名鉄豊川線
|} 豊川線(とよかわせん)は、国府駅から豊川稲荷駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の軌道路線である。全線が愛知県豊川市内にある。
豊川稲荷への参詣路線として年末年始には混雑する。全線が鉄道事業法ではなく軌道法に基づく軌道として建設されたが、全区間専用軌道で、自動閉塞を採用し、鉄道線と同じ大型の電車が運行される。ただし、開業当初は「豊川市内線」と呼ばれ、路面電車タイプの電車が充当されていた。岐阜地区の岐阜市内線・美濃町線・田神線が2005年3月31日限りで廃止された後は、名鉄唯一の軌道線となった。
運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。すべての駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。国府駅と豊川稲荷駅以外の中間駅はすべて無人駅である。
なお、『鉄道要覧』による起点は国府駅だが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、豊川稲荷駅から国府駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。
目次
路線データ
- 路線距離(営業キロ):7.2km
- 軌間:1067mm
- 駅数:5駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 交換可能駅:諏訪町駅をのぞく全駅・信号場
- 最高速度:85km/h(国府駅 - 八幡駅間)
- 最小曲線半径:200m(稲荷口駅 - 豊川稲荷駅間)
- 軌条:50kgPS、50kgN
沿線風景
国府駅を出ると、0.5キロポストの先まで名古屋本線と並行する。その後左に半径600mのカーブで本線と分かれ田園地帯を快走、開通当時白鳥駅があった地点から23パーミルの勾配を登り、1996年に完成した高架区間へ入ると付近は住宅地となり、まもなく八幡駅に到着する。駅周辺は、北側には飲食店やスーパーマーケット、南側一帯は大手メーカーや地元企業の製菓工場を擁する野路工業団地と呼ばれる工業団地が広がっている。また駅に隣接して2013年5月に豊川市民病院が移転開設された。八幡駅を出ると旧市田駅があった付近で再び地上に下り、諏訪新道信号場を過ぎると両側に道路(県道諏訪停車場線)が並行し、ほどなく諏訪町駅に到着する。付近は戦後になって公共施設や商業施設などが集積し豊川市の中心市街地として発展してきた地区である。同駅の稲荷口駅方には豊川市中心部と豊橋市を結ぶ南大通(県道豊橋豊川線)と交差する踏切があり、車がひっきりなしに通る。
諏訪町駅から稲荷口駅までは、途中の佐奈川橋梁部分以外は線路両側に道路が沿っている。1960年代までは線路と道路を仕切る柵がなかった。区間最高速度は60km/hまで下がる。稲荷口駅は一時期の終点で、かつては南側に留置線が1線あった。稲荷口駅から終点の豊川稲荷駅までは家と家の間をすり抜けるように走る。左に半径200mで急カーブしてJR飯田線の線路が近づき、姫街道の踏切を過ぎてJR豊川駅の大きな建物が見えてくると終点、豊川稲荷駅に到着である。
運行形態
平日朝は豊川稲荷発下り基準でみると、5時台が初電の1本、6時台が国府止まり1本の後名古屋本線直通の急行が3本、7時台は快速特急・特急が各1本で間に線内折り返しの普通が2本、8時台は普通ばかりの4本運行となっている。
昼間から夕方は名古屋本線直通の急行または準急と線内折り返しの普通列車(平日1本のみ名古屋本線東岡崎駅から直通)が交互に走り、毎時4往復運転されている。快速特急・特急も含めすべての優等種別列車は、線内では各駅に停車する(ただし快速特急・特急は、特急の国府駅をのぞき当線内は特別停車扱い)。土・休日の20時以降は名古屋本線直通の準急のみ毎時2本、22時以降になると平日、土・休日ともに上りは準急、下りは国府行き普通のみの毎時2本になり、最終の豊川稲荷行きのみ国府始発である。
