久米川駅
久米川駅(くめがわえき)は、東京都東村山市栄町にある、西武鉄道新宿線の駅である。駅番号はSS20。
東村山市には「久米川町」という地名があるが、当駅ではなく隣の東村山駅が最寄りとなる。
目次
駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎は下りホーム側の南口と上りホーム側の北口の2か所で、各ホーム間は跨線橋により連絡している[1]。
西武鉄道の中では、早期にバリアフリーに配慮した構造になった駅であり、南口からはスロープでホームに入れる構造になっている[1]。ただし、駅構内敷地の狭さが災いし、跨線橋部分にエスカレーター・エレベーターは設置されていない。 北口出入口部分には改良工事でエレベーターが設置されている[1]。
バリアフリーに配慮した構造を早期に導入した理由は、当駅からの清瀬駅行きバス沿線に国立病院機構東京病院・複十字病院等、複数の医療機関が立地し、その通院者からの強い要望があったためである。なお、2010年(平成22年)3月に北口ロータリーが完成したため、清瀬方面のバスの発着は南口から移転した。
2012年度は、年度末完成予定で構内のエレベータ設置、南口駅務室のオープンカウンター型窓口化などを含めた駅リニューアル工事を実施している。
のりば
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:Color新宿線 | 下り | 所沢・本川越方面 |
2 | テンプレート:Color新宿線 | 上り | 高田馬場・西武新宿方面 |
利用状況
2012年度の1日平均乗降人員は32,325人である。西武鉄道全92駅中30位である[2]。
近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下記の通りである。
年度 | 1日平均 乗降人員[5] |
1日平均 乗車人員 |
---|---|---|
1970年(昭和45年) | 15,828 | |
1975年(昭和50年) | 17,289 | |
1980年(昭和55年) | 17,689 | |
1985年(昭和60年) | 18,190 | |
1986年(昭和61年) | 18,714 | |
1987年(昭和62年) | 18,794 | |
1988年(昭和63年) | 19,326 | |
1989年(平成元年) | 19,439 | |
1990年(平成テンプレート:02年) | 39,198 | 19,666 |
1991年(平成テンプレート:03年) | 39,447 | 19,822 |
1992年(平成テンプレート:04年) | 39,288 | 19,737 |
1993年(平成テンプレート:05年) | 38,447 | 19,251 |
1994年(平成テンプレート:06年) | 37,350 | 18,660 |
1995年(平成テンプレート:07年) | 36,418 | 18,170 |
1996年(平成テンプレート:08年) | 36,005 | 17,954 |
1997年(平成テンプレート:09年) | 35,393 | 17,558 |
1998年(平成10年) | 34,606 | 17,152 |
1999年(平成11年) | 34,171 | 16,935 |
2000年(平成12年) | 34,362 | 17,015 |
2001年(平成13年) | 34,303 | 16,884 |
2002年(平成14年) | 33,697 | 16,573 |
2003年(平成15年) | 33,107 | 16,232 |
2004年(平成16年) | 32,831 | 16,114 |
2005年(平成17年) | 32,875 | 16,154 |
2006年(平成18年) | 32,852 | 16,133 |
2007年(平成19年) | 33,384 | 16,469 |
2008年(平成20年) | 34,073 | 16,814 |
2009年(平成21年) | 33,711 | 16,643 |
2010年(平成22年) | 32,767 | 16,281 |
2011年(平成23年) | 32,220 | 16,021 |
2012年(平成24年) | 32,325 | 16,051 |
駅周辺
テンプレート:See also 駅の南口、北口にはロータリーが整備されている。清瀬駅南口行き、新秋津駅行き、所沢駅東口行きの路線バスは北口ロータリー整備にともなって2010年(平成22年)4月1日より南口から移動。駅南口から八坂駅まで商店街が続いている(約700m)。
南口
- 東村山市栄町ふれあいセンター
- 東村山市立栄町児童館
- 東村山市立八坂小学校
- 久米川駅前郵便局
- 西友 久米川店
- マツモトキヨシ 久米川南口駅前店
- ホテルメッツ久米川 - 同社の1号店でかつ、私鉄沿線にJR関連のホテルがある。
- 府中街道
- 東京都道226号東村山清瀬線
- 空堀川
- 野火止用水
- グリーンタウン美住
- 三菱東京UFJ銀行 久米川支店
- りそな銀行 久米川支店
- 八千代銀行 久米川支店
北口
- 東村山警察署 久米川駅前交番
- 東村山栄町郵便局
- 東村山市役所
- 東村山市いきいきプラザ
- 東村山市保健センター
- 東村山市立中央図書館
- 東村山市市民センター
- 新青梅街道
- 東村山市立東村山第三中学校
- 東村山市立東萩山小学校
- スーパーあまいけ 久米川店
- 北口商店街
