ニューオーリンズ・ペリカンズ
テンプレート:バスケットボールチーム ニューオーリンズ・ペリカンズ(New Orleans Pelicans)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、サウスウェスト・ディビジョン所属。2002年に本拠をニューオーリンズに移して以降のチーム名はニューオーリンズ・ホーネッツだが、2005年のハリケーン・カトリーナの被害により翌シーズンのホーム戦の多くをオクラホマシティで行っており、2007年までニューオーリンズ/オクラホマシティ・ホーネッツの名称を用いていた。2013-14シーズンから、チーム名をニューオーリンズ・ペリカンズに改名。
目次
歴史
シャーロット・ホーネッツ
現在のニューオーリンズ/オクラホマシティ・ホーネッツの前身となったシャーロット・ホーネッツは、1988年にノースカロライナ州シャーロットに設立された。シャーロットはアメリカ独立戦争時の激戦の地であり、イギリス軍に抵抗した指揮官がこの街を「スズメバチの巣」と呼んだのが、「スズメバチ」を意味する「ホーネッツ」という名称の始まりである。「ホーネッツ」の名はこのNBAのチームだけでなく、かつてシャーロットに存在した野球やフットボールのチームにも使われていた縁もあった。エクスパンション・ドラフトでは、マグジー・ボーグス、デル・カリーらを指名し、チーム初のドラフトではレックス・チャップマンを指名した。
創設後数年間は、他の新興チームと同様低い勝率に苦しんだが、1990年にケンドール・ギル、1991年にラリー・ジョンソン、1992年にアロンゾ・モーニングを獲得するとホーネッツの成績は上向き始めた。ラリー・ジョンソンは新人王受賞、モーニングはリーグ有数のセンターへと成長していき、若く才能のある選手を揃えたホーネッツは「未来のブルズ」と呼ばれた。
しかし1990年代半ばを過ぎるとギル、ジョンソン、モーニング、ボーグスは他のチームに移っていき、チームの中心選手はグレン・ライス、アンソニー・メイスン、ブラディー・ディバッツ、デビッド・ウェズリーらが担うようになった。チームは成績勝率5割から6割と健闘したが、優勝レースに顔を出すことはなかった。2000年にはチームの主力の一人だったボビー・フィルズを交通事故で失う悲劇があった。
ニューオーリンズ・ホーネッツ
21世紀に入ると、チーム移転の話が持ち上がるようになった。オーナージョージ・シンが起こしたスキャンダルや長年の不振の他、アリーナを巡る問題が取り上げられた。シャーロット・ホーネッツはシャーロット市にホームアリーナの建設を要請していたが、市議会がこれを拒否したことを契機にチームがルイジアナ州ニューオーリンズへ移転することが決定した。チームは2002年よりニューオーリンズ・ホーネッツと改称した。
この時期のホーネッツは、バロン・デイビス、ジャマール・マッシュバーン、ジャマール・マグロア、P・J・ブラウン、エデル・キャンベルらを中心として中堅レベルのチームだったが、2005年には18勝64敗と大きく負け越し、チームの再編を余儀なくされた。その結果デイビスとマッシュバーンはトレードされ、2005年のNBAドラフトで指名したクリス・ポールを中心とした再建に取り組み始めた。
2005年のハリケーン・カトリーナの影響
2005年8月にアメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナは、ホーネッツの本拠地ニューオーリンズにも大きな被害をもたらした。これによりホーネッツは新しいホームコートを捜す必要が生じた。ニューオーリンズ・アリーナは、甚大な被害を受け取り壊しが検討されることとなったスーパードームと比べると比較的無傷ではあったが、市議会は復旧作業目的以外での市への立ち入りを規制する決定をしたため使用不可能となった。また、ニューオーリンズ自体の復旧も数ヶ月に及ぶことが予想された。
そのため2005-2006シーズンはホームでの試合の大半をオクラホマ州オクラホマシティ(NBA規準のフォード・センターを持ち、主要なプロチームを持たない)で行うこととなった。使用可能なホームコートとしては、ルイジアナ州バトンルージュのピート・マラヴィッチ・アセンブリ・センターもしくはヒューストンのトヨタ・センターなどもあった。一時的なホーネッツのフランチャイズに関心を示した都市はサンディエゴ、ナッシュビル、カンザスシティ、バンクーバー(メンフィス・グリズリーズの旧本拠地)等もあった。ホーネッツはコロラド州コロラドスプリングスのアメリカ空軍士官学校でキャンプの2週間を過ごした。
クリス・ポールの時代
