ワシントン・ウィザーズ

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テンプレート:バスケットボールチーム ワシントン・ウィザーズWashington Wizards)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.に本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。イースタン・カンファレンス、サウスイースト・ディビジョン所属。チーム名は1997年まで"bullets"「弾丸」であったが、銃社会が批判に曝される風潮の中、イメージダウンを招くとして"Wizard"「魔法使い」に変更された。

歴史

チーム創設期

1960年代後半から1970年代

  • 1968年には、殿堂入りする2選手が加入する。アール・モンローウェス・アンセルドである。その年チームは前年の36勝から57勝へと大きく改善された。アンセルドは新人王とMVPを獲得した。その年のプレイオフで期待されたブレッツだったが、1回戦でニューヨーク・ニックスの前に0-4で敗退した。その次の年も両チームはプレイオフ1回戦で対戦しニックスが勝ち上がった。
  • 70-71シーズン、イースタン・カンファレンス決勝で再びニックスと対戦したが、この時ニックスの主力ウィリス・リードは負傷しており、4-3で勝利したブレッツは初めてNBAファイナルに進出した。しかしファイナルではミルウォーキー・バックスに0-4で一蹴された。そのシーズン以降3年連続でニューヨーク・ニックスとプレイオフで戦い全て敗戦する。
  • 1973年にチームは、メリーランド州ランドオーバーに移動し、キャピタル・ブレッツになるが、翌年、ワシントン・ブレッツに名前を変える。移転以降も1990年代半ばまでブレッツは年に数試合をボルティモアで行った。
  • 1974-75シーズンを60-22(ホームでは36-5)で終了し、2度目のNBAファイナルへと進むが、リック・バリー率いるゴールデンステート・ウォリアーズに0-4で敗れる。
  • 翌シーズン前年より12勝減らし、クリーブランド・キャバリアーズにプレイオフで敗れたブレッツは勝率62%を記録したヘッドコーチ、K.C.ジョーンズを解雇する。
  • 1977-78シーズン、ディック・モッタに率いられたエルヴィン・ヘイズ、アンセルドのブレッツは44勝38敗でシーズンを終えたがそこから長い道のりであったNBAファイナルまで勝ち進み、シアトル・スーパーソニックスを4-3で破りNBAチャンピオンとなった。翌79-80シーズンも再びNBAファイナルまで進んだが、その年は逆に1勝4敗で敗れた。
  • その後も87-88シーズンまでほぼ毎年プレイオフに進出したが、81-82シーズン以降はプレイオフ1回戦を突破することはなく、その後96-97シーズンにプレイオフに進出するまで低迷期を迎えることになる。

低迷期

  • 1989-90シーズン、ブレッツは5勝1敗でスタートしたが12月半ばから1月半ばまでの18試合で16敗して、平均得点でジェフ・マローンが24.3得点、バーナード・キングが22.3得点あげたが24勝58敗で終わった。
  • 1990-91シーズン、ブレッツは30勝しかあげられなかったが、バーナード・キングが1984-85にニューヨーク・ニックスにいたときにひざを故障して以来最高となる平均28.4得点をあげた。この年、彼は50得点以上を2回記録した。
  • 1993-94シーズン、ブレッツは故障に泣かされ、レックス・チャップマンパーヴィス・エリソン、ドラフト1巡目のカルバート・チェイニーがシーズンのほとんど欠場し、24勝58敗に終わった。
  • 低迷を打開するため、1994年のNBAドラフトジュワン・ハワードを指名し、1994-95シーズン途中にトム・ググリオッタと交換でクリス・ウェバーを獲得するなど若返りを図った。
  • 翌95-96シーズンは、ウェバーが怪我のためほとんどの試合で欠場したが、ルーキーのラシード・ウォレスが代わって先発に入り平均二桁得点を残し、ハワードが平均22.1点を記録してオールスターに選ばれるなど将来性を感じさせるシーズンとなった。成績は5割近くまで上げシーズンを終えた。
  • 1996年7月にラシード・ウォレスと交換でロッド・ストリックランドを加えたチームは、1996-97シーズン、44-38の成績を挙げ9年ぶりにプレイオフに進出した。プレイオフはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズスウィープで敗れた。

ワシントン・ウィザーズ初期

  • 1995年のオフシーズンにブレッツからウィザーズに名称変更するつもりであることが発表された。高い犯罪率に悩むワシントンD.C.地域にとって、ブレッツ(弾丸)という名称が銃犯罪を連想させることが改名の理由であった。ドラゴンズ、エクスプレス、スタリオンズ、シードッグス、ウィザーズなどが候補になった。
  • 1997年5月15日、チームは、ブレッツからウィザーズへの名称変更と新しいロゴについて発表した。また、この年にワシントンD.C.を本拠にし、ベライゾンセンターをホームアリーナとして、現在に至っている。
  • 1998年5月、オフコートでの問題が多かったウェバーを放出し、ミッチ・リッチモンドオーティス・ソープを獲得した。リッチモンドは加入後2シーズン連続で得点面でチームを牽引したが、成績は5割を割るようになり下降していった。