以前は車両が国府駅で夜間滞泊のため初電前と終電後に回送列車が運行されたが、現在は終電の車両(3500系・3300系などの3000番台車両の6両)がそのまま豊川稲荷駅で夜間滞泊し翌日の初電となる。
当線内標準所要時分は全列車各駅停車で上り(豊川稲荷行き)11分30秒・下り11分45秒である[1]。
現行ダイヤでは、昼間 - 夕刻は上下列車の行き違いが八幡駅で1時間当たり4回(本線直通列車同士・線内列車同士)、稲荷口駅で同2回(上り急行または準急と下り普通)行われる。豊川線では国府駅の場内・遠方信号機をのぞきすべて2灯式信号機で、安全側線も無いため、行き違いの際は、両駅および諏訪新道信号場とも必ず一方の列車が先着してから対向列車が進入する。
国府駅では名古屋本線に接続・直通しているものの、急行に接続・直通している例が多く、特急・快速特急に接続・直通する例は少ない。現行ダイヤでは、名古屋方面行き直通列車は国府にて3分で豊橋行き急行に、逆の本線からの直通列車は豊橋駅発の特急からも5 - 7分で接続する。普通国府止まりは終点の国府にて4分で名古屋方面特急に接続するが、この列車のみ豊橋行きへの接続はない[2]。また、普通国府発は上下両方向の本線急行から接続する。
このような接続状況のため、日中に豊川稲荷駅から名古屋市内へ移動する場合、同駅から豊川線を利用するより、豊川駅からJR飯田線を利用して豊橋駅まで行き、名古屋本線の特急・快速特急、または、JR東海道本線の快速・新快速・特別快速に乗り換える方が早い場合もある。名古屋本線直通急行・準急の場合、国府駅で快速特急の通過を待って発車し、国府駅 - 名古屋駅の所要時間も1時間前後かかるため、実際には普通国府行きから特急に乗り換えるパターンが最も速く、豊川稲荷駅から名古屋駅までちょうど1時間で到達し、特急一般車で座れる確率も高い。
2011年12月17日のダイヤ改正以降の種別ごとの基本ダイヤは下記のようになっている。
快速特急・特急
快速特急・特急についての詳細は「名鉄特急」も参照。
平日朝7時台に、下り(国府・名古屋方面)にのみ一部特別車の快速特急と特急岐阜ゆきが各1本設定されている。2本共に2200系または1700-2300系による運行で、快速特急は国府から3100系または、3150系を連結した8両で運行する。なお、快速特急・特急の運用に入る車両は、上りは普通または、急行として運行する(特別車は締切)。
快速特急は通常、国府は通過(名古屋本線の快速特急の場合、豊橋から東岡崎までノンストップ)するが、豊川線内は各駅に特別停車するほか、名古屋本線の本宿駅・美合駅にも特別停車するため、東岡崎駅までは急行と同じ停車駅になっており、特急との違いは新安城駅通過の有無のみとなっている[3]。
特急は、2011年3月26日改正で一旦設定が無くなった後、2011年12月17日改正時にそれまで平日7時台に2本あった快速特急のうち豊川稲荷7:56発の列車を新安城駅に追加停車するために種別変更したものである。以前から本宿と美合に特別停車していたため、知立までは急行と全く同じ停車駅となる。2011年3月以前の状況に遡ると、まず2005年1月29日から2011年3月26日のダイヤ改正までは平日朝に2200系による一部特別車運用が1往復(上りは新鵜沼駅発、下りは名古屋駅ゆき)設定されており、登場時は2200系唯一の本線東部、豊川線定期運用であった。また、1993年8月12日から2008年12月26日までは全車特別車特急も設定されており、2005年1月28日まではラッシュ帯に毎時1本(平日朝の1本は1600系の唯一の重連運用)、末期は1000系4両編成による運行で、前日夜に名古屋から豊川稲荷行きとして運転された後国府で停泊し、翌朝豊川稲荷発新鵜沼行き(2007年6月29日までは国府で4両増結)として運行していた。線内の途中停車駅は諏訪町駅で、名古屋本線の美合駅にも特別停車していた[4]。
