白子駅
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白子駅(しろこえき)は、三重県鈴鹿市白子駅前にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅である。
概要
鈴鹿市南東部に位置し、市街地のひとつである白子地区の中心駅である。
市内で最も利用客の多い駅であるが、『鈴鹿市』の名は市役所最寄り駅の近鉄鈴鹿線・鈴鹿市駅(鈴鹿市神戸)に譲った形となっている。これは名古屋線が市役所のある神戸地区を避けて通っているためである。そのため近鉄の路線では当駅が市の玄関口となっており、市内の近鉄の駅で唯一特急が停車する。
2012年現在、当駅西口の駅前広場では再開発整備事業が行われている。駅前広場の拡幅工事やバス乗り場の改良、キスアンドライドのための駐車スペースの設置、広場への接続道路の改良が行われている。
駅構造
島式ホーム2面4線を持つ待避可能な地上駅で、橋上駅舎を有する。ホーム有効長は8両分。改札口は1ヶ所のみ。駅出入口は東西双方に1ヶ所ずつある。便所は改札内橋上駅舎内にあり、男女別の水洗式。車椅子にも対応したものもある。
のりば
1・2 | テンプレート:Color名古屋線(下り) | 津・大阪・神戸・鳥羽・賢島方面 |
---|---|---|
3・4 | テンプレート:Color名古屋線(上り) | 四日市・桑名・名古屋方面 |
内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線である。なお、営業列車での使用例はないが、4番のりばからは伊勢中川方面への出発も可能である。
特徴
- 名伊・名阪甲特急(近鉄名古屋線内を途中津駅のみ停車する特急)以外の全ての列車が停車する。
- 鈴鹿サーキットでF1日本グランプリが開催される時は当駅発着の臨時特急・臨時急行が運転される。
- 自動改札機は日本信号製が設置されている。赤い自動改札機は出場時2枚一括処理、PiTaPa・ICOCA対応。
- スルッとKANSAIカードやJスルーカードは本来はエリア外のため使用できないが、券売機(新型のタイプ)にスルッとKANSAIカード及びJスルーカードを挿入することにより切符を購入することができる(このことは正式にはアナウンスされていない)。
- 自動精算機はタッチパネル式高額紙幣・ICカードチャージ対応機。
- 自動精算機更新後も、ICカード入金機が設置されている(千円札のみ対応)。
- 特急券及び定期券の購入が可能。
- 当駅で普通電車は特急・急行の待避のために長時間停車することが多い。また本数は少ないものの名古屋発の急行が当駅で特急の待ち合わせをすることがある。
- 深夜に1本当駅終着の普通列車が、早朝に当駅始発の急行・普通列車が存在する。このため、普通列車の夜間停泊が1本設定されているが、急行は当駅で停泊せず、早朝に白塚駅から回送され、当駅始発の急行として運転される。
- かつて近鉄難波発名古屋行き特急に併結されていた湯の山温泉行き特急は当駅で切り離された(分岐点の近鉄四日市駅の湯の山線ホームが6両分しか有効長がない上、有効長の長い名古屋線ホームから湯の山線へ入線できないため)。同様に、毎日午後に設定されていた湯の山温泉駅発の難波行き特急も当駅で名古屋発の難波行き特急と併結されていた。
- 当駅には駅長が置かれており、長太ノ浦駅 - 白塚駅間と、鈴鹿線の各駅を管理している[1]。
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 8,359 |
1998年 | 8,074 |
1999年 | 7,855 |
2000年 | 7,843 |
2001年 | 7,678 |
2002年 | 7,568 |
2003年 | 7,516 |
2004年 | 7,492 |
2005年 | 7,568 |
2006年 | 7,589 |
2007年 | 7,464 |
2008年 | 7,396 |
2009年 | 7,208 |
2010年 | 7,266 |
2011年 | 7,356 |
2012年 | 7,510 |
白子駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 2008年11月18日の調査結果によると、1日の利用客は13,569人(前回2005年11月8日の調査では13,392人)。
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、54位。
- 名古屋線の駅(44駅、他線接続駅含む)の中では、6位。
- 三重県内の近鉄の駅(116駅、但し調査当時の数)の中では、7位。
- 2008年11月18日の調査結果によると、1日の利用客は13,569人(前回2005年11月8日の調査では13,392人)。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(白子駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 771,900 | ←←←← | 351,374 | 1,123,274 | |||
1951年(昭和26年) | 863,490 | ←←←← | 378,262 | 1,241,752 | |||
1952年(昭和27年) | 807,210 | ←←←← | 392,903 | 1,200,113 | |||
1953年(昭和28年) | 835,890 | ←←←← | 446,691 | 1,282,581 | |||
1954年(昭和29年) | 833,130 | ←←←← | 476,525 | 1,309,655 | |||
1955年(昭和30年) | 892,800 | ←←←← | 470,514 | 1,363,314 | |||