2005-06シーズンは、前述のホームコートの大問題をはじめ、戦力補強も進まず、大苦戦は間違いなしとの前評判であったが、クリス・ポールを中心にチームは一致団結、前年の倍以上の勝ち星を挙げ、シンデレラチームと絶賛された。
ポールの活躍と、デビッド・ウェストの成長で再建の目処が立ったホーネッツは、2006年のオフにペジャ・ストヤコヴィッチやタイソン・チャンドラーらを獲得し、プレーオフ進出を目指して大幅な補強を行った。しかし2006-07シーズンはストヤコヴィッチを始め故障者が続出し、プレーオフ進出はならなかった。ニューオーリンズに本拠地が戻った2007-08シーズンは、主力選手が大きな怪我もなく過ごし、本来の実力を発揮したホーネッツは56勝26敗を記録する大躍進を遂げた。この成績はチーム史上最高勝率だった。またリーグ最激戦区であるサウスウェストデビジョンも初めて制覇し、プレーオフにも4シーズンぶりに進出を果たした。ホーネッツの大躍進はこのシーズンでも最も大きな事件の一つだったが、彼らが成し遂げた最も大きな仕事は、ニューオーリンズ・アリーナに観客を取り戻したことだった。ホーネッツはシーズン序盤から快進撃を続けていたが、彼らの活躍を他所にアリーナの客席には空席が目立つ日々が続いた。ハリケーンの傷痕はまだ癒えておらず、またホーネッツ自体がニューオーリンズ市民にとってはまだ馴染みの浅いチームだった。しかしホーネッツの快進撃が続くにつれ、客席は徐々にファンで埋まっていき、そしてプレーオフ期間に突入した頃には、客席は大勢のファンで埋まった。プレーオフでは地元ファンの熱狂的な応援に後押しされ、1回戦でダラス・マーベリックスを撃破。カンファレンス準決勝では前年チャンピオンチームのサンアントニオ・スパーズ相手に、先にシリーズ王手を賭けたが、最終第7戦で経験の差が表れ、ここでホーネッツは力尽きた。
新オーナー就任とアンソニー・デイビスの時代
2010-11シーズン途中より経営悪化にともないリーグ直轄下に置かれる異例の事態となる[1]。リーグ直轄下に置かれた事で思うような補強ができなくなってしまい、2010-11シーズン後、主力選手のポールやウェストがトレード等でチームを離れてしまった。代わりに、エリック・ゴードンやクリス・ケイマン、トレヴァー・アリーザらを獲得したが、戦力ダウンは否めず、2011-12シーズンを大きく負け越してしまう。しかし、2012年4月、NFL・ニューオーリンズ・セインツのオーナー、トム・ベンソンが3億3800万ドルで買収したことが発表され、リーグ直轄を離れる事になった[2]。2012年のNBAドラフトで全体1位指名権を獲得し、アンソニー・デイビスを指名した。
ニューオーリンズ・ペリカンズ
新オーナーのトム・ベンソンは、チームを所有すると早い内からチーム名を地元に因んだ物に変更したいという意向を示し、「ジャズ (Jazz)」に戻したいとした(かつてニューオーリンズを本拠地としたNBAチームはニューオーリンズ・ジャズであったが、後にソルトレイクシティに本拠地を移し、ユタ・ジャズとなった)。しかしながら、ユタは2度のファイナル進出を含む25年に及ぶ歴史を持つ由緒ある名称を復帰させるという考えに全く関心を持っていなかった。
ベンソンはまた、「ブラス (Brass)」と「クルー (Krewe)」と言う名称にも関心を示したが、2012年12月4日、ホーネッツはルイジアナ州の州鳥であるカッショクペリカンに因み[3]、2013-2014シーズンから「ニューオーリンズ・ペリカンズ」へ名称を変更すると報じられた[4]。「ペリカンズ」の名称は1901年から1957年まで存在したマイナーリーグの野球チームが使用していた。これらの報道は2013年1月24日に公式に確認され、ホーネッツは公式に改名を発表、同時にロゴおよびチームカラーの青、金、赤を発表した[5]。2013年4月18日、チームは正式に「ペリカンズ」に改名した[6]。
ニューオーリンズが2013年5月21日に「ホーネッツ」の名称を放棄したのに続いて、シャーロット・ボブキャッツのオーナー、マイケル・ジョーダンは2013年7月18日にネバダ州ラスベガスで行われるNBA理事会に対して、2014-15年シーズンにチーム名を「シャーロット・ホーネッツ」に変更するための願書を提出したと公式に発表した[7]。NBA副コミッショナーおよび最高運営責任者のアダム・シルバーは以前に、リーグが「ホーネッツ」の名称に対する権利を保有している事実が、改名の過程を迅速にさせると指摘した[8]。2014年5月20日、ボブキャッツは10年間使用してきたチーム名をホーネッツに変更することを公式に発表した[9]。。
シーズンごとの成績
テンプレート:NBA SBS
|-
|colspan="6" align="center" bgcolor="#0093b1" | シャーロット・ホーネッツ