急行・準急
昼間は急行、朝と夕方以降は準急が毎時2本設定されており、すべて名古屋本線へ直通(基本的には、名鉄一宮駅発着)しており、線内のみの運行はない。
急行、準急共に線内は各駅に停車。準急は名古屋本線の藤川駅・男川駅にも停車し、東岡崎駅以西は急行として運行する。また、名古屋本線内では、昼間(平日のみ)は有松駅と二ツ杁駅、朝と夕方以降は大里駅にも特別停車する。一部をのぞき、上りは鳴海駅、下りは堀田駅にて特急に追い越されるほか、下りは国府駅で豊橋駅発の快速特急の通過待ちをして発車する。さらに夕方 - 夜間の上り準急は、国府駅を発車と同時に豊橋行き快速特急に追い越される。
車両は6両編成が基本(平日昼間を中心に一部は4両。鳴海駅などで増解結をする場合あり)で、3500・3700・3100系・3300・3150系による運行がほとんどであるが、6000・6500・6800系による運行もある。このため、名古屋本線内は最も最高速度の低い6000系に合わせた最高速度100km/hのダイヤとなっている。
名古屋駅との所要時間は、下りが1時間17 - 18分、上りが1時間13分というダイヤである[5]。
運行系統は1985年以降基本的に名鉄岐阜駅(本線経由)発着が基本だったが、2008年12月27日のダイヤ改正より昼間帯の一部は名鉄一宮発着に、現在は朝と夜の一部をのぞき名鉄一宮発着となっている。回送による車両交換をのぞけば、運行は3時間30分サイクルとなっている。
2005年1月29日から2008年12月27日のダイヤ改正までは、昼間帯の下りは快速急行として運行(停車駅は、名古屋本線の栄生駅・大里駅[6]を通過する以外は急行と同じ)。また、下りは国府での快速特急の通過待ちの後すぐ発車し、名古屋本線の新清洲駅まで追い越しなしで運行されており、名古屋方面への所要時間が現在よりも約8分短かった[7]。
普通
平日は21時台まで、土・休日は19時台まで線内のみ運行の普通(平日1本のみ名古屋本線東岡崎駅から直通)が毎時2本設定されている。2011年3月26日からワンマン運転が実施されており、6800系の6828F - 6839Fのワンマン対応車による2両運転で、名古屋本線・豊橋発着の急行との接続を考慮したダイヤが基本になっている。ただし、毎年1月は、後述の正月輸送のため、増結や名古屋本線の特急との接続を考慮したダイヤに変更されてきたが、現在は正月期間も通常のダイヤで運行されている。
2005年1月29日改正までは、朝と夜をのぞき普通の設定はなく、名古屋本線直通の急行のみ毎時2本だった(急行も線内は各駅にとまるため、急行が普通の役割を持っていた)。
正月・多客輸送
毎年1月になると、豊川稲荷への参拝客輸送のため、通常の急行のみのダイヤに加え線内折り返しの普通と名古屋本線直通の特急が増発(近年は毎時2往復全車特別車)運転されており、交換設備をフルに使用すれば毎時6往復の運転だった。2006年から正月豊川線直通特急は廃止となった(2005年11月15日発表)。廃止要因としては、空港線開業によって臨時特急の発着枠がミュースカイになったため名古屋付近の線路容量が限界に達したことと、年々輸送人数が減っていたこと、豊川線特急に使われる1000系や1600系が空港系統の快速特急に使われたこと(2007年以降はなし)、2007年に1000系が大量に廃車となったことなどが挙げられる。さらに遡ると線内折り返しの高速(1991年から全車一般席特急、晩年は快速急行。特急と同じく諏訪町駅にのみ停車)も設定され、線路容量を一杯に使ったネットダイヤで正月輸送を行っていた[8]。
特急増発がなくなった2006年から数年間は、2005年1月のダイヤ改正において通年運転で毎時2往復新設された線内折り返し普通(通常は6800系:2011年3月26日以降は6828F - 6839Fのワンマン対応車による2両運転)や急行(6両が基本だが日中の一部は4両で運転。ちなみに8両編成は豊川線に入れない)を正月輸送期間中に普通を4両に、急行を6両に増結することや通常は国府駅で急行に接続する線内折り返しの普通を特急に接続させることなどで、参拝客の輸送力を確保してきたが、現在は通常のダイヤで運行している。ワンマン運転の普通列車には、安全確保のためにドア扱い専任の乗務員が1名乗り込んでいる。
