上川郡 (天塩国)
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上川郡(かみかわぐん)は、北海道(天塩国)上川総合振興局の郡。
以下の3町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町に士別市および名寄市の大部分(智恵文を除く)を加えた区域にあたる。
郡名は天塩川の上流部にあたることから命名。南に隣接する石狩国上川郡とは塩狩峠で境界を成している。
歴史
郡発足までの沿革
江戸時代の上川郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって開かれていたテシホ場所に含まれた。江戸時代後期になると文化4年南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え、上川郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり庄内藩が警固を行い、同6年の6藩分領以降は庄内藩領となっていた。
戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して上川郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 再び開拓使の管轄となる。
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての上川郡が発足。
- 明治13年(1880年)3月 - 留萌郡外六郡役所(留萌天塩中川上川苫前増毛郡役所)の管轄となる。
- 明治14年(1881年)7月 - 増毛郡外六郡役所(増毛留萌天塩中川上川苫前郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
- 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
- 明治30年(1897年)
- 明治32年(1899年)5月20日 - 上川支庁の管轄となり、剣淵村外三ヶ村(士別村・多寄村・上名寄村)戸長役場を設置。
- 明治39年(1906年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、士別村、剣淵村(いずれも二級村、単独村制)が発足。(2村)
- 明治42年(1909年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、多寄村(第1次)、上名寄村(いずれも二級村、単独村制)が発足。(4村)
- 大正2年(1913年)4月1日 - 士別村の一部(上士別)が分立して上士別村(二級村)が発足。(5村)
- 大正4年(1915年)
- 大正6年(1917年) - 人口:61,008名。マラリア患者数:118名。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 上士別村が北海道一級町村制を施行。
- 大正13年(1924年)
- 昭和2年(1927年)10月1日 - 剣淵村の一部が分立して温根別村(二級村)が発足。(2町6村)
- 昭和13年(1938年)
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道上川支庁の管轄となる。
- 昭和24年(1949年)
- 昭和27年(1952年)1月1日 - 和寒村が町制施行して和寒町となる。(4町6村)
- 昭和28年(1953年)8月1日 - 風連村が町制施行して風連町となる。(5町5村)
- 昭和29年(1954年)
- 昭和31年(1956年)4月1日 - 名寄町が市制施行して名寄市となり、郡より離脱。(3町2村)
- 昭和37年(1962年)1月1日 - 剣淵村・朝日村がそれぞれ町制施行して剣淵町・朝日町となる。(5町)
- 平成17年(2005年)9月1日 - 朝日町が士別市と合併し、改めて士別市が発足、郡より離脱。(4町)
- 平成18年(2006年)3月27日 - 風連町が名寄市と合併し、改めて名寄市が発足、郡より離脱。(3町)
- 平成22年(2010年)4月1日 - 上川支庁が廃止され、上川総合振興局の管轄となる。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 1 北海道
- 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)