1956年(昭和31年) | 984,660 | ←←←← | 491,195 | 1,475,855 | |||
1957年(昭和32年) | 1,016,250 | ←←←← | 496,237 | 1,512,487 | |||
1958年(昭和33年) | 1,064,280 | ←←←← | 468,555 | 1,532,835 | |||
1959年(昭和34年) | 1,157,100 | ←←←← | 438,257 | 1,595,357 | |||
1960年(昭和35年) | 1,293,570 | ←←←← | 446,057 | 1,739,627 | |||
1961年(昭和36年) | 1,420,260 | ←←←← | 503,805 | 1,924,065 | |||
1962年(昭和37年) | 1,689,600 | ←←←← | 549,469 | 2,209,069 | |||
1963年(昭和38年) | 1,751,250 | ←←←← | 560,158 | 2,311,408 | |||
1964年(昭和39年) | 1,908,840 | ←←←← | 601,393 | 2,510,233 | |||
1965年(昭和40年) | 1,944,300 | ←←←← | 622,353 | 2,566,653 | |||
1966年(昭和41年) | 1,980,330 | ←←←← | 675,599 | 2,655,929 | |||
1967年(昭和42年) | 1,992,960 | ←←←← | 724,567 | 2,717,527 | |||
1968年(昭和43年) | 2,016,810 | ←←←← | 852,119 | 2,868,929 | |||
1969年(昭和44年) | 2,042,250 | ←←←← | 899,418 | 2,941,668 | |||
1970年(昭和45年) | 2,106,000 | ←←←← | 953,855 | 3,059,855 | |||
1971年(昭和46年) | 2,038,020 | ←←←← | 976,878 | 3,014,898 | |||
1972年(昭和47年) | 2,050,440 | ←←←← | 1,035,562 | 3,086,002 | |||
1973年(昭和48年) | 2,011,500 | ←←←← | 1,119,976 | 3,131,476 | |||
1974年(昭和49年) | 2,254,200 | ←←←← | 1,153,643 | 3,407,843 | |||
1975年(昭和50年) | 2,281,560 | ←←←← | 1,188,121 | 3,469,681 | |||
1976年(昭和51年) | 2,154,750 | ←←←← | 1,153,312 | 3,308,062 | |||
1977年(昭和52年) | 2,136,810 | ←←←← | 1,188,019 | 3,324,829 | |||
1978年(昭和53年) | 2,154,660 | ←←←← | 1,219,314 | 3,373,974 | |||
1979年(昭和54年) | 2,131,140 | ←←←← | 1,233,275 | 3,364,415 | |||
1980年(昭和55年) | 2,140,470 | ←←←← | 1,268,399 | 3,408,869 | |||
1981年(昭和56年) | 2,124,660 | ←←←← | 1,273,013 | 3,397,673 | |||
1982年(昭和57年) | 2,065,050 | ←←←← | 1,291,162 | 3,356,212 | 11月16日 | 14,587 | |
1983年(昭和58年) | 2,043,990 | ←←←← | 1,270,441 | 3,314,431 | 11月8日 | 16,200 | |
1984年(昭和59年) | 1,970,010 | ←←←← | 1,233,066 | 3,203,076 | 11月6日 | 16,291 | |
1985年(昭和60年) | 1,964,550 | ←←←← | 1,273,925 | 3,238,475 | 11月12日 | 14,718 | |
1986年(昭和61年) | 1,987,980 | ←←←← | 1,291,681 | 3,279,661 | 11月11日 | 14,258 | |
1987年(昭和62年) | 1,977,180 | ←←←← | 1,293,259 | 3,270,439 | 11月10日 | 14,337 | |
1988年(昭和63年) | 1,988,910 | ←←←← | 1,321,070 | 3,309,980 | 11月8日 | 14,803 | |
1989年(平成元年) | 2,029,380 | ←←←← | 1,421,339 | 3,450,719 | 11月14日 | 16,058 | |
1990年(平成2年) | 2,078,280 | ←←←← | 1,474,538 | 3,552,818 | 11月6日 | 18,036 | |
1991年(平成3年) | 2,112,690 | ←←←← | 1,516,219 | 3,628,909 | |||
1992年(平成4年) | 2,096,100 | ←←←← | 1,453,527 | 3,549,627 | 11月10日 | 16,074 | |
1993年(平成5年) | 2,114,940 | ←←←← | 1,412,143 | 3,527,083 | |||
1994年(平成6年) | 2,092,860 | ←←←← | 1,372,566 | 3,465,426 | |||
1995年(平成7年) | 2,082,600 | ←←←← | 1,372,087 | 3,454,687 | 12月5日 | 15,792 | |
