ワシントン・ウィザーズ
テンプレート:バスケットボールチーム ワシントン・ウィザーズ(Washington Wizards)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.に本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。イースタン・カンファレンス、サウスイースト・ディビジョン所属。チーム名は1997年まで"bullets"「弾丸」であったが、銃社会が批判に曝される風潮の中、イメージダウンを招くとして"Wizard"「魔法使い」に変更された。
目次
歴史
チーム創設期
- 現在、ウィザーズとして知られているチームは、1961年にシカゴ・パッカーズとして新規加入したチームが始まりである。翌年、ゼファーズと名前を変えている。その次の年にメリーランド州ボルティモアに本拠を移動し、ボルティモア・ブレッツになる。1940年代に存在したボルティモア・ブレッツとは何の関係もない。
- 1964-65シーズンを前に大型トレードをデトロイト・ピストンズとの間で行い、このシーズン初めてプレイオフに進出、セントルイス・ホークスを3-1で破り、ウェスタン・カンファレンス決勝でロサンゼルス・レイカーズに2勝ち4敗で敗退した。
1960年代後半から1970年代
- 1968年には、殿堂入りする2選手が加入する。アール・モンローとウェス・アンセルドである。その年チームは前年の36勝から57勝へと大きく改善された。アンセルドは新人王とMVPを獲得した。その年のプレイオフで期待されたブレッツだったが、1回戦でニューヨーク・ニックスの前に0-4で敗退した。その次の年も両チームはプレイオフ1回戦で対戦しニックスが勝ち上がった。
- 70-71シーズン、イースタン・カンファレンス決勝で再びニックスと対戦したが、この時ニックスの主力ウィリス・リードは負傷しており、4-3で勝利したブレッツは初めてNBAファイナルに進出した。しかしファイナルではミルウォーキー・バックスに0-4で一蹴された。そのシーズン以降3年連続でニューヨーク・ニックスとプレイオフで戦い全て敗戦する。
- 1973年にチームは、メリーランド州ランドオーバーに移動し、キャピタル・ブレッツになるが、翌年、ワシントン・ブレッツに名前を変える。移転以降も1990年代半ばまでブレッツは年に数試合をボルティモアで行った。
- 1974-75シーズンを60-22(ホームでは36-5)で終了し、2度目のNBAファイナルへと進むが、リック・バリー率いるゴールデンステート・ウォリアーズに0-4で敗れる。
- 翌シーズン前年より12勝減らし、クリーブランド・キャバリアーズにプレイオフで敗れたブレッツは勝率62%を記録したヘッドコーチ、K.C.ジョーンズを解雇する。
- 1977-78シーズン、ディック・モッタに率いられたエルヴィン・ヘイズ、アンセルドのブレッツは44勝38敗でシーズンを終えたがそこから長い道のりであったNBAファイナルまで勝ち進み、シアトル・スーパーソニックスを4-3で破りNBAチャンピオンとなった。翌79-80シーズンも再びNBAファイナルまで進んだが、その年は逆に1勝4敗で敗れた。
- その後も87-88シーズンまでほぼ毎年プレイオフに進出したが、81-82シーズン以降はプレイオフ1回戦を突破することはなく、その後96-97シーズンにプレイオフに進出するまで低迷期を迎えることになる。
低迷期
- 1989-90シーズン、ブレッツは5勝1敗でスタートしたが12月半ばから1月半ばまでの18試合で16敗して、平均得点でジェフ・マローンが24.3得点、バーナード・キングが22.3得点あげたが24勝58敗で終わった。
- 1990-91シーズン、ブレッツは30勝しかあげられなかったが、バーナード・キングが1984-85にニューヨーク・ニックスにいたときにひざを故障して以来最高となる平均28.4得点をあげた。この年、彼は50得点以上を2回記録した。
- 1993-94シーズン、ブレッツは故障に泣かされ、レックス・チャップマン、パーヴィス・エリソン、ドラフト1巡目のカルバート・チェイニーがシーズンのほとんど欠場し、24勝58敗に終わった。
- 低迷を打開するため、1994年のNBAドラフトでジュワン・ハワードを指名し、1994-95シーズン途中にトム・ググリオッタと交換でクリス・ウェバーを獲得するなど若返りを図った。
- 翌95-96シーズンは、ウェバーが怪我のためほとんどの試合で欠場したが、ルーキーのラシード・ウォレスが代わって先発に入り平均二桁得点を残し、ハワードが平均22.1点を記録してオールスターに選ばれるなど将来性を感じさせるシーズンとなった。成績は5割近くまで上げシーズンを終えた。
- 1996年7月にラシード・ウォレスと交換でロッド・ストリックランドを加えたチームは、1996-97シーズン、44-38の成績を挙げ9年ぶりにプレイオフに進出した。プレイオフはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズにスウィープで敗れた。
ワシントン・ウィザーズ初期
