皆川睦雄

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テンプレート:Mboxテンプレート:Infobox baseball player 皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 2005年2月6日)は、山形県米沢市出身のプロ野球選手投手)、プロ野球指導者、野球解説者。1969年までは皆川 睦男

現役選手としては、野村克也とともに南海ホークスの同期入団で同球団黄金期の主力選手であった。引退後は阪神タイガース読売ジャイアンツ近鉄バファローズのコーチを歴任した。

来歴・人物

現役時代

米沢西高(現・米沢興譲館高)3年時のテンプレート:By夏の甲子園東北大会決勝で敗れるが、この試合の二塁塁審を務めていた岩本信一が皆川の素質を買い、選手兼任監督だった山本一人に獲得を薦めテンプレート:Byに南海へ入団した[1]。同期入団に野村克也宅和本司がいる。当初は立教大学に進学を志望していたが母子家庭で家計も苦しく断念し南海入団に至ったが、進学を断念した立教には後に「立教三羽ガラス」と呼ばれた杉浦忠長嶋茂雄本屋敷錦吾が入学している。

最初の2年間は白星に恵まれず、自由契約も覚悟したが山本の「皆川はプロで生きて行こうと努力しているし、まじめにやっている。来シーズン辺りは活躍するはずだ。ワシが保障するから給料は倍にしてやれ」の一言で解雇どころか、球団側から給料倍額を言い渡され、3年目のテンプレート:Byに11勝を挙げるも肩を痛め、コーチの柚木進に勧められオーバースローからアンダースローサイドスローと言われることもある)に転向する[2]。フォーム改造が功を奏しテンプレート:Byに18勝、テンプレート:Byに17勝。テンプレート:Byにはチームトップの19勝を挙げ、安定した成績を残す。

アンダースローに転向した1956年の西鉄との試合で8番打者・和田博実のところでカウントを3-0にしてしまった。皆川はここで「どうせ打ってこないだろう」とど真ん中に軽く直球を放ったが、主審の二出川延明に「ボール」と判定された。当然皆川はど真ん中なのになぜボールなのかと抗議したところ、「気持ちが入っていないからボールだ!」と一喝された。これに感銘を受けた皆川は以降一球たりとも手を抜かないようになり、チームの中心選手へと成長した。

宅和本司、中村大成、杉浦忠ら伝説的な活躍をしたエースの陰に隠れながら、下手からのシンカースライダーと制球力を武器に長らく2番手投手として投手陣を支えた(スライダーは打者の手元で芯を外すために敢えて曲がりの小さなものを投げており、習得を進言した野村曰く「世界初のカットボール」である)。テンプレート:By10月6日の対東映戦でシーズン30勝と通算200勝を同時に達成。アンダースロー投手の200勝は皆川が初めてであった。同年は31勝、防御率1.61で最多勝利最優秀防御率に輝く。以後、年間30勝投手は誕生しておらず、「最後の30勝投手」と言われている[3]テンプレート:By限りで現役引退。宅和、中村、杉浦らが短命に終わったのに対し息長く活躍を続け、「細く長く」「無事之名馬」を地でいく選手生活だった。

現役中、15勝以上を挙げたシーズンも何度かあったが、20勝を切ることが多い現在と違い、当時は42勝を記録した稲尾、チームメートで38勝を記録した杉浦などを初め最多勝を記録した投手のほとんどが20勝以上を挙げているシーズンが多く、なかなか最多勝タイトルに届かなかった。現役後半とは言え、1968年の31勝は生涯最高成績で皆川自身にとって唯一、最多勝タイトルを獲得したシーズンでもあったが、現役時代、20勝以上を挙げたのもこのシーズンだけである。

通算成績は759試合の登板で、221勝139敗、防御率2.42。221勝はホークス(南海、ダイエー、ソフトバンク)の球団記録。アンダースロー投手としては1983年に山田久志に抜かれるまで最多勝記録でもあった。通算200勝を挙げたため、昭和生まれで先述の記録などを残した日本プロ野球選手を対象とした日本プロ野球名球会に入会した。

引退後

テンプレート:Byからテンプレート:Byまで阪神投手コーチ。テンプレート:Byからテンプレート:Byまで巨人投手コーチ。テンプレート:Byからテンプレート:Byは近鉄の投手コーチを務めた。巨人投手コーチ時代は西本聖ルイス・サンチェとの確執が話題となり、テンプレート:要出典範囲

朝日放送の野球解説者を長年にわたり務め野球評論家の傍ら、少年野球の指導にも力を入れていた。

2005年2月6日、敗血症のため死去、享年69。葬儀では南海時代の先輩岡本伊三美が弔辞を読み、野村克也、吉田義男金田正一王貞治、母校の高校のOBらが参列した。

出身地の米沢市と山形県では、生前のプロ野球選手としての輝かしい成績と、現役引退後も野球にとどまらず郷里山形の発展に尽力した功績を称え、2005年11月3日には米沢市市民栄誉賞を、2006年3月15日には山形県県民栄誉賞をそれぞれ贈呈した。また同年夏には米沢市営野球場(上杉スタジアム)の愛称が「皆川球場」に改称された。

テンプレート:By1月14日、2011年度野球体育博物館野球殿堂)競技者表彰(エキスパート部門)に、落合博満(プレーヤー部門)と共に選出された。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 南海 10 3 0 0 0 0 3 -- -- .000 93 23.1 23 1 6 -- 0 11 0 0 9 8 3.00 1.24
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テンプレート:By2 56 23 5 2 1 18 10 -- -- .643 899 229.0 170 7 52 5 5 90 1 0 74 60 2.36 0.97
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通算:18年 759 327 101 37 15 221 139 -- -- .614 12552 3158.0 2704 222 633 53 84 1638 19 2 1035 849 2.42 1.06
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 49 (1954年 - 1960年)
  • 22 (1961年 - 1971年)
  • 81 (1976年 - 1977年)
  • 73 (1986年 - 1988年)
  • 72 (1991年 - 1992年)

登録名

  • 皆川 睦男 (みながわ むつお、1954年 - 1969年)
  • 皆川 睦雄 (みながわ むつお、1970年 - )

関連情報

出演番組

脚注

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関連項目

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  1. 日本プロ野球名球会『名球会 comics 皆川睦雄』 ぎょうせい 1992年 P.79-87、【球界高校人脈】山形“弱小県”返上へ!皆川睦雄、広島・栗原ら輩出 - ZAKZAK
  2. 会員紹介 皆川睦雄 - 名球会ホームページ
  3. ベースボールマガジン2011年9月号30ページ