の大きな特徴だったのは、毎朝ヘリコプターからの生中継。番組ではヘリコプターを「おはよう号」として、首都圏各地からの上空リポートで、朝の風景はもちろんのこと、緊急の事件や事故などの情報を生で伝えていた。中でも道路事故などの情報では威力を発揮し、現場だけでなくその事故の影響による渋滞情報なども伝えていた。リポーターは脇坂京子、えもりえりこ(ともにフリーアナウンサー)が交替で担当した。
- また、この番組があることで「おはよう号」の待機するヘリポートには、早朝から整備士やパイロット、カメラマンが常駐。従って事件・事故の発生時には即、離陸し、現場上空からの映像を送り出すことが可能になった。
- ヘリコプターを巡るエピソードも様々あるが、特に大きなものとしては1982年2月の東京・羽田沖の日航機墜落事故が挙げられる。この事故発生時刻が放送終了時間の直後ということもあり、放送を終え、駐機地であるヘリポートへ戻る途中であったヘリコプターが現場上空に急行し、他局よりも早く、この番組に続く8:30からの生放送「溝口泰男モーニングショー」の中で、現場からの映像を届けた。