ブルックリン・ネッツ
テンプレート:バスケットボールチーム ブルックリン・ネッツ(Brooklyn Nets)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークブルックリン区に本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、アトランティック・ディビジョン所属。チーム名のネッツはバスケットのゴール(ネット)の意味を持ち、創設時に同じニューヨーク市にあったMLBのメッツ、NFLのジェッツと韻を踏んでいる。
1977年にニュージャージーに移転して以来「ニュージャージー・ネッツ」と名乗っていたが、2012年に本拠地をブルックリンに移し「ブルックリン・ネッツ」に改称した。
目次
歴史
ニューヨーク・ネッツ
現在のブルックリン・ネッツの原型となるチームは、1967年にプロバスケットボールリーグABA発足時にリーグに参加したニュージャージー・アメリカンズで、ニュージャージー州ティーネックを本拠地にしていた。翌年チームはニューヨークのロングアイランドに移転し、ニューヨーク・ネッツと改称した。「ネッツ」という名称は、メジャーリーグのニューヨーク・メッツ、NFLのニューヨーク・ジェッツと韻を踏んでいるということで選ばれた。
創設から数年間はディビジョンで下位から中位ほどの順位だった。1972年にはリック・バリーを擁してABAファイナルへ進出するも、インディアナ・ペイサーズの前に敗退した。その年のオフにバリーはチームを去るが、翌1973年に「ドクターJ」の愛称で知られるスター選手のジュリアス・アービングをトレードで獲得。アービングは1年目からMVPに輝く活躍をみせ、ファイナルではユタ・スターズを破り、ネッツは初めてのタイトルを獲得した。1976年にもアービングはMVPを受賞、ファイナルではデンバー・ナゲッツを倒し二度目の優勝を飾った。
ニュージャージー・ネッツ
かねてから興業が奮わなかったABAは1975-76シーズンを最後に解散し、ネッツはナゲッツ、ペイサーズ、スパーズと共にNBAに加わった。この年ネッツはニューヨークからハドソン川を越えたニュージャージーへと移転し、チーム名をニュージャージー・ネッツと改めた。
NBAへの参加に際し、ネッツは300万ドルの加盟料を支払う義務を負い、市場が重なるニューヨーク・ニックスにも補償金として480万ドルを支払わなければならなかった。そのためネッツは、ジュリアス・アービングをフィラデルフィア・セブンティシクサーズに金銭トレードで放出するという苦渋の選択をする。300万ドルと引き換えにチームの大黒柱を失ったネッツは、その後長らく低迷することになった。
ネッツのシーズン成績は数年にわたり勝率5割に届かず、たまにプレイオフに進出できたシーズンもそこで勝ち星を上げられなかった。ダリル・ドーキンス、バック・ウィリアムスらに率いられた1984年にはNBA加入後初のプレイオフに進出して、前年のチャンピオンのフィラデルフィア・セブンティシクサーズに1回戦で勝利しカンファレンス・セミファイナルまで進んだがミルウォーキー・バックスに2勝4敗で敗れた。84-85シーズンは42勝40敗だったがプレイオフ1回戦でデトロイト・ピストンズの前に3連敗で終わった。続く7年間はプレイオフに進出できず、8年間は勝ち越せなかった。
1990年代初頭、ネッツはドラフトでデリック・コールマン、ケニー・アンダーソン、ポートランド・トレイルブレイザーズからのトレードでドレイゼン・ペトロビッチを獲得し、名将チャック・デイリーに率いられて約10年ぶりに43勝39敗と勝率5割に到達した。しかし、プレイオフでは1回戦を5試合まで戦い、復調を予感させてシーズンを終えた矢先の1993年6月、ペトロビッチが交通事故で死去するという不幸が起きた。
翌シーズンには45勝37敗と前シーズンより勝ちを増やしたもののプレイオフでは1回戦で敗退、デイリーは監督職を退いた。翌1994-95シーズンは30勝52敗と負け越しプレイオフを逃すと、アンダーソンとコールマンはチームを去り、ネッツは再編の時代に入った。1996年にドラフトでケリー・キトルズ、シーズン中にトレードでサム・キャセール、翌シーズンのドラフトでキース・バン・ホーンを獲得した。ネッツは1996-97シーズンの開幕戦で日本を訪れ、オーランド・マジックと2試合を行った。96年より大学界の名将ジョン・カリパリを監督に迎え、このシーズンは大きく負け越したものの翌シーズンは43勝39敗と勝ち越し。しかし続く1998-99シーズンの序盤で黒星を重ねたカリパリは解雇された。シーズン途中でキャセールとのトレードでステフォン・マーブリーを獲得したが、このシーズンも負け越しで終わった。
