帆足和幸

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テンプレート:Infobox baseball player 帆足 和幸(ほあし かずゆき、1979年7月15日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

福岡県小郡市出身。地元の少年野球チーム「立石ファイターズ」で野球を始め、小郡市立立石中学校を経て福岡県立三井高等学校へ入学。2年生の時に筑後地区大会で高校初の優勝に導く。卒業後は九州三菱自動車硬式野球部に進み、主力左腕投手として台頭した。テンプレート:By第71回都市対抗野球大会では九州予選で敗れたが、三菱重工長崎硬式野球部に補強され、2回戦の対Honda鈴鹿硬式野球部戦に登板した(当時の背番号は47)。同年秋に3位でドラフト指名を受け、西武ライオンズに入団。入団当時の背番号は48

西武時代

テンプレート:By3月27日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(グリーンスタジアム神戸)でプロ初登板を果たすが、これは先発だった西崎幸広の負傷退場を受けての緊急登板で、4回1/3を4失点するも[1]初勝利を果たす。この勝利はチームの21世紀初勝利でもあり、その年に入団した新人選手の初白星でもある[2]

テンプレート:Byは二軍で勝率第一位投手を獲得した(勝率.875)。翌年は一軍で先発と中継ぎで起用され、4勝を挙げてプロ初セーブも記録した。

テンプレート:Byは前半戦こそ昇格と降格を繰り返したが、後半戦からアテネオリンピックの出場によって松坂大輔が離脱したことや、チームの柱である西口文也が故障で離脱する中、先発ローテーションの一角を担った。この年は10勝3敗と初の二桁勝利を挙げ、プレーオフと日本シリーズにも登板した。

テンプレート:Byは松坂・西口と共に先発3本柱の一角としてローテーションに定着し、規定投球回に到達。7月18日の対オリックス・バファローズ戦(インボイスSEIBUドーム)で初完封も記録し、2年連続となる2桁勝利・自己最多となる13勝(8敗)を挙げた。以前から工藤公康と同じ背番号47を希望しており、シーズン終了後に細川亨から47番を譲り受けることが決まった。

テンプレート:By、左肩痛の影響で5月に登録抹消。2週間後に一軍復帰するも7月26日に再び登録抹消され、この年は結局5勝で終わった。

テンプレート:Byに選手会副会長に就任したが、前年の怪我の影響で開幕二軍でスタート。7月1日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(西武ドーム)で1年ぶりとなる勝利を挙げた。その後もローテーションを守り続けたが味方の援護に恵まれない試合が多く、2勝7敗に終わり、5年連続で防御率4点台を記録した。

テンプレート:Byの春季キャンプでチェンジアップを習得。開幕当初こそローテーション6番目扱いだったが、試合を壊すことなく安定した投球を続け、5月4日の対千葉ロッテマリーンズ[3]、5月11日の対オリックス戦で西武の左腕投手では工藤公康1992年)以来となる2試合連続完封勝利を挙げ、開幕6連勝を成し遂げるなど渡辺久信小野和義から絶大なる信頼を勝ち取った。交流戦ではチーム最多イニングを投げ、唯一の防御率2点台であった。

この年の北京オリンピック野球日本代表の追加候補にG.G.佐藤と共に指名され、6月20日に発表された最終代表候補からは一度外れたものの、負傷で同じく漏れていた森野将彦中日ドラゴンズ)と共に選ぶ可能性を示唆され、「左投手の補強」「リリーフ経験もある」として最後まで代表候補だった。

8月10日の対北海道日本ハムファイターズ戦で3年ぶり3度目となる二桁勝利を挙げた。後半戦は不運な負けが続いたが先発登板数はチーム最多、最終的には11勝を挙げてチーム随一の安定感を誇ったほか、自己最多の174回2/3を投げ、同リーグ4位となる防御率2.63の好成績を残した。また、完封勝利数3は両リーグを通じて単独最多である。被安打も投球回数を下回り、174回2/3で四球も38個と少なかった。