- 1995年のオフシーズンにブレッツからウィザーズに名称変更するつもりであることが発表された。高い犯罪率に悩むワシントンD.C.地域にとって、ブレッツ(弾丸)という名称が銃犯罪を連想させることが改名の理由であった。ドラゴンズ、エクスプレス、スタリオンズ、シードッグス、ウィザーズなどが候補になった。
- 1997年5月15日、チームは、ブレッツからウィザーズへの名称変更と新しいロゴについて発表した。また、この年にワシントンD.C.を本拠にし、ベライゾンセンターをホームアリーナとして、現在に至っている。
- 1998年5月、オフコートでの問題が多かったウェバーを放出し、ミッチ・リッチモンドとオーティス・ソープを獲得した。リッチモンドは加入後2シーズン連続で得点面でチームを牽引したが、成績は5割を割るようになり下降していった。
マイケル・ジョーダンの加入
- 2000年1月19日にマイケル・ジョーダンがウィザーズの共同オーナーに就任するが、2000-01シーズンに過去最低勝率をマークするなど、チーム状態はどん底を極めていた。主力のハワード、リッチモンド、ストリックランドは放出され、チームは再建に入った。
- 2001年、NBAドラフトの全体1位指名権を獲得したチームはクワミ・ブラウンを指名し、その数ヵ月後ジョーダンの復帰を発表した。ジョーダンは負け癖の付いていたチームを引っ張ったが、1年目の2001-02シーズンはジョーダン欠場中の成績が悪く、2年目の2002-03シーズンは、シーズン前にリチャード・ハミルトンと交換でジェリー・スタックハウスを獲得したが、終盤失速し2年連続でプレイオフ進出を果たせず、ジョーダンは引退した。
アリーナスとビッグスリー
- 2003-04シーズン、FAであったギルバート・アリーナスと契約、ニュージャージー・ネッツのアシスタントコーチであったエディ・ジョーダンがヘッドコーチに就任したが、若い選手が多く依然として低迷から抜け出せなかった。
- 2004-05シーズン、ダラス・マーベリックスから、スタックハウス、レイトナーとドラフト5位指名権でアントワン・ジェイミソンをトレードで獲得、シーズン前の低評価を覆し、ギルバート・アリーナス、アントワン・ジェイミソン、ラリー・ヒューズらビッグスリーの活躍によって久々にプレイオフに進出する。翌2005-06シーズンには、FAとなったヒューズを失うも、出場時間を得られず低迷していたクワミ・ブラウンと交換でカロン・バトラーを獲得、新しいビッグスリーを形成するなど的確な補強を行い、2年連続でプレイオフに進出した。
- 以後の2シーズンはアリーナスの負傷欠場などでチーム成績は横ばい状態にある。またプレーオフ1回戦では3シーズン連続でクリーブランド・キャバリアーズと対戦し、いずれも敗退を喫している。
- 2008-09シーズンはアリーナスとブレンダン・ヘイウッドが怪我でシーズンをほぼ全休。チームはウィザーズに名称を変更後、最低の成績でシーズンを終えた。
- 2009-10シーズン、アリーナスがシーズン開幕から先発出場し、プレーオフ返り咲きが期待された。しかし、アリーナスがロッカールームに拳銃を無断で持ち込んだ事が発覚。この不祥事を重くみたリーグはアリーナスと同じくロッカールームに拳銃を無断で持ち込んだジャバリス・クリッテントンをシーズン終了まで出場停止の厳罰処分を下した。この事件後、チームは来季以降の再建を目指して、シーズン中にバトラー、ジェイミソンら主力を次々に放出。新たにジョシュ・ハワードやアル・ソーントンらを獲得したが、ハワードが移籍早々に怪我でシーズン絶望となり、チームも2シーズン連続プレーオフ不出場となった。2009年11月24日にオーナーのエイブ・ポリンが死去した事もあり、チームの雰囲気は最後まで暗いままであった。
ウォールの時代
- 2010-11シーズンは、2010年のNBAドラフト全体1位指名権を獲得。ケンタッキー大学1年のジョン・ウォールを指名した。一方、チームの牽引役として機能しなくなったアリーナスはオーランド・マジックに放出され、以降チームは下降線を辿り、23勝59敗。
- 2011-12シーズンは、開幕から1ヶ月でわずかに3勝と最低の成績で、3勝15敗の時点でフィリップ・サンダースが解任されアシスタントコーチのランディ・ウィットマンが、暫定ヘッドコーチを務めた。昨年からのチーム状態は改善を見せず、幾度もの連敗を喫し続けたがトレード期限直前にジャベール・マギーらを放出、ネネイを獲得したことにより改善のきっかけが見え、昨シーズンより僅かではあるが勝率を上げ3割以上とした。
- 2012-13シーズンは、オフに暫定ヘッドコーチだったランディ・ウィットマンが、正式にヘッドコーチに昇格。開幕からチームリーダーのジョン・ウォールが膝の故障で欠場したことが響き、3勝28敗と不調を極めたが、ウォール復帰後は24勝25敗と改善され、エメカ・オカフォー、トレバー・アリーザらの補強や、ルーキーのブラッドリー・ビールが期待された働きを残し、翌シーズンのプレーオフ進出に希望を残した。
- 2013-14シーズンは、マルチン・ゴルタットの加入でフロントコートの厚みが増し、アンドレ・ミラーらの加入で控えの層の厚さも増し、44勝38敗、イースト5位で久々のプレーオフ進出を果たすと、1stラウンドは4勝1敗で4位のシカゴ・ブルズをアップセットし、インディアナ・ペイサーズとのカンファレンスセミファイナルへ進んだが、2勝4敗で敗退した。