|-
|1988-89 || 20 || 62 || .244 || ||
|-
|1989-90 || 19 || 63 || .232 || ||
|-
|1990-91 || 26 || 56 || .317 || ||
|-
|1991-92 || 31 || 51 || .378 || ||
|-
|1992-93 || 44 || 38 || .537 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ホーネッツ 3, セルティックス 1
ニックス 4, ホーネッツ 1
|-
|1993-94 || 41 || 41 || .500 || ||
|-
|1994-95 || 50 || 32 || .610 || 1回戦敗退 || ブルズ 3, ホーネッツ 1
|-
|1995-96 || 41 || 41 || .500 || ||
|-
|1996-97 || 54 || 28 || .659 || 1回戦敗退 || ニックス 3, ホーネッツ 0
|-
|1997-98 || 51 || 31 || .622 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ホーネッツ 3, ホークス 1
ブルズ 4, ホーネッツ 1
|-
|1998-99 || 26 || 24 || .500 || ||
|-
|1999-2000 || 49 || 33 || .598 || 1回戦敗退 || シクサーズ 3, ホーネッツ 1
|-
|2000-01 || 46 || 36 || .561 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ホーネッツ 3, ヒート 0
バックス 4, ホーネッツ 3
|-
|2001-02 || 44 || 38 || .537 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ホーネッツ 3, マジック 1
ネッツ 4, ホーネッツ 1
|-
|colspan="6" align=center bgcolor="#0093b1" | ニューオーリンズ・ホーネッツ
|-
|2002-03 || 47 || 35 || .573 || 1回戦敗退 || シクサーズ 4, ホーネッツ 2
|-
|2003-04 || 41 || 41 || .500 || 1回戦敗退 || ヒート 4, ホーネッツ 3
|-
|2004-05 || 18 || 64 || .281 || ||
|-
|colspan="6" align=center bgcolor="#0093b1" | ニューオーリンズ/オクラホマシティ・ホーネッツ
|-
|2005-06 || 38 || 44 || .463 || ||
|-
|2006-07 || 39 || 43 || .476 || ||
|-
|colspan="6" align=center bgcolor="#1F90D1" | ニューオーリンズ・ホーネッツ
|-
|2007-08 || 56 || 26 || .683 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ホーネッツ 4, マブス 1
スパーズ 4, ホーネッツ 3
|-
|2008-09 || 49 || 33 || .598 || 1回戦敗退 || ナゲッツ 4, ホーネッツ 1
|-
|2009-10 || 37 || 45 || .451 || ||
|-
|2010-11 || 46 || 36 || .561 || 1回戦敗退 || レイカーズ 4, ホーネッツ 2
|-
|2011-12 || 21 || 45 || .318 || ||
|-
|2012-13 || 27 || 55 || .329 || ||
|-
|colspan="6" align=center bgcolor="#192E5B" | ニューオーリンズ・ペリカンズ
|-
|2013-14 || 34 || 48 || .415 || ||
|-
!通算勝敗 || 995 || 1089 || .477 || ||
|-
!プレイオフ || 35 || 49 || .417 || ||
- 転送 Template:End
主な選手
現役選手
年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2 1980年代
- マグシー・ボーグス (Muggsy Bogues) :1988-1997
