武田尾駅
武田尾駅(たけだおえき)は、兵庫県宝塚市玉瀬字イズリハにある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線の駅である。
アーバンネットワークおよび「JR宝塚線」の愛称区間に含まれている。
概要
武庫川の直上に架けられた橋梁とトンネルで構成されている。かつて武庫川にダムの建設が計画されていた関係で、川からホームまではかなりの高さがある。駅舎のある北側は馳渡山の山麓に位置する。
当駅から西に徒歩10分ほどの距離の地区には武田尾温泉の温泉郷が広がっており、その玄関口でもある。
駅構造
2面2線の相対式ホームを持つ高架駅。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。改札口からホームへは階段を上がる必要がある。
ホームの南半分は橋梁(第二武庫川橋りょう)上、北半分はトンネル(第1武田尾トンネル)内にある。また、橋梁の大阪寄りは西宮市域である。
宝塚駅が管理する無人駅だが、ICOCA(および相互利用対象のICカード)が利用可能で、自動券売機および自動改札機(集札機能のない簡易型)が設置されている。
なお、旧線時代は1面2線の島式ホームで、武庫川と県道を跨ぐ神戸水道の水道管の真下に三田方面へと通じるポイントが敷設されていた。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:ColorJR宝塚線 | 下り | 三田・篠山口方面 |
2 | テンプレート:ColorJR宝塚線 | 上り | 宝塚・大阪・北新地方面 |
- 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
ダイヤ
日中は1時間あたり4本が停車する(全て普通)。朝ラッシュ時の大阪方面は本数が多い。
利用状況
当駅には古くから北に離れた西谷地区からの路線バス(後述)が乗り入れているが、過疎化や宝塚市街地への道路が整備されたことから利用者は減少しており、宝塚市内の駅では最も利用者が少ない。
兵庫県統計書[1]及び西宮市統計書[2]によると、近年の1日平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1995年 | 489 |
1996年 | 481 |
1997年 | 591 |
1998年 | 723 |
1999年 | 721 |
2000年 | 730 |
2001年 | 720 |
2002年 | 660 |
2003年 | 646 |
2004年 | 609 |
2005年 | 563 |
2006年 | 549 |
2007年 | 574 |
2008年 | 564 |
2009年 | 589 |
2010年 | 572 |
2011年 | 573 |
2012年 | 572 |
駅周辺
駅前には武庫川の渓谷と山々が広がるのみ。
バス路線
阪急田園バスが乗り入れており、市北部の西谷・東部・波豆方面へと向かう路線を運行している。バス停の名称は「JR武田尾」。
当駅付近はかつて道路環境が悪く、鉄道以外ではアクセスの困難な陸の孤島とも言われていた。その後に道路の整備が進んだことから、1924年からは地元資本の「西谷自動車」が宝塚市北部の西谷地区から当駅までのバス路線を開業し、当地に乗り入れるようになった。
西谷自動車が阪急田園バスとなった現在も、当駅と西谷地区を結ぶ系統は同社の主力路線として重要な役割を果たしている。
旧線について
開業当初は、阪急田園バスのバス停がある武庫川の沿道が旧線であった。当駅周辺は山間の狭いV字谷となっているため、建設工事や落石防止などの護岸工事、そして保線作業が大変な区間であった。福知山線の大半のトンネルがこの周辺に集中しており、現在でも当時の護岸工事の痕跡が多数存在する。
1986年に当駅を含む宝塚駅 - 三田駅の新線が整備され、旧線が廃線になるとその直後から口コミが広がり、今では人気のハイキングコースとなっている。
廃線直後は旧国鉄により「立入禁止」の措置が執られ、入口に柵が設置されたが、にもかかわらずハイキング利用者が増加したため、1990年にハイカーが自己責任を負うことを条件に開放された[4][5]。
2008年8月10日には、西宮市内のトンネル近くですれ違ったハイカーが岩場に転落・死亡するという事故が起こったため、これを機にJR西日本は対策を行ったが、ハイカーからなる団体に反対され、決定的な対策が講じられないまま現在に至っている。宝塚市も財政難であるため、整備が難しいのが現状である。
コース上の落石対策等の安全対策は万全ではなく、途中には照明のないトンネル(長いもので300 - 400m程度あるため、懐中電灯などの明かりになるものは必携)、当時のままの古い鉄橋や枕木などがそのまま放置されているなど足場が悪く、安全には十分留意する必要がある。また、当駅 - 生瀬駅間のコース途中に抜け道は存在しないため、体調はもちろんのこと、水場やトイレ、食料や飲み物についても考慮する必要がある。常に山間のコースであるため、携帯電話の電波は弱い(機種によっては圏外)。
後に、武田尾側の200m程度は遊歩道として整備され、入口付近にトイレが設置された。
歴史
当駅付近の福知山線は、元々武庫川に沿って単線・非電化の線路が敷かれており、列車交換のため長時間停車する鈍行列車も珍しくなかった。
その後、1980年代の複線・電化を機に現在の新線に架け替えられてからは、大阪方面への高速運転が行われている。列車の本数も大幅に増加した。
- 1899年(明治32年)1月25日 - 阪鶴鉄道の有馬口駅(現・生瀬駅) - 三田駅間延伸により開業。旅客・貨物取扱開始。
- 1907年(明治40年)8月1日 - 阪鶴鉄道国有化。国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。阪鶴線所属駅となる。
- 1912年(明治45年)3月1日 - 線路名称改定。阪鶴線の福知山駅以南が福知山線に改称し、当駅もその所属となる。
- 1971年(昭和46年)3月1日 - 貨物取扱廃止。
- 1986年(昭和61年)8月1日 - 当駅を含む生瀬駅 - 道場駅間の新線切り替えに伴い、駅を移転。同時に無人駅化された(同年11月1日に電化。代わりに西宮名塩駅に駅員を配置)。旧駅跡は道路として整備された。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 2003年(平成15年)11月1日 - ICカード・ICOCAの供用開始。
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- テンプレート:ColorJR宝塚線(福知山線)
- テンプレート:Color丹波路快速・テンプレート:Color快速
- 通過
- テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color丹波路快速・テンプレート:Color快速
脚注
関連項目
- 西村京太郎の著作。『急行だいせん殺人事件』において、通過駅ながら当駅の名が挙げられている。