クイズ仕事人
『クイズ仕事人』(クイズしごとにん)は、1988年10月14日から1991年3月18日まで朝日放送(ABCテレビ)が制作・放送していたクイズ番組である。ここでは、1991年4月15日から同年9月16日までテレビ朝日系列局で放送された後継番組『クイズバトルロイヤル待ったあり!』についても取り上げる。
目次
概要
当初は関西ローカル(毎週金曜 23:17 - 24:17放送)だったが、視聴率20%超を記録したことがきっかけとなり、1990年5月に毎週月曜日20時からの全国放送に昇格した。
番組の体裁としては、毎回ある1つの仕事にスポットライトを当て、それに関連するドキュメントとその中から出題するクイズを1回の放送につき3、4問程度出題するというものだった。正解者には各問題ごとに賞品がプレゼントされ、トップ賞を獲得したパネラーは獲得賞品の中から1つをくじ引きで選び(全問正解の場合は欲しいものを選べる)、さらに獲得賞品の中から1つを視聴者にプレゼントした。
全国放送になってからは、番組スポンサーからの商品もあった。例として、当時紳助がCMに出演していた「C1000タケダ」や東芝の電化製品などあった。
出演者
司会
アシスタント
- 初代:坂口美津穂 - 関西ローカル時代の1988年10月から1989年9月まで出演。結婚準備のために降板。
- 2代目:武谷三代(現・武谷真名) - 関西ローカル時代の1989年10月から1990年4月まで出演。
- 3代目:生稲晃子 - 全国ネット化以後の1990年5月から1991年3月まで出演。
パネラー
ナレーター
エピソード
- この番組の最大の特徴は、解答者の円広志をいじめることである。円にだけ判定を厳しくしたり、言いがかりをつけて賞品を与えなかったり、単独で円が正解した場合は正解発表前に突然商品を勝手にティッシュペーパーに変えるといったことをした。全国ネット時代の番組宣伝広告には「紳助が司会をするクイズ番組が公平なわけがない」と書いてあった。
- 関西ローカル時代には、一時期独立UHF局であるテレビ埼玉でも放送されていた。
- ローカル時代は関西の人ばかりを取り上げていたが、全国放送になって予算が10倍になったといい、突然海外で活躍する日本人ばかりを取材するようになった。
- 当時近鉄バファローズ投手だった野茂英雄が全問正解し、パーフェクトを達成。その前の週の金曜夕方のテレビ朝日の番宣番組で紹介された。
- アシスタントが紳助や解答者にいじられることも度々あり、CM中に嘘を教えられた初代アシスタントの坂口美津穂が「大石内蔵助」を「だいこくないくらのすけ」と読まされてしまったこともあった。
- 実際はCM中に坂口が原稿(VTR後の問題文)の下読みをしているときに「大石内蔵助」を「おおいしないぞうのすけ」と読みスタジオが大爆笑となってしまい、この後に解答者の1人であった原田伸郎に「だいこくないくらのすけ」と嘘を教えたら信じ込んだ坂口がそのまま読んだのが原因である。この時紳助は笑いが止まらずにO.A.ではCMが明けて紳助の爆笑する姿から始まり、紳助は「なぜ笑っているかは後でわかります」と説明していた。なお、紳助はTBSの『クイズ!当たって25%』で、忠臣蔵をテーマにしたピリオドの時に「大石内蔵助」を「おおいしないぞうのすけ」と読んだアシスタントがいたと全国ネットでバラしていた(名前は明かさなかったものの「星野伸之投手の奥さんです」と言っていた)。
- 初期には現金(大体五千円札)を紳助に払うことで回答を変更できるという勝手なルールが登場したが、後にお金を払う際に「これらのお金は○○基金に寄付させていただきます」というアナウンスがされるようになった(回答の変更は全国ネット版でもあったが、現金の支払いではなく点数の支払いに変更されている)。
- 全国放送時代、ゲスト回答者だった東尾修が回答フリップに放送禁止用語を記入してしまい、フリップにモザイク処理が掛けられるという珍事が起こった。
クイズバトルロイヤル待ったあり!
深夜時代の高視聴率を売りに全国放送に昇格した同番組であるが、関東地区の視聴率が全く振るわず、関西と比べて数倍の視聴率格差が存在していたようである(番組中で紳助が「視聴率が関西は16%あるのに関東ではわずか3%だった」と語っていた回があった)。その後、関東での視聴率アップを図って1991年4月15日放送から内容・出演者を一新した「クイズバトルロイヤル待ったあり」として放送された(スーパープロデュースと共同制作)。ちなみに、この番組から長野朝日放送がネット局に加わっている。番組スタート時の会見で紳助は「関東で視聴率が10%を超えたらアシスタントの大島智子と一夜を共にする」という仰天発言をした(あくまでも洒落の発言。結局、関東ではわずか3%だったため、実現せず)。
- この時はルールが一部異なっており、個人戦から2人1組のチーム戦の形を取っていた。回答者は1000点(番組ではバトルという単位だった)からスタートし、正解すれば賭け点を倍返し。不正解ならその分を減点させられる。また、「待ったくん」と呼ばれる人形があり、オープニングクイズ(席枠決め)で最初の所持チームを決め、所持チームは他チームの回答を見た後にボタンを押して人形のライトを光らせて、指定したチームと自分のチームの答えを交換、指定されたチームに「待ったくん」が移動するルール。ちなみに、この「待ったくん」の使い方で多かったのは、最終問題の1つ前の問題で人形を持っているチームがわざとボケた解答を書き(しかもその問題は非常に簡単な場合が多かった)、他チーム(その問題の時点で所持金が最も多いチームであることが多かった)になすりつけるというものだったが、初期のころは単に「待ったくん」を持っているチームの解答に自信がなければ取り替えることもあった。また、「待ったくん」の初期は「学ランを着ている(不良姿?)紳助」だったが、のちに「ヘルメットを持ったレーシング服を着ている紳助」になり、2体とも「待った!」のポーズをしていた。
最終問題の前に点数が極端に少ないチームは、プレゼントや芸の披露などで紳助の独断により得点が幾分か貰えた。 最終問題はジャンピングバトルで、4択問題の回答の内容によって紳助の独断で2・4・6・8倍の倍率を決め、正解すれば掛け金+倍率が得点として加算された。2万点を超えるとラスベガス旅行を獲得できた。しかし、1991年9月16日をもって放送終了。この番組の終了から2年後の1993年秋、再び『ナイトinナイト』枠で同番組の形式を踏襲したローカル番組として「クイズ!紳助くん」がスタートした。
司会
- 島田紳助
- 大島智子
レギュラー解答者
ナレーション
テーマ曲
- オープニングテーマ
エピソード
- 最終問題は、『クイズ!仕事人』に引き続き桂小枝進行の4択クイズだったが、そののち、若手芸人4組などによる「階段登り」に変更された。
- かつて、最終問題で全チームが全点を賭け、全滅となり、普通だと「優勝なし」となるが、最終問題の前に紳助のサインをおでこに書いたそのまんま東のいるチームがおでこ保証点を獲得し、優勝する珍事があった。
- 最終回収録で最終問題の前に岡本夏生と組んだ布川敏和が途中海外ロケに行くために退席したが、最終問題で正解し、2万点突破でラスベガス旅行を獲得した。
- この番組終了後はドラマ枠となり、1991年10月から『ダウンタウン探偵組'91』(風間杜夫主演)がスタートしている。