1996年(平成8年) | 1,959,690 | ←←←← | 1,370,138 | 3,329,828 | |||
1997年(平成9年) | 1,770,840 | ←←←← | 1,280,300 | 3,051,140 | |||
1998年(平成10年) | 1,715,490 | ←←←← | 1,231,561 | 2,947,051 | |||
1999年(平成11年) | 1,676,250 | ←←←← | 1,198,716 | 2,874,966 | |||
2000年(平成12年) | 1,675,170 | ←←←← | 1,187,486 | 2,862,656 | |||
2001年(平成13年) | 1,630,050 | ←←←← | 1,172,595 | 2,802,645 | |||
2002年(平成14年) | 1,611,660 | ←←←← | 1,150,651 | 2,762,311 | |||
2003年(平成15年) | 1,608,540 | ←←←← | 1,142,335 | 2,750,875 | |||
2004年(平成16年) | 1,604,520 | ←←←← | 1,130,173 | 2,734,693 | |||
2005年(平成17年) | 1,603,560 | ←←←← | 1,158,590 | 2,762,150 | 11月8日 | 13,392 | |
2006年(平成18年) | 1,624,320 | ←←←← | 1,145,742 | 2,770,062 | |||
2007年(平成19年) | 1,619,490 | ←←←← | 1,112,180 | 2,731,670 | |||
2008年(平成20年) | 1,633,830 | ←←←← | 1,065,821 | 2,699,651 | 11月18日 | 13,569 | |
2009年(平成21年) | 1,626,930 | ←←←← | 1,003,875 | 2,630,805 | |||
2010年(平成22年) | 1,663,410 | ←←←← | 988,738 | 2,652,148 | 11月9日 | 13,825 | |
2011年(平成23年) | 1,701,360 | ←←←← | 991,107 | 2,692,467 | |||
2012年(平成24年) | 1,706,550 | ←←←← | 1,034,552 | 2,741,102 | 11月13日 | 13,095 |
駅周辺
- 白子港
- 三重県立白子高等学校
- 鈴鹿市立白子小学校
- 鈴鹿白子本町郵便局
バス路線
乗場 | 系統 | 主要経由地 | 行先 | 運行会社 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 01 | 中旭が丘1丁目、野田、イオンモール鈴鹿正門前 | 平田町駅 | 三重交通 | |
03 | 中旭が丘1丁目、野田 | 鈴鹿サーキット | 三重交通 | ||
2 | 02 | 南玉垣、西玉垣、鈴鹿市駅 | 鈴鹿中央病院 | 三重交通 | |
05 | 南玉垣、桜島四丁目 | 鈴鹿中央病院 | 三重交通 | ||
南玉垣、アピタ鈴鹿店 | 鈴鹿中央病院 | ||||
直通 | 稲生高校 | 三重交通 | 学休日運休 | ||
東京高速 | 立川駅北口、新宿駅西口、池袋駅東口、大宮駅西口 | 西武バス大宮営業所 | 三重交通 三交伊勢志摩交通 西武観光バス |
夜行 | |
YCAT・池袋駅東口・大宮駅西口 | 西武バス大宮営業所 | 夜行 | |||
白子・平田線 | 稲生局前、徳田駅、国府台東 | イオンモール鈴鹿 | C-BUS | ||
WILLER EXPRESS | 新宿駅西口 | 川崎駅 | ベイラインエクスプレス | 夜行 | |
JAMJAMライナー | YCAT、高速バス西新宿 | 東京ディズニーランド・バス・ターミナル・アネックス | ジャムジャムエクスプレス | 夜行 | |
高速バス白子 | キラキラ号 | YCAT | 新宿駅西口 | 旅バス | 昼行 |
新宿駅西口 | 夜行 |
- 三重交通、C-BUSのバス停名は白子駅西
- ベイラインエクスプレス、ジャムジャムエキスプレスのバス停名は白子駅西口。
- 高速バス白子の乗り場は白子ストーリアホテル内駐車場
歴史
- 1915年(大正4年)9月10日 - 伊勢鉄道の白子 - 一身田町(現・高田本山)間開通時に開業。開業当初の終着駅でもある。
- 1916年(大正5年)1月12日 - 伊勢鉄道の千代崎 - 白子間延伸により、途中駅となる。
- 1926年(大正15年)9月12日 - 社名変更により伊勢電気鉄道の駅となる。
- 1936年(昭和11年)9月15日 - 会社合併により参宮急行電鉄伊勢線の駅となる。
- 1938年(昭和13年)12月7日 - 線路名称改定。名古屋線の所属となる。
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道との会社合併により、関西急行鉄道の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)と合併、近畿日本鉄道の駅となる。
- 1979年(昭和54年)3月20日 - 橋上駅化。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
- 2008年(平成20年)4月23日 - 自動精算機をタッチパネル式高額紙幣・ICカードチャージ対応機に更新。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 名古屋線
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 『HAND BOOK 2010』、近畿日本鉄道総合企画部編、2010年9月