キッドの時代
2000年にはジェネラルマネージャーに元NBA役員のロッド・ソーンが就任。この年のドラフトでケニオン・マーティンを指名、翌年にはリチャード・ジェファーソンを獲得した。そして最も大きな動きとなったのが、2001年のシーズン終了後にマーブリーとのトレードでジェイソン・キッドを獲得したことだった。リーグ屈指のポイントガードであったキッドを獲得したものの、キッド以外の目立った選手の補強はなかったため戦前の評価は低かった。しかし、キッドは優れたリーダーシップを発揮しチームに染み付いた「負け犬根性」を取り払い開幕から勝利を重ねネッツは東地区屈指の強豪に急成長。勝ち星を前シーズンの倍となる52勝をマーク、リーグに驚きを与えキッドはシーズンMVP投票で2位となっている。プレイオフではネッツがNBAに参加して初めてNBAファイナルまで進出したものの、ロサンゼルス・レイカーズに0勝4敗で完敗した。
翌シーズンのネッツはバン・ホーンらとの交換でディケンベ・ムトンボを獲得しインサイドを強化、プレイオフでは再びNBAファイナルへ進出したが、この年はサンアントニオ・スパーズに2勝4敗で敗退した。
以降のネッツは、新たに台頭したデトロイト・ピストンズなどに押され決勝進出を果たしていない。2004-05シーズン開始前に、チームはキトルズとマーティンを放出し、2002年のドラフトで指名したネナド・クリスティッチを加え、さらにシーズン途中にヴィンス・カーターを獲得して新たな体制を整えた。しかしこのシーズンは5割をわずかに越える勝率に留まった。
05-06シーズンは、クリスティッチの成長やチームケミストリーの向上もあり6割近い勝率をマークしたが、翌06-07シーズンは故障者を抱えたこともあり、キッド移籍以降最低勝率で終わったが、プレイオフには6シーズン連続で進出した。
07-08シーズンに入ると勝率の低下はより顕著となり、このシーズン中に長らくチームの大黒柱であったジェイソン・キッドが移籍し、ここにキッドとカーター、ジェファーソンのビッグ3構想は周囲が期待したほどの成果を上げられぬまま解体され、プレイオフへは出場できなかった。
キッド退団後
08-09シーズン前にジェファーソンが、09-10シーズン前にカーターがチームを離れ、ビッグ3構想は完全に解体された。その後、デビン・ハリスやブルック・ロペスを中心に再建状態に入った。
09-10シーズンは、来シーズンのレブロンを筆頭とした有力FA選手の獲得に向けてさらに戦力の整理を続けリーグ最低の戦力レベルとなった。そのため開幕18連敗のNBAワースト記録を更新し、1972-73シーズンに76ersが記録した9勝73敗のシーズンワーストの勝率記録を更新する懸念が生まれた。しかし、残った選手が意地を見せ3月29日のスパーズ戦で10勝目を上げ、シーズン最低記録を免れた。
ブルックリン・ネッツ
2004年、不動産業者のブルース・ラトナーが3億ドルでネッツを買収し、翌2005年にニューヨーク州ブルックリンに本拠地を移す計画を発表。資金繰りの問題から計画は遅延したが、2009年にロシア人実業家のミハイル・プロホロフが2億ドルの出資でチームの80%を取得したことで計画が再起動。2010年3月には新本拠地となるバークレイズ・センターの建設が始まった。なお、出資者にはラッパーでブルックリン出身のジェイ・Zも名を連ねている。
2012年にブルックリンへの移転が完了し、チーム名は正式にブルックリン・ネッツとなった。ブルックリン・ドジャーズが1950年代にロサンゼルスへ去って以来久々のブルックリンを拠点とするメジャー球団の誕生であった。この際に従来のチームカラーから、1950年代にブルックリンを走っていた地下鉄の行先票を思わせる黒と白のチームカラーに変更され、ジェイ・Zがデザインした新しいロゴマークも公開された。この大胆なブランド変更によりチームのグッズの売り上げは大幅に増大している。
開幕戦はトロント・ラプターズ相手に107-100で、見事にブルックリン・ネッツとして初勝利を収めた。11月は11勝4敗と上々の出だしであったが、12月に入ると5勝11敗と負け越し、HCのエイブリー・ジョンソンを解任。アシスタントコーチのP.J.カーリシモを暫定HCに就任させると、事態は好転し、1月は11勝4敗。ブルック・ロペスがオールスターに初選出された。 後半戦もジョー・ジョンソンのアウトサイド、ロペス、ブラッチのインサイドでバランスのとれたチームとなり、イースタン4位となり、プレーオフに進んだ。
