丸岡町
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テンプレート:Infobox 丸岡町(まるおかちょう)は、福井県北部、現坂井市の町である。2006年までは坂井郡の市町村だったが、それ以降は坂井市の地域自治区である。
福井県の町では唯一、人口が3万人を超えており、南にある福井市のベッドタウンとして住宅地の開発などにより増加を続けていた。
日本一短い手紙と呼ばれる「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は、戦国武将本多重次が息子仙千代、後の初代丸岡藩主本多成重のために送ったものである。このことから、「一筆啓上」の発信地として毎年日本一短い物語(日本一短い手紙)の募集、授賞式などが行われている。この一筆啓上のイベントは全国の自治体主催の公募イベントの先駆であり、全国で同じような公募が行われるきっかけとなった。
2006年3月20日に坂井郡内3町と合併して坂井市となった。単独市制には人口50000人以上が必要なため「丸岡市」は断念された。
目次
地理
西部は福井平野、東部の竹田地区は山に囲まれている。
隣接していた市町村
歴史
- 継体天皇が即位前に住んでいたと言われる。町内の女形谷(おながたに)の地名はこの即位により「御名が谷」と呼ばれるようになったものが変化したとされる。
- 1948年(昭和23年)6月28日発生の福井地震の震源地である。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、丸岡町の一部(丸岡富田町・丸岡谷町・丸岡石城戸町・丸岡巽町・丸岡本町・丸岡上田町・丸岡霞町および丸岡八幡町・丸岡松川町・丸岡乾町・丸岡下田町の各一部)および西瓜屋村・猪爪村・一本田村・一本田中村・西里丸岡村の各一部の区域をもって丸岡町が発足。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 長畝村・竹田村・高椋村・鳴鹿村・磯部村と合併し、改めて丸岡町が発足。
- 1955年(昭和30年)8月31日 - 坂井郡金津町の一部(大字坪江・川上・乗兼・堀水・里竹田)を編入。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 大字鳴鹿山鹿を吉田郡志比村に編入。
- 1967年(昭和42年)8月1日 - 春江町と境界変更。
- 1970年(昭和45年)2月1日 - 吉田郡永平寺町と境界変更。
- 1984年(昭和59年)3月1日 - 吉田郡松岡町と境界変更。
- 2006年(平成18年)3月20日 - 三国町・春江町・坂井町と合併して坂井市が発足。同日丸岡町廃止。
行政
- 町長 林田恒正(1999年から)
経済・産業
繊維産業、稲作が盛ん。また南東部に福井県産業情報センターを中心とした企業団地「ソフトパークふくい」があり、 隣接する福井県立大学(永平寺町)と産学協同の情報分野における研究開発がしやすい環境となっている。 丸岡町はコシヒカリの故郷でもある。コシヒカリの品種育成に中心的な役割を果たしたのが、石墨慶一郎である。コシヒカリという名前は、「越しの国に光り輝く」という意味。また、昭和31年に農林登録番号100番を得た。
- 産業人口(2005年国勢調査)
- 第一次産業 721人
- 第二次産業 6,335人
- 第三次産業 10,284人
姉妹都市・提携都市
国内
海外
交通
鉄道
- 町内に鉄道駅はない。
- 隣接する坂井郡坂井町にある西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線:丸岡駅が最寄。
- 1969年までは京福電鉄永平寺線、1968年までは京福電鉄丸岡線が町内を通っており、本丸岡駅などがあった。
バス
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
- 町内を走る都道府県道:
- 福井県道9号芦原丸岡線
- 福井県道10号丸岡川西線
- 福井県道17号勝山丸岡線
- 福井県道30号福井丸岡線
- 福井県道38号丸岡インター線
- 福井県道108号春江丸岡線
- 福井県道109号南横地芦原線
- 福井県道110号中川松岡線
- 福井県道112号栃神谷鳴鹿森田線
- 福井県道259号龍ヶ鼻ダム公園線
- 町内を走る都道府県道:
健康
- 平均年齢 41.8歳(2005年国勢調査)
教育
- 福井県立丸岡高等学校
- 丸岡町立丸岡中学校
- 丸岡町立丸岡中学校竹田分校
- 丸岡町立丸岡南中学校
- 丸岡町立磯部小学校
- 丸岡町立高椋小学校
- 丸岡町立竹田小学校
- 丸岡町立鳴鹿小学校
- 丸岡町立長畝小学校
- 丸岡町立平章小学校
- 丸岡町立明章小学校
- 福井県立嶺北養護学校
観光スポット
- 丸岡城
- たけくらべ
- 越前竹人形の里
- 竹田の油あげ 谷口屋
参考文献
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。