コシヒカリ
目次
概要
福井県で誕生した米の代表格である。 コシヒカリという品種は1つであるが、コシヒカリという銘柄(消費者が買う段階の商品名)にはコシヒカリ(品種)と多数の品種を含むコシヒカリBLという品種群が含まれる。現在、「新潟県産コシヒカリ」という銘柄は、9割以上がコシヒカリBLという品種群であり、コシヒカリ(品種)とは異なる。
コシヒカリ(品種)は、昭和から平成にかけて、福島県、新潟県以南の日本各地で栽培される品種である[2]。1956年(昭和31年)、水稲農林100号「コシヒカリ」として命名登録された[3]。1979年(昭和54年)から作付面積1位を続け、2005年には作付比率38%であった[4]。
米の粘りが強く食味に優れる品種であるが、栽培上は倒伏しやすい、いもち病などに弱いなどの欠点も併せ持つ[5]。
育成経過
公式来歴は、来歴[5]を参照のこと。
1944年(昭和19年)に、新潟県農業試験場の高橋浩之により「農林22号」と「農林1号」との交配が行われたが、この雑種は戦時下の状況悪化のため翌年の栽培は見送られた。
1946年(昭和21年)、戦争終了後、育種事業が再開され、前述の雑種(雑種第一代)の栽培が行なわれた。この年の11月に高橋は転出したため、この交配組合せの育成は、仮谷桂と池隆肆に引き継がれた。1947年(昭和22年)には、雑代第二代の栽培と選抜が行なわれた。選ばれた雑種第三代の種子の一部(20粒とも伝えられる)は、福井農事改良実験所(現:福井県農業試験場)に送られ、福井県で育成が行なわれることとなった。福井県での担当者は、石墨慶一郎と岡田正憲である。
福井県での1948年(昭和23年)から1952年(昭和27年)までの育種の結果、有望な2系統が育成され、「越南14号」「越南17号」の系統名が与えられた(越南14号は後に、農林91号として登録され「ホウネンワセ」の品種名がついた)。1953年(昭和28年)から「越南17号」について、20府県での適応性試験が行なわれた。結果は茎が弱く倒れやすい、穂首いもちに弱い、未熟粒(青米)が多い、収量も多くないなど、否定的な結果が多いものであった。
育成地の福井県でも、奨励品種採用が見送られたほどの成績であったが、越南17号を救ったのは、採用県の新潟県とそれに賛同した千葉県であった。1955年(昭和30年)に越南17号は、新潟県・千葉県の奨励品種となる。新潟県が奨励品種としたのは、当時の主要品種である農林21号よりも葉いもち耐性が優れ、収量が安定しており、米質も農林21号同様非常に優れていたためである[5]。また、農家が肥料を与えすぎる傾向があり、そのため草丈が伸びてイネが倒れてしまいやすい事から、あえて多肥栽培に向かない、作りにくい品種を選びそれを解決しようとしたためとも言われている。
一方で有機農法を推進する立場からは、多肥栽培に向かない=有機肥料に向かない、病虫害に弱い=農薬の大量散布が必要、という観点から、批判的な意見もある。
新潟・千葉の2県での奨励品種決定を受けて、福井県では越南17号の命名登録を行なうことになった。福井県側から、新潟県側に命名の依頼が行なわれた。新潟県は、両県がかつて含まれていた「越国」(こしのくに)に因み、「越の国に光輝く米」と言う願いを込めて「コシヒカリ」と命名した。コシヒカリは、1956年(昭和31年)に農林登録され、農林品種としては農林100号の番号がついた。後に、育成者の代表として石墨は、日本育種学会賞や農林大臣賞を受賞している。
ちなみにササニシキも「農林22号」と「農林1号」との交配から生まれたコメである。「農林22号」と「農林1号」との交配から直接生まれたのはコシヒカリとハツニシキがあるが、ササニシキはハツニシキの耐倒伏性を少しだけ改善したものである。コシヒカリとササニシキは兄弟親戚品種である。