テンプレート:Byは試合を作りながらも打線の援護に恵まれず、守備に足を引っ張られる試合も見られた。5月9日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)では完封を逃すも、9回途中1失点の好投でシーズン初勝利をあげ、地元福岡での初勝利を達成した[4]9月25日には5試合連続完投を記録し[5]、9月の月間成績は4試合4完投勝利、防御率0.50(無四球完封2回・1失点完投2回)で自身初の月間MVPに選出された。自身の2桁勝利にもあと一歩届かず9勝6敗・防御率3.59でシーズンを終えた。最終的に、被本塁打はダルビッシュ有に次ぐリーグ2位の少なさで、5完投はリーグ6位、無四球試合はリーグトップを記録した。オフに工藤公康の西武復帰が決定したことで、一時は自身が付けている背番号47を返上する意向を見せたが、工藤が背番号47を固辞して55を選択したため、翌年以降も引き続き背番号47を着用することになった。

テンプレート:By、自身のシーズン初勝利からデーゲームで7連勝を記録、一時はダルビッシュ有を凌いで防御率1位になった。しかしその後は勝ち星を挙げられなくなった。それでも中盤から終盤にかけて調子を徐々に取り戻し、2年ぶりの2桁勝利を達成した。

テンプレート:By、選手会長に就任。この年も先発ローテーションの一角を担い、年間を通じて安定した投球を見せたが、2ケタ勝利にあと一歩届かなかった。同年5月中旬に国内FA権を獲得し、シーズン終了後の11月25日に行使を表明後、12月13日に福岡ソフトバンクホークスへの移籍を表明する[6]

ソフトバンク時代

テンプレート:By4月15日ロッテ戦で移籍後初登板を果たしたが、3回持たず4失点(自責点4)[7]。その後左肩腱板(けんばん)の炎症で二軍でも長期に渡って投げる事ができず、結局一軍での登板は4月の1試合のみで、0勝1敗に終わった。オフの12月4日にオリックスからFAで加入した寺原隼人の入団に伴い、背番号が11から西武時代に着用していた47に変更になった。契約更改では、2年契約のため、現状維持の1億1000万円でサインした。契約更改の後の会見では、「2桁勝利はノルマだったので、残念」と語っていた。

テンプレート:By、今季2試合目の登板となった4月17日の楽天戦に先発し5回を無失点に抑え、2011年9月29日以来、566日ぶりの勝利となる移籍後初勝利を挙げた[8]。最終的にはチーム2位となる8勝を挙げたが、防御率は4点台後半と安定感を欠いた。

テンプレート:Byはオープン戦の不調で開幕2軍スタートとなった。

プレースタイル

スリークォーターの変則的なフォームから投げられる平均球速は約138km/h[9]、最速146km/hのクセのある速球に、代名詞とも呼べるキレのあるパームボールカーブシュートなど多彩な変化球を使い、打者の低めに集める制球力や、思い切りのよいインコース攻め、ランナーを背負ってからの粘り強い投球などが持ち味である。