マイケル・ジョーダンの加入

  • 2000年1月19日にマイケル・ジョーダンがウィザーズの共同オーナーに就任するが、2000-01シーズンに過去最低勝率をマークするなど、チーム状態はどん底を極めていた。主力のハワード、リッチモンド、ストリックランドは放出され、チームは再建に入った。
  • 2001年NBAドラフトの全体1位指名権を獲得したチームはクワミ・ブラウンを指名し、その数ヵ月後ジョーダンの復帰を発表した。ジョーダンは負け癖の付いていたチームを引っ張ったが、1年目の2001-02シーズンはジョーダン欠場中の成績が悪く、2年目の2002-03シーズンは、シーズン前にリチャード・ハミルトンと交換でジェリー・スタックハウスを獲得したが、終盤失速し2年連続でプレイオフ進出を果たせず、ジョーダンは引退した。

アリーナスとビッグスリー

  • 以後の2シーズンはアリーナスの負傷欠場などでチーム成績は横ばい状態にある。またプレーオフ1回戦では3シーズン連続でクリーブランド・キャバリアーズと対戦し、いずれも敗退を喫している。
  • 2008-09シーズンはアリーナスとブレンダン・ヘイウッドが怪我でシーズンをほぼ全休。チームはウィザーズに名称を変更後、最低の成績でシーズンを終えた。
  • 2009-10シーズン、アリーナスがシーズン開幕から先発出場し、プレーオフ返り咲きが期待された。しかし、アリーナスがロッカールームに拳銃を無断で持ち込んだ事が発覚。この不祥事を重くみたリーグはアリーナスと同じくロッカールームに拳銃を無断で持ち込んだジャバリス・クリッテントンをシーズン終了まで出場停止の厳罰処分を下した。この事件後、チームは来季以降の再建を目指して、シーズン中にバトラー、ジェイミソンら主力を次々に放出。新たにジョシュ・ハワードアル・ソーントンらを獲得したが、ハワードが移籍早々に怪我でシーズン絶望となり、チームも2シーズン連続プレーオフ不出場となった。2009年11月24日にオーナーのエイブ・ポリンが死去した事もあり、チームの雰囲気は最後まで暗いままであった。

ウォールの時代

  • 2011-12シーズンは、開幕から1ヶ月でわずかに3勝と最低の成績で、3勝15敗の時点でフィリップ・サンダースが解任されアシスタントコーチのランディ・ウィットマンが、暫定ヘッドコーチを務めた。昨年からのチーム状態は改善を見せず、幾度もの連敗を喫し続けたがトレード期限直前にジャベール・マギーらを放出、ネネイを獲得したことにより改善のきっかけが見え、昨シーズンより僅かではあるが勝率を上げ3割以上とした。

