つやま (列車)
テンプレート:列車名 つやまとは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が、かつて津山線の岡山駅 - 津山駅間で運転していた急行列車である。
本項では津山線で運転されていた優等列車の沿革についても記述する。
目次
概要
智頭急行智頭線の開業後、津山線で運転されていた岡山駅 - 鳥取駅間の急行「砂丘」が1997年に廃止され、津山線の急行列車はすべて快速列車である「ことぶき」に置き換えられる予定であったが、急行がなくなると地域のイメージダウンになると考えた津山市や地元の商工会から急行列車の存続の要望があり[1]、「砂丘」の1往復が急行列車として残されたもので、この列車が「つやま」として岡山駅 - 智頭駅間(津山駅 - 智頭駅間は快速列車)で運転を開始したものである。
快速「ことぶき」とは停車駅と所要時間の大差がないために、「つやま」と「ことぶき」との差異は急行料金を徴収するか否かぐらいになった。このため、一部の人間からは「ぼったくり急行」とまで揶揄された。2007年には急行「みよし」の廃止に伴い、JRの昼行急行列車として唯一の列車となったが、その2年後の2009年春のダイヤ改正で「ことぶき」に統合され、JRの昼行急行列車は全廃され、消滅した[2]。
廃止時の運行概況
運転開始当初から廃止されるまで、岡山駅 - 津山駅間 (58.7km) で1往復運転されていた。なお、1997年11月から1999年10月まで、岡山駅 - 津山駅間は急行列車、津山駅 - 智頭駅間は快速列車として運転されていたが、1999年には岡山駅 - 津山駅間の運転に改められた。
列車番号は、901D - 902Dと運転線区で変更がなかった。ただし、津山線の起点は岡山駅であるが、実際は津山駅から岡山駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっていた。下りは号数+900の奇数で901D、上りは号数+900の偶数で902Dであった。
停車駅
岡山駅 - 金川駅 - 福渡駅 - 弓削駅 - 亀甲駅 - 津山駅
- なお、快速「ことぶき」の最速達列車との停車駅の差は法界院駅に停車するか否かのみであった。
使用車両・編成
運転開始当初は、半室グリーン車であるキロハ28形が連結されたキハ58系の3両編成で運転されていた。2003年10月からはキハ40系キハ48形またはキハ47形2両編成に置き換えられ(グリーン車の連結は廃止)、最高速度が従来の85km/hから95km/hに向上してダイヤ上の制約が解消したが、これらの車両は近郊列車用に設計された一般型気動車であってグリーン車の連結も廃止され、急行列車にも関わらず車内の座席は一部をロングシートとしたセミクロスシートである上、朝夕の普通列車との共通運用で、いわゆる「遜色急行」となって廃止時まで運行された。
- JRW Tsuyama express train.jpg
JR西日本リニューアル色のキハ48形で運行される「つやま」
- つやまサボ.JPG
「つやま」のサボ
津山線優等列車概説
砂丘
1962年に陰陽連絡列車の1つとして宇野駅 - 鳥取駅間の準急列車として運転を開始した。運転開始当時は、瀬戸内海に面する岡山県と日本海側の山陰地方を結ぶ列車は、伯備線経由の「だいせん」と「しんじ」の鳥取県西部・島根県に至る列車が運転されているさなか、鳥取県東部に至る列車は「ひるぜん」の上り列車が1本運転されているのみであった。宇野駅 - 岡山駅間は「しんじ」と併結されて四国連絡の使命をも果たし、岡山市と鳥取市を結ぶ都市間輸送を担っていた。1966年に急行列車化され、1967年には鳥取駅 - 上井駅(現在の倉吉駅)間が毎日運転の臨時列車として延長運転されるようになった。
1972年に山陽新幹線新大阪駅 - 岡山駅間が開業すると、陰陽連絡列車として3往復に増発され、岡山駅 - 鳥取駅・上井駅間で運転されるようになるが、国鉄分割民営化後も最大5往復にまで増発されるなど、全国的な急行列車退潮の中にあって一定の需要を保った希有の急行列車であった。
しかし、1994年に高規格の智頭急行智頭線が開業したことにより高速運転が可能になると、津山線は線形が悪いため速度面で不利があり、1996年に高速化された際も所要時間を短縮することができなかった。1997年に岡山駅 - 鳥取駅間(智頭線経由)で特急「いなば」(現在の「スーパーいなば」)の運転開始にあわせて廃止された。
停車駅
岡山駅 - (金川駅) - 福渡駅 - (弓削駅) - (亀甲駅) - 津山駅 - (東津山駅) - 美作加茂駅 - 智頭駅 - (用瀬駅) - 郡家駅 - 鳥取駅
- ( )は一部の列車が停車。
使用車両
急行形気動車であるキハ58形・キハ65形および半室グリーン車であるキロハ28形を使用し、このうちキロハ28形(100番台)は「砂丘」にのみに連結されていた珍しい車両であった[3]。