シーズンごとの成績
テンプレート:NBA SBS
|-
|colspan="6" align=center bgcolor="yellow" | シカゴ・ゼファーズ
|-
|1961–62 || 18 || 62 || .225 || ||
|-
|1962–63 || 25 || 55 || .313 || ||
|-
|colspan="6" align=center bgcolor="#124598" | ボルティモア・ブレッツ
|-
|1963–64 || 31 || 49 || .388 || ||
|-
|1964–65 || 37 || 43 || .463 || ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退|| ボルティモア 3, セントルイス 1
レイカーズ 4, ボルティモア 2
|-
|1965–66 || 38 || 42 || .475 || ディビジョン準決勝敗退|| セントルイス 3, ボルティモア 0
|-
|1966–67 || 20 || 61 || .247 || ||
|-
|1967–68 || 36 || 46 || .439 || ||
|-
|1968–69 || 57 || 25 || .695 || ディビジョン準決勝敗退|| ニックス 4, ボルティモア 0
|-
|1969–70 || 50 || 32 || .610 || ディビジョン準決勝敗退|| ニックス 4, ボルティモア 3
|-
|1970–71 || 42 || 40 || .512 || カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退||ボルティモア 4, シクサーズ 3
ボルティモア 4, ニックス 3
バックス 4, ボルティモア 0
|-
|1971–72 || 38 || 44 || .463 || カンファレンス準決勝敗退 || ニックス 4, ボルティモア 2
|-
|1972–73 || 52 || 30 || .634 || カンファレンス準決勝敗退 || ニックス 4, ボルティモア 1
|-
|colspan="6" align=center bgcolor="#124598" | キャピタル・ブレッツ
|-
|1973–74 || 47 || 35 || .573 || カンファレンス準決勝敗退 || ニックス 4, キャピタル 3
|-
|colspan="6" align=center bgcolor="#124598" | ワシントン・ブレッツ
|-
|1974–75 || 60 || 22 || .732 || カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退 || ワシントン 4, バッファロー 3
ワシントン 4, セルティックス 2
ウォリアーズ 4, ワシントン 0
|-
|1975–76 || 48 || 34 || .585 || カンファレンス準決勝敗退 || キャブス 4, ワシントン 3
|-
|1976–77 || 48 || 34 || .585 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ワシントン 2, キャブス 1
ロケッツ 4, ワシントン 2
|-
|1977–78 || 44 || 38 || .537 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝||| ワシントン 2, ホークス 0
ワシントン 4, スパーズ 2
ワシントン 4, シクサーズ 2
ワシントン 4, ソニックス 3
|-
|1978–79 || 54 || 28 || .659 || カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退 || ワシントン 4, ホークス 3
ワシントン 4, スパーズ 3
ソニックス 4, ワシントン 1
|-
|1979–80 || 39 || 43 || .476 || 1回戦敗退 || シクサーズ 2, ワシントン 0
|-
|1980–81 || 39 || 43 || .476 || ||
|-
|1981–82 || 43 || 39 || .524 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ワシントン 2, ネッツ 0
セルティックス 4, ワシントン 1
|-
|1982–83 || 42 || 40 || .512 || ||
|-
|1983–84 || 35 || 47 || .427 || 1回戦敗退 || セルティックス 3, ワシントン 1
|-
|1984–85 || 40 || 42 || .488 || 1回戦敗退 || シクサーズ 3, ワシントン 1
|-
