清水アキラ

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox お笑い芸人 清水 アキラ(しみず アキラ、1954年6月29日 - )は日本の元ものまねタレントお笑いタレントである。本名、清水 章(しみず あきら)。

長野県下高井郡山ノ内町出身[1]清水エイジェンシー所属。

人物

  • 足利工業大学工学部機械工学科中退。元ザ・ハンダースのメンバー。ハンダースの解散後にあのねのね清水國明に弟子入りしている(名前の「清水」は自身の本名であり、芸名の由来に関係しない)。
  • 愛称は「アキラ(さん)(君)」。
  • 特に本人と比較的親しいタレントや自身がレギュラー出演している『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』の共演者(今田耕司東野幸治片岡鶴太郎小川菜摘など)からは、『清水さん』よりも『アキラさん』と、下の名前で呼ばれることが多い。2010年代からは南明奈の愛称「アッキーナ」を真似て「アッキーラ」と呼ばれることもある。
  • 特技はスキーで、国体選手だったこともある程の腕前。家業を継ぐため大学に進学するも、20歳の時に父親が他界。
  • 2004年頃に栗田貫一とお笑いコンビ『アキカン』を結成。
  • プロ野球読売ジャイアンツファン。
  • 三男は俳優清水良太郎。次男は大学卒業後、父親のマネージャーになる(清水プロ代表取締役)。また、三男の良太郎とは『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』や『ものまね王座決定戦』(復活版)において、親子共演もしている。長男は、旅客機のパイロットである事が清水の口から語られている。以前、良太郎と長男がパイロットとして搭乗していた旅客機に乗り合わせたことがある。
  • ものまねタレントではトップクラスの実力者で、『ものまね王座決定戦』ではビジーフォーと並ぶ最多の5回優勝しており、『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』では数回、大トリを務めている。
  • 2012年7月15日、「2013年を以ってものまねタレントとしての活動に終止符を打つ」と発表。理由は良太郎の成長のためとしたほか、今後はものまねの審査員をしたいと述べている[2]。ものまねタレントとしての最後の仕事は2013年12月28日放送の『ものまね王座決定戦』となった。
  • 2013年11月、清水は単身長野県山ノ内町に移住、妻は「私は(長野での生活は)ダメだな」として都内での生活を選択したため、「離婚危機では?」と報じられたが、自身のブログで妻との「卒婚」を明かし、離婚ではなくあくまで「結婚生活からの卒業」と説明している[3]
  • 2013年12月28日放送の『最強トーナメント2013 ものまね王座大決定戦 新王者誕生スペシャル!!』を以て、フジテレビの『ものまね王座決定戦』及び『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』を卒業(降板)した。

出演作品

CD

  • ラーメンブルース(青江三奈とのデュエットソング。三共(現・第一三共)が発売した低カロリーカップ麺『メルビオラーメン』のCMソングに使われた)
  • 今この道を(2007年11月21日発売のシングル)