シーズンごとの成績

テンプレート:NBA SBS |- |colspan="6" align=center bgcolor="yellow" | シカゴ・ゼファーズ |- |1961–62 || 18 || 62 || .225 || || |- |1962–63 || 25 || 55 || .313 || || |- |colspan="6" align=center bgcolor="#124598" | ボルティモア・ブレッツ |- |1963–64 || 31 || 49 || .388 || || |- |1964–65 || 37 || 43 || .463 || ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退|| ボルティモア 3, セントルイス 1
レイカーズ 4, ボルティモア 2 |- |1965–66 || 38 || 42 || .475 || ディビジョン準決勝敗退|| セントルイス 3, ボルティモア 0 |- |1966–67 || 20 || 61 || .247 || || |- |1967–68 || 36 || 46 || .439 || || |- |1968–69 || 57 || 25 || .695 || ディビジョン準決勝敗退|| ニックス 4, ボルティモア 0 |- |1969–70 || 50 || 32 || .610 || ディビジョン準決勝敗退|| ニックス 4, ボルティモア 3 |- |1970–71 || 42 || 40 || .512 || カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退||ボルティモア 4, シクサーズ 3
ボルティモア 4, ニックス 3
バックス 4, ボルティモア 0 |- |1971–72 || 38 || 44 || .463 || カンファレンス準決勝敗退 || ニックス 4, ボルティモア 2 |- |1972–73 || 52 || 30 || .634 || カンファレンス準決勝敗退 || ニックス 4, ボルティモア 1 |- |colspan="6" align=center bgcolor="#124598" | キャピタル・ブレッツ |- |1973–74 || 47 || 35 || .573 || カンファレンス準決勝敗退 || ニックス 4, キャピタル 3 |- |colspan="6" align=center bgcolor="#124598" | ワシントン・ブレッツ |- |1974–75 || 60 || 22 || .732 || カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退 || ワシントン 4, バッファロー 3
ワシントン 4, セルティックス 2
ウォリアーズ 4, ワシントン 0 |- |1975–76 || 48 || 34 || .585 || カンファレンス準決勝敗退 || キャブス 4, ワシントン 3 |- |1976–77 || 48 || 34 || .585 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ワシントン 2, キャブス 1
ロケッツ 4, ワシントン 2 |- |1977–78 || 44 || 38 || .537 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝||| ワシントン 2, ホークス 0
ワシントン 4, スパーズ 2
ワシントン 4, シクサーズ 2
ワシントン 4, ソニックス 3 |- |1978–79 || 54 || 28 || .659 || カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退 || ワシントン 4, ホークス 3
ワシントン 4, スパーズ 3
ソニックス 4, ワシントン 1 |- |1979–80 || 39 || 43 || .476 || 1回戦敗退 || シクサーズ 2, ワシントン 0 |- |1980–81 || 39 || 43 || .476 || || |- |1981–82 || 43 || 39 || .524 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ワシントン 2, ネッツ 0
セルティックス 4, ワシントン 1 |- |1982–83 || 42 || 40 || .512 || || |- |1983–84 || 35 || 47 || .427 || 1回戦敗退 || セルティックス 3, ワシントン 1 |- |1984–85 || 40 || 42 || .488 || 1回戦敗退 || シクサーズ 3, ワシントン 1 |- |1985–86 || 39 || 43 || .476 || 1回戦敗退 || シクサーズ, 3, ワシントン 2 |- |1986–87 || 42 || 40 || .512 || 1回戦敗退 || ピストンズ 3, ワシントン 0 |- |1987–88 || 38 || 44 || .463 || 1回戦敗退 || ピストンズ 3, ワシントン 2 |- |1988–89 || 40 || 42 || .488 || || |- |1989–90 || 31 || 51 || .378 || || |- |1990–91 || 30 || 52 || .366 || || |- |1991–92 || 25 || 57 || .305 || || |- |1992–93 || 22 || 60 || .268 || || |- |1993–94 || 24 || 58 || .293 || || |- |1994–95 || 21 || 61 || .256 || || |- |1995–96 || 39 || 43 || .476 || || |- |1996–97 || 44 || 38 || .537 || 1回戦敗退 || ブルズ 3, ワシントン 0 |- |colspan="6" align=center bgcolor="#テンプレート:BasketColor" | ワシントン・ウィザーズ |- |1997–98 || 42 || 40 || .512 || || |- |1998–99 || 18 || 32 || .360 || || |- |1999–00 || 29 || 53 || .354 || || |- |2000–01 || 19 || 63 || .232 || || |- |2001–02 || 37 || 45 || .451 || || |- |2002–03 || 37 || 45 || .451 || || |- |2003–04 || 25 || 57 || .305 || || |- |2004–05 || 45 || 37 || .549 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 ||ウィザーズ 4, ブルズ 2
ヒート 4, ウィザーズ 0 |- |2005–06 || 42 || 40 || .512 || 1回戦敗退 || キャブス 4, ウィザーズ 2 |- |2006-07 || 41 || 41 || .500 || 1回戦敗退 || キャブス 4, ウィザーズ 0 |- |2007-08 || 43 || 39 || .524 || 1回戦敗退 || キャブス 4, ウィザーズ 2 |- |2008-09 || 19 || 63 || .232 || || |- |2009-10 || 26 || 56 || .317 || || |- |2010-11 || 23 || 59 || .280 || || |- |2011-12 || 20 || 46 || .303 || || |- |2012-13 || 29 || 53 || .354 || || |- |2013-14 || 44 || 38 || .537 ||1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 ||ウィザーズ 4, ブルズ1
ペイサーズ 4, ウィザーズ 2 |- !通算勝敗 || 1917 || 2370 || .447 || || |- !プレイオフ || 83 || 120 || .409 || 優勝1回 ||

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主な選手

現役選手

テンプレート:ワシントン・ウィザーズのロースター

年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2 1960年代 (プレイオフ進出:3回)


1970年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:4回 優勝:1回)


1980年代 (プレイオフ進出:7回)

テンプレート:Col-2 1990年代 (プレイオフ進出:1回)

2000年代 (プレイオフ進出:3回)


テンプレート:Col-end

コーチ、その他

歴代ヘッドコーチ

テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2

テンプレート:Col-2

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栄誉

テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2

殿堂入り

  • ウェス・アンセルド (Wes Unseld)

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永久欠番

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チーム記録

ワシントン・ウィザーズのチーム記録

脚註

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外部リンク

テンプレート:ワシントン・ウィザーズの歴代ヘッドコーチ テンプレート:ワシントン・ブレッツ 1977-78NBA優勝 テンプレート:サウスイースト・ディビジョン (NBA)

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