ココス諸島

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ココス諸島
Cocos (Keeling) Islands
ココス諸島の旗 90px
地域の旗地域の紋章
</dd>

地域の標語:なし
地域の歌:アドヴァンス・オーストラリア・フェア
ココス諸島の位置

公用語 英語マレー語
主都 ウェスト島かホーム島のバンタム地区(Bantam Village)
最大の都市 バンタム地区
政府

女王 エリザベス2世
行政官 ブライアン・レーシー

<tr> <th>ココス諸島のシャイア議長<td>Balmut Pirus </tr>

面積

総計 14km2N/A
水面積率 極僅か

人口

総計(2012年 554人(N/A
人口密度 39人/km2
</dl>

<tr> <th>成立<td>1857年 イギリス領へ </tr>

通貨 オーストラリア・ドルAUD
時間帯 UTC UTC+ 6:30(DST:UTC+ 6:30)
ISO 3166-1 CC / CCK
ccTLD .cc
国際電話番号 61-891

註1:GDPは、CIA World Factbookより
</dl> ココス諸島 (テンプレート:En) は、インド洋にあるオーストラリア領の諸島である。キーリング諸島 (テンプレート:En) とも。オーストラリア準州としての公式名称はココス(キーリング)諸島準州 (テンプレート:En)[1]

2つの環礁ノースキーリング島とサウスキーリング諸島からなる。サウスキーリング諸島はウェスト島ホーム島、サウス島、ディレクション島ホースバーグ島、プリズン島など多数の小さなサンゴ礁からなる。インド洋のオーストラリアとスリランカの中間に位置する。面積は14km²。

主府はウェスト島(ホーム島のバンタム(Bantam)の場合も)テンプレート:要説明。人口は629人だったテンプレート:いつが年々減少傾向にある。通貨はオーストラリア・ドル

歴史

諸島は東インド会社ウィリアム・キーリング (William Keeling) が1609年に発見したと考えられているが、彼の航海日記中には島の記述は存在しない。その前後に発刊された海図から、1606年から1622年の間に見出されたのは確実である。

1826年イギリス人アレキサンダー・ヘアが約100人のマレー人を伴いこの諸島に移住した。マレー人は子供が彼の身辺の世話、大人がココヤシプランテーションに従事させられた。ジョン・クルーニーズ=ロス一行23人はその翌年島にやってきた。ヘアとロスが島に渡った時、ココヤシが生い茂るだけの無人島だったがココヤシの樹幹にアラビア文字が刻まれていたと言う。ロスはヘアの部下だったが、結局、ロスがヘアを島から追い出し、ロスが島の領主となり、以後ロス一家が占有していた。

進化論チャールズ・ダーウィンは1836年、ビーグル号でココス諸島に上陸し、サンゴ礁形態の仮説を発表している。

1857年にイギリス領となった。

オーストラリア領の承知年は1955年11月23日。英語名の Cocos (Keeling) Islands は、他のココス島と容易に区別できるように付けられた正式呼称である。

1914年、通商破壊作戦中のドイツ海軍防護巡洋艦エムデン」が1914年11月9日にディレクション島に設置されていたイギリスの洋上無線のアンテナ塔と無線基地を破壊すべく陸戦隊を組織させ、襲来したが、その合間に到着したオーストラリア海軍軽巡洋艦シドニー」等との戦闘の末、エムデンはノースキーリング島南岸に大破・座礁した。エムデンからの陸戦隊は島から帆船を鹵獲して逃亡した。

1978年、諸島は5代目領主のジョン・セシル・クルーニーズ=ロスによりオーストラリア政府に625万豪ドルで売却され、オーストラリア領となった。売却益は全額諸島に寄付され、島ではこれを基金にして1979年ココス諸島協同組合を結成、現在この団体が島を運営している。

行政

ココス諸島はオーストラリアの領土であるが、名目上の管理権はオーストラリア総督にあり、クリスマス島と共に管理している。行政官はオーストラリア首相とは別にオーストラリア総督によって任命される。2014年4月現在の総督はピーター・コスグローブ (Peter Cosgrove)。

地理

ファイル:Cocos(Keeling)Islands PrisonIsland.jpg
手前がプリズン島で奥に見えるのがディレクション島である

ココス諸島は概略位置南緯12度10分、東経96度50分に位置し、最も近いクリスマス島でも約900km、スマトラ島から約1000kmの距離にある。南キーリング諸島と北キーリング諸島2つの環礁からなり、最高地点(サウス島北部)でも海抜9mしかなく、ココヤシの木などが密生している。

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経済

ココナッツがココス諸島唯一の換金作物で、環礁の至る所で栽培されている。外貨を稼ぐための切手の販売は1990年代に入って中止された。

またココス諸島は海底電線及びヨハネスブルグシドニー間を結ぶ定期空路の中継地でもあり、インド洋上での数少ない気象観測地でもある。

交通

ウェスト島にココス島国際空港があり、パースクリスマス島を結ぶ定期空路が運航されている。

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住民

2005年現在、人が住む島はウェスト島ホーム島の2島だけである。ウェスト島はオーストラリアから来た白人が殆どである。ホーム島はココナッツのプランテーションの労働としてマレーシアから連れて来たマレー系の住民が殆どである。 マレー系が66%、オーストラリア系白人が33%でジャワ人中国人もいる。

公用語は英語で、他にマレー語など。

宗教はイスラム教80%、ほかキリスト教

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創作

鶴見良行がココス諸島へ行きココス諸島について書いた『ココス島奇譚』がある。

出典

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外部リンク・参考資料

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  1. Cocos (Keeling) Islands Act 1955 Part II—Acceptance of the Islands 5 Acceptance of Cocos or Keeling Islands