ものまねレパートリー

主なものまね芸

  • 顔にセロハンテープを貼って、本人そっくりに見立てる『セロテープ顔面整形』が特技。
    • 『セロテープ顔面整形』の初出は1989年放送の『ものまね王座決定戦』における研ナオコ「夏をあきらめて」のものまねで、コロッケの『顔面ものまね』による研ナオコのものまねで指で鼻を引き上げた所に着想を得た説が有力。また研のまねで山本リンダの「こまっちゃうナ」の替え歌を歌った際に「こまっちゃうな~、アソコに毛が生えた〜」と歌い、下品な清水のものまねを毛嫌いしていた淡谷のり子がコメントを求められた際は「(似ているのは)顔だけじゃない」と一喝される。研の「こまっちゃうナ」は1990年正月放送の『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』でしのざき美知松本明子森口博子篠塚満由美の4人が再披露した。
    • 後に『ものまね珍坊』で、その「夏をあきらめて」のものまねの最中、研ナオコ本人が清水と同じ『セロテープ顔面整形』をした状態で登場し、爆笑に包まれながら競演したことがある。
    • テープを顔に貼り過ぎて顔が春日八郎の様になったことがあり、それを逆手にとって春日のものまねで『お富さん』を歌い笑いを取った。この際、鼻をテープで潰し、口にもテープを貼っていたためかなり呼吸が苦しい状態で歌っており、表情も嬉しいのか困っているのか区別がつかないものであった。司会の榊原郁恵はこれを見て「それ困った顔なんですか?」と言い、同じく司会の所ジョージは「セロテープもここまで使われれば嬉しいよね」と清水のテープ芸を賞賛した。一方、審査員の淡谷には「似てませんね」と一喝される。後に『ものまね珍坊』で春日本人と競演、春日は清水のものまねを見て「俺、こんな顔してるのかな?」と感想を述べている。
    • 三男・良太郎は自身の学生時代、清水がものまね番組でセロハンテープ芸を披露した翌日の学校の図画工作音楽の授業中にて鼻にセロハンテープを貼る同級生が多数いたため困ったという。また、良太郎の証言によると、清水はセロハンテープの種類や鼻に貼る分の長さ(この人物によって長さを固定)に相当拘っており、営業の時にスタッフがセロハンテープの種類や切る長さを間違うと、相当怒るという[4]
  • また、一見、正統派のものまねと思わせておいてとんでもない下ネタ、滅茶苦茶な替え歌、小ネタをねじ込む事も多かった。
    • 新沼謙治のまねで「津軽恋女」を演じた際は、鳩を出す手品をした。五木ひろしのまねで「よこはま・たそがれ」を演じた際は「♪よこはめ、たてはめ、ホテルの小部屋~」と替え歌にし、腰を激しくグラインドさせた。
    • 下ネタをよく好んだため、『ものまね王座決定戦』に参加していた頃は、審査員の淡谷のり子に酷評・説教されるのが半ば定番になっており、珍しく正統派の物真似を披露した時は「真面目にやればできるじゃない」と評された。前述の『セロテープ顔面整形』で研ナオコのものまねを初披露した際、淡谷から滅多に出さない満点を与えられた清水は、歓喜のあまり審査員席の淡谷の前まで行って土下座した程であり、「嬉しいです。だって淡谷先生に嫌われて3年ですから」とコメントした。自らの芸に対して本気で叱ってくれる淡谷を慕っており、淡谷が死去した際には涙さえ見せた。
  • 村田英雄のまねをする際、口を叩いて音を出す芸は1985年の『ものまね王座決定戦』で初披露。「浪花節だよ人生は」のイントロ部分の鼓の音を口を開き、掌を口に叩きつけて再現したことで話題となる。後々、ものまね番組でお馴染みとなる、司会の研ナオコが舞台袖で爆笑しながらひっくり返る様はこの時が元祖とされる。
    • 生前の村田は清水が自らのものまねを披露していることを知っており、ある時清水と出会った村田が「いつも俺のこと宣伝してくれてありがとうな。お前がテレビで村田だ!村田だ!とやってくれているのを見てると嬉しくてな」と感謝の言葉をかけたという。その村田が糖尿病で足を切断した際も、快く清水の見舞いを受け入れた。村田の壮絶な闘病を耳伝いに聞き、ものまねを続けるべきか悩んでいた清水は、そのことがきっかけで村田のものまねを続けることを決心できたという。村田が死去した際清水はこの時のエピソードに触れ、涙を流しながら村田を偲んでいる。
    • 村田英雄記念館の村田英雄年表欄の1986年の項目には、「タレントの清水アキラに物真似される」と表示されている。
    • 毎日放送TBSたけし・所のドラキュラが狙ってる』で、実際に村田と共演したことがある。
    • 清水の口を叩くしぐさや俺が村田だという振る舞いが河合じゅんじの漫画に引用されていた。ちなみに河合の漫画の中でこれをやるのは村田兆治である。