- ロイヤルイン菊水
- みずほ銀行 久米川支店;宝くじ売り場も併設
- 東京都民銀行 久米川支店
- 西武バス待機場
久米川駅北口整備計画
- 2007年度 - 地下駐輪場の建築工事の実施および北口周辺の街路を設計。
- 2008年度 - 北口周辺のライフラインおよび都市計画道路の整備工事を実施。
- 2010年 - 3月28日に北口駅前広場完成記念式典および記念イベント「フレッシュ! 久米川楽市」を開催。4月1日に南口3番のりばから発着していた清瀬・新秋津・所沢各方面の路線バスを北口発着に変更。
バス路線
西武バスにより運行され、すべての路線が当駅を始発・終着とする。
かつては、小川駅経由立川駅北口行、国分寺駅北口、所沢駅西口、村山団地、芝中団地、上北台駅行、東京街道団地止まりの路線が発着していた。
久米川駅(南口)
久米川駅北口
歴史
周辺に人家もわずかで雑木林と畑しかなかった場所に久米川駅を設置したのは、日本土地住宅という土地会社が駅用地を提供したためである[6]。
日本土地住宅は東村山に大規模な土地分譲販売を計画し、まず1925年(大正14年)、第一次に販売した30万坪は完売し、合計100万坪の販売を見込んでいた。ただ実際購入した人は資産家が多く、投資や別荘と考えていたようである。例えば講談社の野間清治は購入した約4万9千坪の土地で小作人を使い耕作させていたという。こういったことで居住者は増えず、久米川駅になんら恩恵はなかった[7]。
その後、日本土地住宅は乱脈経営が発覚するなどして休眠状態となり、東村山の土地開発も消滅してしまった[8]。
駅の改築では長い時間を必要とした。東村山市では南口駅前広場造成を計画していたところ、1972年(昭和47年)に西武鉄道が橋上駅舎建設を提案し、市長との話し合いでは合意を得たが、定例市議会で身体障害者の団体から「久米川駅の橋上駅化に反対する陳情」が提出され、市議会では審議継続になった。これに対し久米川商店会からは「久米川駅の橋上駅化に関する陳情」も提出され、福祉か開発かで結論は翌年に持ち越しとなった。
1973年(昭和48年)になって身体障害者患者連絡協議・市・市議会・西武鉄道の四者で話し合いがもたれ、身体障害者側からの要望をいれること、商店会からは駅東西の交流をはかれるようにして駅の混雑も緩和できるような方策を西武鉄道に求めた。そうしているうちに今度は西友のビル建設問題がもちあがり、これに商店会が反発して、駅前広場造成工事が一時中止となるなど難航した。
1978年(昭和53年)頃には障害者団体の要望「てすり、スロープ、トイレ等々」をもとに西武鉄道との協議が再開し、1980年(昭和55年)まで計画は練り続けられた。そしてようやく1981年(昭和56年)、福祉モデル駅として久米川駅は改築されることとなった。
- 1927年(昭和2年)4月16日 開業。
- 1966年(昭和41年)7月1日 - 島式ホーム1面2線の構造を相対式ホーム2面2線に変更[9]。
- 1981年(昭和56年)12月27日 - 新駅舎使用開始[10]。
当駅より上り方面は、都立家政駅と終点の西武新宿駅を除く全ての駅は同日に開業した。当駅開業以前からある、東村山駅より下り方面(航空公園駅、新所沢駅、新狭山駅以外)はもともと現国分寺線であったため、当駅 - 東村山駅間はカーブがかかっている。
付記
- 駅東側の地下(小平寄りの踏切付近。マンションおよび西武バス営業所が立地)で東日本旅客鉄道(JR東日本)武蔵野線と交差している。以前は、久米川駅の乗降人員を考慮し、さらに利便性を良くするために駅東側付近に武蔵野線新久米川駅の設置が検討されていたが、西武鉄道と折り合わず中止となった。
- 西武鉄道各駅構内に設置されている路線図では、武蔵野線が当駅を通る形で(武蔵野線乗り換え駅のように)交差している。そのため当駅の路線図には赤字で、「当駅はJR武蔵野線の乗り換え駅ではありません」と表記されている。
- 当駅は新宿線系統で初めて自動改札機が設置された駅である。
隣の駅
- 西武鉄道
- テンプレート:Color新宿線
- テンプレート:Color通勤急行
- 通過
- テンプレート:Color急行・テンプレート:Color準急・テンプレート:Color各駅停車
- テンプレート:Color通勤急行
脚注
参考文献
- 岡島貴美子「久米川駅付近の変遷」『東村山市史研究』5号、1996年
- 野田正穂「うたかたの東村山遊園地」『東村山郷土のあゆみ』1980年
- 野田正穂「旧西武鉄道の経営と地域社会」『東村山市史研究』4号、1995年
- 『東村山市史』 下 2003年、690-692頁
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 1.0 1.1 1.2 久米川駅 駅構内マップ - 西武鉄道
- ↑ テンプレート:PDFlink - 西武鉄道
- ↑ 東松山市の統計 - 東松山市
- ↑ 東京都統計年鑑
- ↑ 各種報告書 - 関東交通広告協議会
- ↑ 当時の計画図によると駅は現在地から小平寄りの野火止用水と交差するあたりを予定したようである。
- ↑ 1日の平均乗客数が1927年44人、1929年30人、1930年29人、1935年50人(東京府統計書)
- ↑ 駅の近くに日本土地住宅は分譲の目玉として1万坪の遊園地をつくったが、そこにあった東洋一といわれた大温室が戦後まで残っており花を栽培していたという。
- ↑ 『写真で見る西武鉄道100年』(ネコ・パブリッシング)100ページ
- ↑ 『会社要覧』西武鉄道株式会社、1999年、100-103頁