2013年6月13日、引退を表明したばかりのジェイソン・キッドのHC就任を発表した。更に、ボストン・セルティックスとの9選手が絡む大型とレードで、ポール・ピアース、ケビン・ガーネット、ジェイソン・テリー、DJ・ホワイトを獲得した・見返りジェラルド・ウォーレス、クリス・ハンフリーズ、マーショーン・ブルックス、クリス・ジョセフ、キース・ボーガンスと、2014年、2016年、2018年のドラフト1巡目指名権を譲渡した。また同日にFAとなっていたアンドレイ・キリレンコと2年契約を結んだ。レギュラーシーズンを44勝38敗、カンファレンス6位でプレーオフに進出し、1stラウンドは、第3シードのトロント・ラプターズを最終第7戦の勝利でアップセットしたが、セミファイナルでマイアミ・ヒートに1勝したのみで敗退した。
シーズンごとの成績
テンプレート:NBA SBS
|-
| colspan="6" align=center bgcolor="#054ea4" | テンプレート:Color
|-
|1967-68 || 36 || 43 || .456 || ||
|-
| colspan="6" align=center bgcolor="#054ea4" | テンプレート:Color
|-
|1968-69 || 17 || 61 || .218 || ||
|-
|1969-70 || 39 || 45 || .464 || 1回戦敗退 || ケンタッキー 4, ネッツ 3
|-
|1970-71 || 40 || 44 || .476 || 1回戦敗退 || バージニア 4, ネッツ 2
|-
|1971-72 || 44 || 40 || .524 || 1回戦勝利
ABA準決勝勝利
ABA決勝敗退 || ネッツ 4, ケンタッキー 2
ネッツ 4, バージニア 2
ペイサーズ 4, ネッツ 2
|-
|1972-73 || 30 || 54 || .357 || 1回戦敗退 || カロライナ 4, ネッツ 1
|-
|1973-74 || 55 || 29 || .655 || 1回戦勝利
ABA準決勝勝利
ABAファイナル優勝 || ネッツ 4, バージニア 1
ネッツ 4, ケンタッキー 0
ネッツ 4, ユタ 1
|-
|1974-75 || 58 || 26 || .690 || 1回戦敗退 || セントルイス 4, ネッツ 1
|-
|1975-76 || 55 || 29 || .655 || ABA準決勝勝利
ABAファイナル優勝 || ネッツ 4, スパーズ 3
ネッツ 4, ナゲッツ 2
|-
| colspan="6" align=center | ニューヨーク・ネッツ (NBA) (通算成績に含む)
|-
|1976-77 || 22 || 60 || .268 || ||
|-
| colspan="6" align=center bgcolor="#00294a" | テンプレート:Color
|-
|1977-78 || 24 || 58 || .293 || ||
|-
|1978-79 || 37 || 45 || .451 || 1回戦敗退 || シクサーズ 2, ネッツ 0
|-
|1979-80 || 34 || 48 || .415 || ||
|-
|1980-81 || 24 || 58 || .293 || ||
|-
|1981-82 || 44 || 38 || .537 || 1回戦敗退 || ワシントン 2, ネッツ 0
|-
|1982-83 || 49 || 33 || .598 || 1回戦敗退 || ニックス 2, ネッツ 0
|-
|1983-84 || 45 || 37 || .549 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ネッツ 3, シクサーズ 2
バックス 4, ネッツ 2
|-
|1984-85 || 42 || 40 || .512 || 1回戦敗退 || ピストンズ 3, ネッツ 0
|-
|1985-86 || 39 || 43 || .476 || 1回戦敗退 || バックス 3, ネッツ 0
|-
|1986-87 || 24 || 58 || .293 || ||
|-
|1987-88 || 19 || 63 || .232 || ||
|-
|1988-89 || 26 || 56 || .317 || ||
|-