名鉄ハイキング開催時には線内折り返しの普通が4両で運転されることがある。
2013年11月9日、10日は豊川市で開催されるB-1グランプリin豊川にあわせ9時台から16時台まで線内折り返しの普通列車を増発し毎時6本の運転とすることで輸送力の増強を図った。両日は国府駅に快速特急豊橋行きが臨時停車し、特急豊橋行きと急行豊橋行きから普通豊川稲荷行きに接続するダイヤとし、9日は急行、準急が6両、線内折り返しの普通が4両で運転されていたが、予想を上回る来場者が詰め掛けた影響で輸送力が限界を超え、国府駅では乗り換えの客で大混雑となった。そのため、10日は線内折り返しの普通を6両にし、8時台の列車を増発する措置を取った。
歴史
戦時中現在の諏訪町駅付近に豊川海軍工廠が置かれたため、軍需物資輸送および通勤客輸送を目的に建設された。戦時中のため、レールは他線区からの流用品で賄われた(どこから流用されたかは「旧・西尾線(岡崎新 - 西尾)」[9]、「碧西線(今村 - 西尾)」[10]、「渥美線(三河田原 - 黒川原)」[11]など諸説ある)。豊川変電所は渥美線の天白変電所の機器、車両は瀬戸線や揖斐線・谷汲線の車両を転用して賄われた。
終戦後、豊川市によっていち早く路線延長の計画が進められ、1948年には運輸省の許可を得て、都市計画街路に沿う形で、市役所前駅 - 豊川駅前広場間の路線延長に取り掛かるものの、着工直前に街路の拡張に関して土地問題がこじれ、中止を余儀なくされている。
名古屋・岡崎方面からの豊川駅までの乗り入れは、1926年に伊奈駅から分岐して小坂井駅に至る小坂井支線を通り、小坂井駅から豊川鉄道線(現在の飯田線)に直通運転することで果たしており、豊川鉄道が飯田線として国有化された後も続行した。しかし、次第に豊川鉄道時代のような運行が困難となり、抜本的な輸送力増強が必要となったため、1954年に豊川線が豊川稲荷駅まで延伸、小坂井支線は廃止された。
冒頭で述べたように現在も軌道法に準拠する路線であるが、線路設備や運転取扱いは鉄道線である他路線と同格であり、使用車両の制限もない。600V時代に限っては、鉄道線車両モ100形に代わるまで軌道線車両のモ30形が運行されていた(いずれも木造単車)。1953年の昇圧後は1500V車両のほぼ全車種が入線した経歴があり、1970年代には朝ラッシュ時に3880系が運用されたり、初詣特急としてキハ8000系が入線したこともある。2005年までは8800系の団体列車が月に1回運行されていた。ただし本線系の車両のうちキハ8500系(2001年に会津鉄道へ譲渡)とレールバス(キハ30形など。2004年に全廃)、地下鉄直通車の100系と300系、および2000系だけは今まで入線した記録がない。また旧性能車の時代は2両組成が主体で、OR車(AL車4両固定組成)の入線は少なかった。過去に運用または入線したが2010年現在の時点で当線の定期運用がない車両は1000-1200系列と2扉SR車それに2代目5000系程度である。
設備面では、木製架線柱が比較的遅くまで残っていたが、2000年頃にほとんどがPC柱に更新された。途中駅・信号場の行き違い設備の分岐器は当初はすべてスプリングポイントで、正月輸送期間以外は使用せず直線側に固定されていた(つまり全線で1閉塞であった)が、1982年の自動閉塞化時に稲荷口駅をのぞいて遠隔操作化され、通年使用されるようになった。また、この時各行き違い設備に出発信号機が設置され、交換時は左側通行となっている。それまでは場内信号機のみで正月期間のみの使用、スタフ受渡しのため右側通行であった[12]。また、同じ正月輸送期間内でも、すべての行き違い設備を使用する(4閉塞に分かれる)のは毎時最大6往復を運行する1月1日 - 7日頃までの毎日と2月11日頃までの休日のみで、それ以外の同期間内の平日は諏訪新道駅(→信号場)のみ使用(2閉塞)の毎時最大4往復運転であった。
