弘和
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弘和(こうわ)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方にて使用された。天授の後、元中の前。1381年から1384年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が長慶天皇・後亀山天皇、北朝方が後円融天皇・後小松天皇。室町幕府将軍は足利義満。
改元
出典
出典・勘申者ともに不詳。『書経』君牙篇に「弘敷五典、式和民則」とある。
弘和期におきた出来事
※ 南朝関係に限る。
- 元年(1381年)
- 6月22日〜23日 - 今川了俊・仲秋らが肥後隈部城(菊池城)・染土城を陥落する。
- 10月13日 - 宗良親王の私撰和歌集が勅撰に准ぜられる(『新葉和歌集』)。
- 12月3日 - 宗良親王が『新葉和歌集』20巻を長慶天皇に奏進する。
- この冬 - 長慶天皇が『仙源抄』を著す。
- 2年(1382年)
- 閏1月24日 - 楠木正儀が南朝方となり、河内平尾で山名氏清と交戦するも敗走する。
- 8月24日 - 長慶天皇が後征西将軍宮(良成親王か)へ勅書を下して訓諭する。
- 月日不明(4月とも) - 菊池氏に内訌あり。武朝らが一族の叛く者を肥後守山に討つ。
- 3年(1383年)
- 4月14日 - 後征西将軍宮が相良前頼の帰順を許し、その領地を安堵する。
- 9月2日 - 赤松氏則・氏春が播磨清水山で北軍と交戦して敗死する(一説に元中3年)。
- 10月27日 - 長慶天皇が利生護国寺に朝用分を寄進する(在位を確認できる下限)。
- この冬 - 長慶天皇が譲位し、東宮熙成親王(後亀山天皇)が践祚する。
- 4年(1384年)
死去
- 2年(1382年)
- 3年(1383年)
西暦との対照表
※は小の月を示す。
弘和元年(辛酉) | 一月 | 二月 | 三月※ | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月※ | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月 | 十二月※ | |
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永徳元年 | |||||||||||||
ユリウス暦 | 1381/1/26 | 2/25 | 3/27 | 4/25 | 5/24 | 6/23 | 7/22 | 8/20 | 9/19 | 10/18 | 11/17 | 12/17 | |
弘和二年(壬戌) | 一月 | 閏一月 | 二月※ | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月※ | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月※ | 十二月 |
永徳二年 | |||||||||||||
ユリウス暦 | 1382/1/15 | 2/14 | 3/16 | 4/14 | 5/14 | 6/12 | 7/12 | 8/10 | 9/8 | 10/8 | 11/6 | 12/6 | 1383/1/4 |
弘和三年(癸亥) | 一月 | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ | |
永徳三年 | |||||||||||||
ユリウス暦 | 1383/2/3 | 3/5 | 4/4 | 5/3 | 6/2 | 7/1 | 7/31 | 8/29 | 9/27 | 10/27 | 11/25 | 12/25 | |
弘和四年(甲子) | 一月 | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 閏九月※ | 十月※ | 十一月 | 十二月※ |
至徳元年 | |||||||||||||
ユリウス暦 | 1384/1/23 | 2/22 | 3/23 | 4/21 | 5/21 | 6/20 | 7/19 | 8/18 | 9/16 | 10/16 | 11/14 | 12/13 | 1385/1/12 |