1992年には車両のリニューアルを行うため、四国旅客鉄道からキハ185系気動車の購入を計画するが、実現しなかった。そのため、やむなく、キハ58系気動車のキハ58形4両・キロハ28形4両とキハ65形気動車4両の計12両が専用車両としてリニューアル改造が施工され、シートは0系新幹線からの流用であるリクライニングシートに交換された。また、タブレットを通過中に受け取るためのタブレットキャッチャーを装備していた。
ひるぜん
津山線初の優等列車として、1960年に岡山駅 - 中国勝山駅・上井駅(現在の倉吉駅)間の準急列車として運転を開始したが、上井駅は岡山発の上り列車のみ運転され、津山駅で「みささ」「みまさか」と増解結が行われていた。1966年には上井行きのみ急行列車化されたが、1968年には上下ともに急行列車化され、上井行きも同年に「伯耆」に統合され、岡山駅 → 月田駅間と中国勝山駅 → 岡山駅間のそれぞれ1本の合計1往復が運転されるのみになり、1973年に快速列車に変更されて廃止された。
津山線優等列車沿革
- 1960年(昭和35年)12月1日:岡山駅 - 中国勝山駅・上井駅間(津山線・姫新線経由)で準急「ひるぜん」が運転開始。
- 1962年(昭和37年)
- 1966年(昭和41年)3月5日:制度改正により、「ひるぜん」「砂丘」急行列車になる。ただし、「ひるぜん」の中国勝山発岡山行き準急のまま残された。
- 1967年(昭和42年)10月1日:「砂丘」の運転区間が、宇野駅 - 上井駅間に変更(鳥取駅 - 上井駅間は毎日運転の臨時列車)。
- 1968年(昭和43年)10月1日:「ひるぜん」の全列車が急行列車になる。また、岡山発上井行きは「伯耆」(ほうき)に統合され、「ひるぜん」は岡山駅 → 月田駅間と中国勝山駅 → 岡山駅間の合計1往復になる。
- 1972年(昭和47年)3月15日:山陽新幹線新大阪駅 - 岡山駅間の開業により、「砂丘」の運転区間が岡山駅 - 鳥取駅・倉吉駅間の合計3往復になる。
- 1973年(昭和48年)3月12日:「ひるぜん」が廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日:「砂丘」の岡山駅 - 鳥取駅間で1往復増発され、4往復になる。
- 1989年(平成元年)3月11日:「砂丘」の岡山駅 - 鳥取駅間で1往復増発され、5往復になる。
- 1997年(平成9年)11月29日:ダイヤ改正により次のように変更[4]。
- 岡山駅 - 鳥取駅間(智頭急行智頭線経由)で特急「いなば」3往復が運転開始。
- 「砂丘」が廃止。
- 岡山駅 - 智頭駅間(津山線・因美線経由)で急行「つやま」が運転開始(津山駅 - 智頭駅間は快速列車)。
- 1999年(平成11年)10月2日:「つやま」の津山駅 - 智頭駅間が廃止され、岡山駅 - 津山駅間に短縮される。
- 2003年(平成15年)10月1日:「つやま」の使用車両がキハ40系に変更。これに伴い、「つやま」のグリーン車キロハ28形の連結が中止。
- 2005年(平成17年)2月26日 - 3月14日:玉柏駅 - 牧山駅間で発生した土砂崩れのため、「つやま」が運休[5][6]。
- 2006年(平成18年)11月19日 - 2007年(平成19年)3月17日:玉柏駅 - 牧山駅間で発生した落石のため、「つやま」が運休[7]。
- 2009年(平成21年)3月13日:「つやま」が廃止[8]。これによりJRの昼行急行列車は全廃となった。
脚注
参考文献
- 寺本光照『国鉄・JR列車名大事典』中央書院、2001年。ISBN 4-88732-093-0。
- 今尾恵介・原武史『日本鉄道旅行歴史地図帳-全線・全駅・全優等列車- 11号・中国四国』新潮社、2011年。ISBN 978-4-10-790045-6。
外部リンク
- 急行「砂丘」 - Tetsudo.com
- ↑ JR最後の昼間急行「つやま」で行く小旅行 - 朝日新聞社 2008年11月23日
- ↑ 2013年現在、急行列車は、定期列車としては、夜行のはまなすのみとなっている。
- ↑ 例外的に、1976年から80年にかけ、高徳線用に0番台が1両のみ存在した
- ↑ 平成9年秋ダイヤ改正について(別紙詳細)(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1997年7月25日
- ↑ 斜面崩落災害に伴う津山線ダイヤ改正(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年3月2日
- ↑ 津山線 玉柏〜牧山間の開通(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道 2005年3月14日
- ↑ 津山線(玉柏から牧山駅間)の運転再開について(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年2月26日
- ↑ 急行“つやま”廃止される - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2009年3月14日