年表
- 1945年(昭和20年)2月18日:豊川市内線として国府駅 - 市役所前駅(現在の諏訪町駅)間が開業。
- 1946年(昭和21年)6月1日:野口駅を市田駅に改称。
- 1948年(昭和23年)10月15日:白鳥駅 - 市田駅間に第二師範前駅、市田駅 - 市役所前駅間に高等師範前駅開業。ただし、当初は朝夕の特定列車のみの停車(1949年9月30日まで)。
- 1949年(昭和24年)12月1日:第二師範前駅を八幡口駅に改称。
- 1953年(昭和28年)12月16日:架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。国府駅 - 八幡口駅間の白鳥駅廃止。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1972年(昭和47年)6月1日:八幡口駅・市田駅・諏訪新道駅を廃止、新設の八幡駅に統合。八幡口駅・諏訪新道駅は信号場として存続。また、線内の全駅が6両編成停車可能なホームを有するようになった。
- 1974年(昭和49年)9月17日:名鉄の白紙ダイヤ改正により、日中の運行をそれまでの東岡崎駅直通(本線内も普通。同駅で本線特急に接続)から線内折り返しのみ(国府駅で本線急行に接続)へと変更。
- 1977年(昭和52年)3月20日:従来平日朝のみであった名古屋本線直通優等列車を日中にも2往復設定(豊川稲荷行き高速・新岐阜行き急行)。
- 1982年(昭和57年):閉塞方式をスタフ閉塞から自動閉塞に変更。同時にCTCを導入し(管理駅は国府駅)途中駅および信号場の交換設備を通年使用するようになる。稲荷口駅のみを通過していた準急を廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日:日中時間帯の全列車を名古屋本線直通の急行とする(当初は犬山線経由新岐阜発着)。
- 1988年(昭和63年)1月:前年の国府駅橋上駅舎化に伴い、正月輸送で毎時7往復運行を試行(2代目3300系を使用。この年限り)。
- 1991年(平成3年)1月:前年の特急政策変更に伴い、正月輸送で「新春ライナー」「全車一般席特急」を運行。
- 1993年(平成5年)8月12日:通年運転の特急を新設。
- 1996年(平成8年)12月14日:八幡駅付近の高架化完成。これに先立ち八幡口信号場を廃止。区間最高速度を国府駅 - 八幡駅間で15km/h、八幡駅 - 諏訪新道信号場間で10km/h向上。
- 2000年(平成12年)3月21日:国府駅に毎時4本の本線特急のうち2本が停車するようになり、1990年以来不便になっていた豊橋方面との接続が改善。
- 2005年(平成17年)
- 1月29日:名鉄の白紙ダイヤ改正により、正月輸送期間の日中毎時1 - 2本あった名古屋本線直通の特急を全廃し、通年運転の普通列車を毎時2本追加する。平日朝のみ一部特別車の特急1往復を設定。土休日の全車特別車特急の運行が廃止された。
- 12月14日:諏訪町駅をのぞく全駅で、トランパスが利用可能となる。
- 2007年(平成19年)3月14日:諏訪町駅が無人化され、同駅でトランパスが利用可能となる。
- 2008年(平成20年)12月27日:快速急行を廃止し新たに準急を設定(これにより全車特別車特急の運用がなくなる)。
- 2011年(平成23年)
- 2月11日:ICカード乗車券「manaca」が利用可能となる。
- 3月26日:線内運転の普通のみすべてワンマン運転化。
- 2012年(平成24年)2月29日:トランパスの利用が終了。
駅一覧
- 全駅愛知県豊川市に所在。
- 普通は全駅に停車(表中省略)