- レックス・チャップマン (Rex Chapman) :1988-1992
- デル・カリー (Dell Curry) :1988-1998
- ケリー・トリプッカ (Kelly Tripucka) :1988-1991
1990年代 (プレイオフ進出:4回)
- ケンドール・ギル (Kendall Gill) :1990-1993
- ラリー・ジョンソン (Larry Johnson) :1991-1996
- アロンゾ・モーニング (Alonzo Mourning) :1992-1995
- ロバート・パリッシュ (Robert Parish) :1994-1996 (50)
- グレン・ライス (Glen Rice) :1995-1998
- ケニー・アンダーソン (Kenny Anderson) :1996、2003
- ブラディー・ディバッツ(Vlade Divac) :1996-1998
- アンソニー・メイスン (Anthony Mason) :1996-2000
- ボビー・フィルズ (Bobby Phills) :1997-2000
- デビッド・ウェズリー (David Wesley) :1997-2004
- バロン・デイビス (Baron Davis) :1999-2004
- エルデン・キャンベル (Elden Campbell) :1999-2003
- エディー・ジョーンズ (Eddie Jones) :1999-2000
テンプレート:Col-2 2000年代 (プレイオフ進出:5回)
- P・J・ブラウン (P.J. Brown) :2000-2006
- ジャマール・マグロア (Jamaal Magloire) :2000-2005
- ジャマール・マッシュバーン (Jamal Mashburn) :2000-2004
- デビッド・ウェスト (David West) :2003-2011
- クリス・ポール (Chris Paul) :2005-2011
- タイソン・チャンドラー (Tyson Chandler) :2006-2009
- ペジャ・ストヤコヴィッチ (Predrag Stojakovic) :2006-2010
- エメカ・オカフォー(Emeka Okafor):2009-2012
2010年代 (プレイオフ進出:1回)
- エリック・ゴードン(Eric Gordon):2011-
- アンソニー・デイビス(Anthony Davis):2012-
栄誉
殿堂入り
- なし
永久欠番
- 6 (Sixth Man) - チームのファン
- 7 ピート・マラビッチ (Pete Maravich): ホーネッツでプレイしたことはないが、かつてニューオーリンズに本拠を置いたニューオーリンズ・ジャズで活躍した
- 13 ボビー・フィルズ (Bobby Phills)
コーチ、その他
歴代ヘッドコーチ
- ディック・ハーティアー (Dick Hartier) (1988-89/1989-90)
- ジーン・リトルズ (Gene Littles) (1989-90/1990-91)
- アラン・ブリストウ (Allan Bristow) (1991-92/1995-96)
- デイブ・コーウェンズ (Dave Cowens) (1996-97/1998-99)
- ポール・サイラス (Paul Silas) (1998-99/2002-03)
- ティム・フロイド (Tim Floyd) (2003-04)
- バイロン・スコット (Byron Scott) (2004-05/2009-10)
- ジェフ・バウワー (Jeff Bower) (2009-10)
- モンティ・ウィリアムズ (Monty Williams) (2010-11/現在)
チーム記録
脚注
外部リンク
テンプレート:Link GA
- ↑ ホーネッツ経営破たん リーグ直轄下に - スポーツニッポン 2010年12月8日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ New Orleans Pelicans logos and colors scheme, hornets.com
- ↑ http://www.nba.com/pelicans/news/new-orleans-pelicans-officially-adopt-new-namesake
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ Bobcats officially become Hornets in Charlotte NBA.com 2014年5月20日