|1989-90 || 17 || 65 || .207 || ||
|-
|1990-91 || 26 || 56 || .317 || ||
|-
|1991-92 || 40 || 42 || .488 || 1回戦敗退 || キャブス 3, ネッツ 1
|-
|1992-93 || 43 || 39 || .524 || 1回戦敗退 || キャブス 3, ネッツ 2
|-
|1993-94 || 45 || 37 || .549 || 1回戦敗退 || ニックス 3, ネッツ 1
|-
|1994-95 || 30 || 52 || .366 || ||
|-
|1995-96 || 30 || 52 || .366 || ||
|-
|1996-97 || 26 || 56 || .317 || ||
|-
|1997-98 || 43 || 39 || .524 || 1回戦敗退 || ブルズ 3, ネッツ 0
|-
|1998-99 || 16 || 34 || .320 || ||
|-
|1999-2000 || 31 || 51 || .378 || ||
|-
|2000-01 || 26 || 56 || .317 || ||
|-
|2001-02 || 52 || 30 || .634 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退 || ネッツ 3, ペイサーズ 2
ネッツ 4, シャーロット 1
ネッツ 4, セルティックス 2
レイカーズ 4, ネッツ 0
|-
|2002-03 || 49 || 33 || .598 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退 || ネッツ 4, バックス 2
ネッツ 4, セルティックス 0
ネッツ 4, ピストンズ 0
スパーズ 4, ネッツ 2
|-
|2003-04 || 47 || 35 || .573 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ネッツ 4, ニックス 0
ピストンズ 4, ネッツ 3
|-
|2004-05 || 42 || 40 || .512 || 1回戦敗退 || ヒート 4, ネッツ 0
|-
|2005-06 || 49 || 33 || .598 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ネッツ 4, ペイサーズ 2
ヒート 4, ネッツ 1
|-
|2006-07 || 41 || 41 || .500 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ネッツ 4, ラプターズ 2
キャブス 4, ネッツ 2
|-
|2007-08 || 34 || 48 || .415 || ||
|-
|2008-09 || 34 || 48 || .415 || ||
|-
|2009-10 || 12 || 70 || .146 || ||
|-
|2010-11 || 24 || 58 || .293 || ||
|-
|2011-12 || 22 || 44 || .333 || ||
|-
| colspan="6" align=center bgcolor="#000000" | テンプレート:Color
|-
|2012-13 || 49 || 33 || .598 || 1回戦敗退|| ブルズ 4,ネッツ 3
|-
|2013-14 || 44 || 38 || .537 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退|| ネッツ 4, ラプターズ 3
ヒート 4, ネッツ 1
|-
!通算勝敗 || 1675 || 2137 || .438 || ||
|-
!プレイオフ || 60 || 76 || .441 || ||
- 転送 Template:End
主な選手
現役選手
年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2 1960年代
- ウォルター・シモン (Walter Simon) :1967-1970
- ビル・メルチオーニ (Bill Melchionni) :1969-1976 (C)
1970年代 (プレイオフ進出:8回 ファイナル進出:3回 優勝:2回)