日本各地への普及
日本穀物検定協会による平成20年度の「米の食味ランキング」において最高の「特A」を得たコシヒカリの産地は、山形県の内陸、下越以外の新潟県の全域、福島県の会津、群馬県の北毛、長野県の東信、山梨県の峡北だった[6]。この内、新潟県の魚沼産が一番高値で取引されている[7]。すなわち、食味の良い産地は新潟県周辺の内陸部に集中しているが、これらの地域では夏季にフェーン現象などで昼間に高温になりながらも夜間は熱帯夜になりづらいという気候の特徴が共通している。また近年では、誕生した福井県産も最高ランクを立て続けに獲得している。
これらの「特A」産地以外では、栃木県が1957年にコシヒカリの耐冷性に注目し、県北部での普及品種として採用した。また、鹿児島県(1960年)や宮崎県(1961年)では、早期栽培用の品種として採用するなど、南東北から南九州までコシヒカリの栽培地は広がっている。高温下でも外観品質が低下しないこと(但し熱帯夜により夜間の気温が30℃を超えたままの日が続くと出穂後の実入りが悪くなる)、および穂発芽(多雨や倒伏による浸水で穂のまま発芽してしまうこと)への抵抗性が非常に強いことが、コシヒカリが広く普及した理由である。福井県での採用は遅めの1972年である。
なお、コシヒカリと掛け合わせることで、新たな品種の育成が各地で多数試みられている[8]。代表的な品種として、あきたこまち[9]・ヒノヒカリ[10]・ひとめぼれ[11]・森のくまさん[12]がある。
コシヒカリの生育特性
一例として、福井県でのコシヒカリの栽培時期を示す。
- 播種日 … 4月25日
- 田植日 … 5月21日
- 出穂期 … 8月9日
- 登熟期間 … 8月19日〜9月18日
注)登熟期間の開始日は、出穂期+10日目の日としている。
コシヒカリBL
テンプレート:Main コシヒカリBLとは、いもち病に抵抗性を持つように改良された新たな品種群である。BLとは、いもち病抵抗性系統の意味であるBlast resistance Lines(ブラスト・レジスタンス・ラインズ)の略。新潟県で育成・栽培されるコシヒカリ新潟BL1号~12号の12品種が嚆矢である。2005年から新潟県で作付けされるコシヒカリのほとんどがコシヒカリBLである。なお、富山県でも独自のコシヒカリBLを育成している[8]。
関連品種
祖先品種
姉妹品種
いずれも「農林22号」x「農林1号」の交配組合せ。
- ヤマセニシキ
- ハツニシキ - 東北農業試験場(1954年)
- ホウネンワセ
- 越路早生
子品種
一覧については「コシヒカリを親にした品種一覧」[8]を参照。
- 初星[13] - 愛知県農業総合試験場(1977年)
- あきたこまち[9] - 秋田県農業試験場(1984年)
- ヒノヒカリ[10] - 宮崎県総合農業試験場(1989年)
- ユメヒカリ[14] - 九州農業試験場(1990年)
- ひとめぼれ[11] - 宮城県古川農業試験場(1991年)
- 森のくまさん[12] - 熊本県農業研究センター農産園芸研究所(1996年)
- コシヒカリBL
- 五百川
孫品種
- こしいぶき - ひとめぼれ×どまんなか
- しまひかり[15] - 北海道立道南農業試験場(1980年)
- キヌヒカリ[16] - 北陸農業試験場(1988年)
- あきげしき -ヒノヒカリ×九系919(西海199号)
ひ孫品種
その他
コシヒカリを題材にした楽曲
- 「コシヒカリ音頭」(歌:林家こん平)
- 1979年発売。コロムビア・レコードのヒット賞を受賞した。
- 「私こしひかり」(歌:米米CLUB)
- 1991年発表のアルバム「米米CLUB」に収録の楽曲。因みにヴォーカルはジェームス小野田(小野田安秀)。ただし宮城県でのコンサートに限っては「私ササニシキ」として歌われた。