エピソード

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

  • トニー谷のものまね中にマイクにオナラをしようとしたが出なかった。
  • オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!スペシャル』で橋幸夫のものまねで『恋のメキシカン・ロック』を女性用のハイレグ水着姿でやりさんざんふざけたネタをした後に本人が登場、歌唱後に清水が橋に土下座して謝罪したが快く許してもらった。しかし、懲りずに後の回でも度々橋のものまね(曲は同じく『恋のメキシカン・ロック』)を女性用のハイレグ水着やスクール水着姿でやっており、ふざけたネタを披露した後に毎回本人が登場している。歌唱終了後には清水だけでなく司会者一同も橋に謝るのが恒例だが、ある回でメイン司会者格の榊原郁恵が橋に「怒ってらっしゃいます?」と聞いたところ、「マジな話でね、アキラ君が毎回こんな風にやってくれて、僕はもう感動してます。こんな人いませんよ」と橋が返し、会場の爆笑を誘った。
  • 2004年末の『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』で北島三郎のものまねで『まつり』を披露。曲の終盤で安田大サーカス張りのアクションでいきなり赤いブラジャーと白地に黒色で“”と染め抜かれた褌姿となる。その直後に本人が登場した時は、会場は一時パニックとなった。この後、清水は、「紅白の時この格好をして応援しに行く!!」と発言し、会場は爆笑の渦に包まれた。
  • 『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』などで特に若手の芸人が優勝して涙している後ろで、もらい泣きしている清水アキラの姿を見ることが多かった。
  • 1992年、「長野オリンピック音頭」を吹き込む。この曲は1995年、「長野冬季スポーツ音頭」と改題されて(「オリンピック」という名称が商標に抵触するため)リリースされた。
  • 某バラエティ番組で、清水自身が憧れのスキー選手であるインゲマル・ステンマルクとデュアル・スラロームで対決をした。レース前のインタビューで、「ハンディは3秒差ですか?」と聞かれたところ、「3秒では甘い!5秒!」と周囲の笑いを誘っていた。結果は5秒差を跳ね返し、ステンマルクが勝利(ゴール直前で向きを変え、お尻でゴールを切った)。しかし、清水自身もお笑い芸人らしからぬ素晴らしい滑りを見せた。また、1997年にはスピードスキーもコースレコードを更新する157.841km/hを上越国際スキー場で記録した。
  • 『ものまね王座決定戦 DVD BOX』発売記念記者発表会に出席した際、「織田裕二から“ものまね禁止令”が出た」と話題になった山本高広に対し「本人がやだって言うのにものまねするのはいかがなもんか」「いじめに繋がるのではないでしょうか?」と発言。この山本批判とも取れる発言のみが大きく取り上げられ、「自分の下ネタを交えた下品なものまねに対し、谷村新司井上陽水淡谷のり子などが不快を表明した事があったのに、自身の過去を棚に上げて他人を批判している」「今売れている山本への嫉妬ではないか?」と批判の対象とされた。しかし、清水は自分自身についても「谷村新司さんに対して挨拶しても返事がもらえなかった程嫌がられていた」と締め括り、自分のものまね芸が常に批判されていたことを明かしている。
  • ものまね紅白歌合戦』の姿勢に批判的で、ブログで批判的な感想や皮肉を書いている。
  • 2000年代頃からは油絵を嗜んでおり、加山雄三等の絵を見て勉強、個展を開くほどの腕前である。『ものまね紅白歌合戦』では、井上陽水の「リバーサイドホテル」を歌いながらスポンジで川沿いに建つホテルを描き上げた。
  •  2009年12月より1年間、箱根湯本の温泉旅館天成園にて歌謡ショーが開催されていた。
  • ハンダース解散から1年後の1981年9月30日ルーレット賭博容疑で逮捕(その後、不起訴処分で釈放)。

関連人物

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

  • オフィスブルースエット・清水アキラプロフィール
  • テンプレート:Cite news
  • テンプレート:Cite news
  • 良太郎が2012年6月14日放送分のフジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』で語ったもの。