- リック・バリー (Rick Barry) :1970-1971 (50)
- ビリー・パウルツ (Billy Paultz) :1970-1975 (C)
- ジュリアス・アービング (Julius Erving) :1973-1976 (C)(M)(50)
- ジョン・ウィリアムソン (John Williamson) :1973-1977(C) 1978-1979
- ウェンデル・ラドナー (Wendell Ladner) :1974-1975 (C)
- ネイト・アーチボルト (Nate Archibald) :1976-1977 (50)
- バーナード・キング (Bernard King) :1977-1979、1992-1993
- マイク・ニューリン (Mike Newlin) :1979-1981
- クリフ・ロビンソン (Cliff Robinson) :1979-1981
1980年代 (プレイオフ進出:5回)
- マイク・グミンスキー (Mike Gminski) :1980-1988
- オーティス・バードソング (Otis Birdsong) :1981-1988
- アルバート・キング (Albert King) :1981-1987
- バック・ウィリアムズ (Buck Williams) :1981-1989
- ダリル・ドーキンス (Darryl Dawkins) :1982-1988
- マイケル・レイ・リチャードソン(Micheal Ray Richardson) :1983-1986
- オーランド・ウードリッジ (Orlando Woolridge) :1986-1988
- ロイ・ヒンソン (Roy Hinson) :1987-1991
- クリス・モリス (Chris Morris) :1988-1995
- ムーキー・ブレイロック (Mookie Blaylock) :1989-1992
- サム・ブーイ (Sam Bowie) :1989-1993
テンプレート:Col-2 1990年代 (プレイオフ進出:4回)
- デリック・コールマン (Derrick Coleman) :1990-1995
- ケニー・アンダーソン (Kenny Anderson) :1991-1996
- ドラゼン・ペトロビッチ (Drazen Petrovic) :1991-1993
- ジェイソン・ウィリアムス (Jayson Williams) :1992-1999
- アーメン・ギリアム (Armon/Armen Gilliam) :1993-1996
- ケンドール・ギル (Kendall Gill) :1996-2001
- ケリー・キトルズ (Kerry Kittles) :1996-2004
- サム・キャセール (Sam Cassell) :1997-1999
- ルーシャス・ハリス (Lucious Harris) :1997-2004
- キース・バン・ホーン (Keith Van Horn) :1997-2002、2008
- ステフォン・マーブリー (Stephon Marbury) :1999-2001
2000年代 (プレイオフ進出:6回 ファイナル進出:2回)
- ケニオン・マーティン (Kenyon Martin) :2000-2004
- ジェイソン・コリンズ (Jason Collins) :2001-2008
- ジェイソン・キッド (Jason Kidd) :2001-2008
- リチャード・ジェファーソン (Richard Jefferson) :2001-2008
- ディケンベ・ムトンボ (Dikembe Mutumbo) :2002-2003
- ヴィンス・カーター (Vince Carter) :2004-2009
- マイキー・ムーア (Mikki Moore) :2006-2007
- デビン・ハリス (Devin Harris) :2008-2011
- ブルック・ロペス (Brook Lopez) :2008-
コーチ、その他
栄誉
殿堂入り
永久欠番
- 3 ドラゼン・ペトロビッチ (Drazen Petrovic)
- 4 ウェンデル・ラドナー (Wendell Ladner)
- 5 ジェイソン・キッド (Jason Kidd)
- 23 ジョン・ウィリアムソン (John Williamson)
- 25 ビル・メルチオーニ (Bill Melchionni)
- 32 ジュリアス・アービング (Julius Erving)
- 52 バック・ウィリアムズ (Buck Williams)