- 停車駅は2011年12月17日からのもの。
- 快速特急、特急は平日に豊川稲荷駅発のみ各1本が存在し各駅に停車するが、特急の国府駅以外は標準停車駅ではなくすべて特別停車扱いとなっている。
- 凡例
- 停車駅 … ●:全列車停車 ▲:特別停車 |:通過
- 線路(全線単線) … |:交換不可 ∨・∧・◇:交換可能駅・信号場
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 準急 | 急行 | 特急 | 快速特急 | 接続路線 | 線路 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
国府駅 | - | 0.0 | ● | ● | ● | ▲ | 名古屋鉄道:名古屋本線(直通) | ∨ |
八幡駅 | 2.5 | 2.5 | ● | ● | ▲ | ▲ | ◇ | |
諏訪新道信号場 | - | (3.8) | | | | | | | | | ◇ | |
諏訪町駅 | 1.9 | 4.4 | ● | ● | ▲ | ▲ | | | |
稲荷口駅 | 1.6 | 6.0 | ● | ● | ▲ | ▲ | ◇ | |
豊川稲荷駅 | 1.2 | 7.2 | ● | ● | ▲ | ▲ | 東海旅客鉄道:飯田線(豊川駅) | ∧ |
東海地震への対応
豊川線では国府駅 - 豊川稲荷駅間の全線が東海地震の防災対策強化地域に含まれており、東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、列車の運行が休止されることになっている[13]。
脚注
関連項目
テンプレート:名古屋鉄道路線- ↑ 各駅の停車時分を30秒とした場合。15秒の差は主に稲荷口駅構内のポイントのため。いずれも待避時分をのぞく。かつて、正月輸送期間以外にすべて交換設備の直線側を走行していた時代には、普通列車でも11分未満で走破していた(ただし停車時分は15秒 - 20秒であった)。
- ↑ ダイヤ上は特急豊橋行きの発車から50秒後の到着で、特急が遅れると乗り換えできる場合もある。普通伊奈行きの発車までは3分あり平常ダイヤで乗り換え可能である。
- ↑ この時間帯は、名古屋方面の速達列車は特急・快速特急が中心(特に豊橋発の列車は特急・快速特急のみ)となり、急行・準急は少ないため、補完のために特別停車を増やしている。
- ↑ 2005年1月29日までは、新安城駅・国府駅も特別停車扱い(当時は快速特急は設定されていない)。
- ↑ 準急となる時間帯は豊川稲荷駅の発車が1分早いため、下りについてはこのような表記となる。なお1985年 - 2005年の間は、直通急行の豊川稲荷駅 - 新名古屋駅(現在の名鉄名古屋駅)間の所要時間は5000・7000系列の走行性能(名古屋本線内の最高速度110km/h)に基づいたダイヤで1時間5分 - 8分(特急待避の有無により2 - 3分変動)であった。1985年以前は線内折り返し列車と本線急行を乗り継いだ場合1時間14分(国府駅で6分待ち)で、現在とほぼ同水準であった。
- ↑ 当時、大里駅は急行標準停車駅。現在は朝と夕方以降の急行が特別停車。
- ↑ 当時、豊橋駅から中部国際空港駅間の特急が昼間帯に毎時1本設定されており、名古屋方面直通が1本減るため、補完する形で国府から名古屋方面へ追い越しなしで先着するダイヤになっていた。
- ↑ 1990年代は全車一般席と全車指定席の特急が一部区間続行運転となるなど、完全なネットダイヤではなく少し変則的になった。
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 1973年 - 1982年当時における毎時6往復運行の内訳は座席指定特急・特急(1978年から高速)・普通が各2往復ずつ。ネットダイヤで線内所要時分は列車種別に関わらず下りは14分、上りは19分かかっていた。
- ↑ 列車運行に支障がある場合の取扱い 名古屋鉄道