|1985–86 || 39 || 43 || .476 || 1回戦敗退 || シクサーズ, 3, ワシントン 2
|-
|1986–87 || 42 || 40 || .512 || 1回戦敗退 || ピストンズ 3, ワシントン 0
|-
|1987–88 || 38 || 44 || .463 || 1回戦敗退 || ピストンズ 3, ワシントン 2
|-
|1988–89 || 40 || 42 || .488 || ||
|-
|1989–90 || 31 || 51 || .378 || ||
|-
|1990–91 || 30 || 52 || .366 || ||
|-
|1991–92 || 25 || 57 || .305 || ||
|-
|1992–93 || 22 || 60 || .268 || ||
|-
|1993–94 || 24 || 58 || .293 || ||
|-
|1994–95 || 21 || 61 || .256 || ||
|-
|1995–96 || 39 || 43 || .476 || ||
|-
|1996–97 || 44 || 38 || .537 || 1回戦敗退 || ブルズ 3, ワシントン 0
|-
|colspan="6" align=center bgcolor="#テンプレート:BasketColor" | ワシントン・ウィザーズ
|-
|1997–98 || 42 || 40 || .512 || ||
|-
|1998–99 || 18 || 32 || .360 || ||
|-
|1999–00 || 29 || 53 || .354 || ||
|-
|2000–01 || 19 || 63 || .232 || ||
|-
|2001–02 || 37 || 45 || .451 || ||
|-
|2002–03 || 37 || 45 || .451 || ||
|-
|2003–04 || 25 || 57 || .305 || ||
|-
|2004–05 || 45 || 37 || .549 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 ||ウィザーズ 4, ブルズ 2
ヒート 4, ウィザーズ 0
|-
|2005–06 || 42 || 40 || .512 || 1回戦敗退 || キャブス 4, ウィザーズ 2
|-
|2006-07 || 41 || 41 || .500 || 1回戦敗退 || キャブス 4, ウィザーズ 0
|-
|2007-08 || 43 || 39 || .524 || 1回戦敗退 || キャブス 4, ウィザーズ 2
|-
|2008-09 || 19 || 63 || .232 || ||
|-
|2009-10 || 26 || 56 || .317 || ||
|-
|2010-11 || 23 || 59 || .280 || ||
|-
|2011-12 || 20 || 46 || .303 || ||
|-
|2012-13 || 29 || 53 || .354 || ||
|-
|2013-14 || 44 || 38 || .537 ||1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 ||ウィザーズ 4, ブルズ1
ペイサーズ 4, ウィザーズ 2
|-
!通算勝敗 || 1917 || 2370 || .447 || ||
|-
!プレイオフ || 83 || 120 || .409 || 優勝1回 ||
- 転送 Template:End
主な選手
現役選手
年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2 1960年代 (プレイオフ進出:3回)
- ウォルト・ベラミー (Walt Bellamy) :1961-1965
- ガス・ジョンソン (Gus Johnson) :1963-1972
- ケビン・ローアリー (Kevin Loughery) :1963-1972
- ドン・オーエル (Don Ohl) :1964-1968
- ジャック・マリン (Jack Marin) :1966-1972
- アール・モンロー (Earl Monroe) :1967-1971 (50)
- レイ・スコット (Ray Scott) :1967-1970
- ウェス・アンセルド (Wes Unseld) :1968-1981 (C)(M)(50)
1970年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:4回 優勝:1回)
- フィル・シェニエ (Phil Chenier) :1971-1979 (C)
- エルビン・ヘイズ (Elvin Hayes) :1972-1981 (C)(50)
- ボブ・ダンドリッジ (Bob Dandridge) :1977-1981 (C)
1980年代 (プレイオフ進出:7回)
- ジェフ・ルラウンド (Jeff Ruland) :1981-1986