テンプレート:要出典範囲。帆足のパームは軌道がスライダーに似ているため、スライドパームとも呼ばれる[10]テンプレート:要出典範囲

テンプレート:要出典範囲

人物

テンプレート:スポーツ選手の出典明記

  • 性格から人望があり、西武時代の2011年には選手会長を務めた。
  • 性格はとても明るく、平尾博嗣からは「誰に対しても垣根が無くて人が好きで、だから僕に絡んでくる。本当に面白いヤツ。クールなイメージの他の投手陣とはちょっと違うタイプ」と評される。その性格もあって、西武時代は若手投手陣を牽引していた。
  • 涌井秀章と仲が良く、いつもトレーニングやキャッチボールを共に行うほか、シーズン中には「いま何勝?」「最近勝ってないよね。」など冗談も言い合い、互いに勝ち星を競い合っている。プロ入り前から憧れている選手として高橋建を挙げ、投球方法の映像を取り寄せるなどして参考にもしている。
  • 長髪がトレードマークだったが、2011年から選手会長就任したのを機にショートヘアにした。
  • 漫画「ONE PIECE」の大ファンで、西武時代は涌井秀章高山久と共にONE PIECE会を結成するほどである。ちなみに帆足はONE PIECE会の会長だった。
  • 左投左打だが、食事と筆記は右利きである。
  • 高校時代はレスリング選手の池松和彦と3年間同じクラスであった[11]

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 西武 8 4 0 0 0 1 3 0 -- .250 125 23.0 38 3 20 0 1 21 1 1 32 23 9.00 2.52
テンプレート:By2 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 37 9.0 12 0 0 0 0 6 0 0 6 6 6.00 1.33
テンプレート:By2 34 9 0 0 0 4 7 1 -- .364 431 95.2 105 11 45 2 7 73 3 1 50 49 4.61 1.57
テンプレート:By2 24 14 1 0 0 10 3 0 -- .769 475 104.2 117 11 47 2 5 80 1 0 59 50 4.30 1.57
テンプレート:By2 26 26 3 2 0 13 8 0 0 .619 677 158.2 179 13 31 1 8 121 4 0 81 71 4.03 1.32
テンプレート:By2 17 11 0 0 0 5 2 0 1 .714 334 75.1 92 11 19 0 6 50 4 0 41 39 4.66 1.47
テンプレート:By2 14 12 1 1 0 2 7 0 0 .222 333 79.2 83 9 13 0 3 40 2 0 41 38 4.29 1.21
テンプレート:By2 27 26 3 3 0 11 6 0 0 .647 724 174.2 169 13 38 1 5 115 5 0 59 51 2.63 1.19
テンプレート:By2 25 25 5 2 2 9 6 0 0 .600 692 163.0 175 10 40 1 5 126 3 0 70 65 3.59 1.32
テンプレート:By2 27 27 1 1 0 11 8 0 0 .579 692 163.1 173 13 35 1 12 104 3 0 72 67 3.69 1.27
テンプレート:By2 26 26 2 1 0 9 6 0 0 .600 691 168.2 172 10 34 1 8 102 2 0 59 53 2.83 1.22
テンプレート:By2 ソフトバンク 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 15 2.2 5 0 3 0 1 1 0 0 4 4 13.50 3.00
テンプレート:By2 19 18 0 0 0 8 7 0 0 .533 413 98.1 98 5 40 0 6 46 1 1 50 50 4.58 1.40
通算:13年 251 199 16 10 2 83 64 1 1 .565 5639 1316.2 1418 109 365 9 67 885 29 3 624 566 3.87 1.35
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

投手記録
打撃記録
節目の記録

背番号

  • 48 (2001年 - 2002年)
  • 34 (2003年 - 2005年)
  • 47 (2006年 - 2011年、2013年 - )
  • 11 (2012年)

 登場曲

脚注

  1. 「2002 ベースボール・レコード・ブック」ベースボールマガジン社 381頁
  2. 「2002 ベースボール・レコード・ブック」 ベースボールマガジン社 41頁
  3. テンプレート:Cite news
  4. テンプレート:Cite news
  5. テンプレート:Cite news 8月28日の対オリックス・バファローズ戦から。連続完投勝利は4であった。
  6. 帆足がソフトバンク入り表明=西武の残留要請断る―プロ野球朝日新聞社、2011年12月13日閲覧
  7. テンプレート:Cite news
  8. テンプレート:Cite news
  9. テンプレート:Cite book
  10. 大塚光二の2010年4月18日のBS朝日スーパーベースボール」における解説
  11. 福岡県立三井高等学校 創立90周年記念誌 17頁(2004年)

関連項目

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