- ジェフ・マローン (Jeff Malone) :1983-1990
- マヌート・ボル (Manute Bol) :1985-1988
- モーゼス・マローン (Moses Malone) :1986-1988 (50)
- マグシー・ボーグス (Muggsy Bogues) :1987-1988
- バーナード・キング (Bernard King) :1987-1991
テンプレート:Col-2 1990年代 (プレイオフ進出:1回)
- ジュワン・ハワード (Juwan Howard) :1994-2001
- クリス・ウェバー (Chris Webber) :1994-1998
- ゲオルゲ・ムレシャン (Gheorghe Muresan) :1995-1997
- ラシード・ウォーレス (Rasheed Wallace) :1995-1996
- ロッド・ストリックランド (Rod Strickland) :1996-2001
- クリス・ホイットニー (Chris Whitney) :1996-2002、2003-2004
- ベン・ウォーレス (Ben Wallace) :1996-1999
- ミッチ・リッチモンド (Mitch Richmond) :1999-2001
2000年代 (プレイオフ進出:3回)
- マイケル・ジョーダン (Michael Jordan) :2001-2003 (50)
- クワミ・ブラウン (Kwame Brown) :2001-2005
- ブレンダン・ヘイウッド (Brendan Haywood) :2001-2010
- ラリー・ヒューズ (Larry Hughes) :2002-2005
- ジェリー・スタックハウス (Jerry Stackhouse) :2002-2005
- ギルバート・アリナス (Gilbert Arenas) :2003-2010
- アントワン・ジェイミソン (Antawn Jamison) :2004-2010
- カロン・バトラー (Caron Butler) :2005-2010
- ジョン・ウォール(John Wall)2010-
- トレヴァー・アリーザ(Trevor Ariza )2012-
- ブラッドリー・ビール(Bradley Beal)2012-
- ネネイ (Nenê) 2012-
- マルチン・ゴルタット (Marcin Gortat)2013-
- アル・ハリントン (Al Harrington) 2013-
コーチ、その他
歴代ヘッドコーチ
- ジム・ポラード (Jim Pollard) (1961-62)
- ジャック・マクマホン (Jack McMahon) (1962-63)
- ボブ・レナード (Bob Leonard) (1962-63/1963-64)
- バディ・ジャネット (Buddy Jeannette) (1964-65)
- ポール・シーモア (Paul Seymour) (1965-66)
- マイク・ファーマー (Mike Farmer) (1966-67)
- バディ・ジャネット (Buddy Jeannette) (1966-67)
- ジーン・シュー (Gene Shue) (1966-67/1972-73)
- K・C・ジョーンズ (K.C. Jones) (1973-74/1975-76)
- ディック・モッタ (Dick Motta) (1976-77/1979-80)
- ジーン・シュー (Gene Shue) (1980-81/1985-86)
- ケビン・ローアリー (Kevin Loughery) (1985-86/1987-88)
- ウェス・アンセルド (Wes Unseld) (1987-88/1993-94)
- ジム・ライナム (Jim Lynam) (1994-95/1996-97)
- バーニー・ビッカースタッフ (Bernie Bickerstaff) (1996-97/1998-99)
- ジム・ブロヴェリ (Jim Brovelli) (1998-99)
- ダレル・ウォーカー (Darrell Walker) (1999-00)
- ガー・ハード (Gar Heard) (1999-00)
- レナード・ハミルトン (Leonard Hamilton) (2000-01)
- ダグ・コリンズ (Doug Collins) (2001-02/2002-03)
- エディ・ジョーダン (Eddie Jordan) (2003-04/2008/09)
- フリップ・ソーンダーズ (Flip Saunders) (2009-11)
- ランディ・ウィットマン (Randy Wittman) (2011-)
栄誉
殿堂入り
- ウェス・アンセルド (Wes Unseld)
永久欠番
- 10 - アール・モンロー (Earl Monroe)
- 11 - エルビン・ヘイズ (Elvin Hayes)
- 25 - ガス・ジョンソン (Gus Johnson)
- 41 - ウェス・アンセルド (Wes Unseld)
チーム記録
脚註
外部リンク
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