メルボルンカップ
メルボルンカップ (Melbourne Cup) は毎年11月の第1火曜日にオーストラリア・メルボルンのフレミントン競馬場の芝3200メートルで行われる競馬の競走。
概要
メルボルンカップは、G1(グループワン)に指定されているが、定量戦ではなくハンデキャップ競走である。エミレーツ航空がスポンサーとなっており、正式競走名は『Emirates Melbourne Cup』[1]。フルゲートは24頭。
1861年に創設された歴史あるレースであるとともに、現在のオセアニアでの最高賞金額の競走(2011年は、1着賞金360万オーストラリアドル[2])である。
また、毎年この競走の開催日は、メルボルン大都市圏ではメルボルンカップ・デーとして祝日となる。競馬の競走のために祝日となるのは世界でもオーストラリアだけで、他に南オーストラリア州で行われるアデレードカップ、タスマニア州で行われるローンセストンカップ等がある。
ハンデ戦というレースの性質ゆえ、負担重量50kg前後の軽ハンデ馬の活躍が目立ち、1931年に150ポンド(68kg)のハンデで出走し8着に敗れたファーラップ(Phar Lap)などのように、歴史的な強豪馬でさえ60kgを超える酷量を課されたために敗れた例も多い。なおレース史上最も重いハンデを背負って勝ったのは1890年のカーバイン(Carbine)、この時の負担重量は145ポンド(65.8kg)であった。トップハンデを背負わされた馬は実に1969年のレインラヴァー(Rain Lover)以来長らく優勝していなかったが、2005年にマカイビーディーヴァ(Makybe Diva)が牝馬ながらトップハンデで優勝した。マカイビーディーヴァは2003年から2005年にかけて史上初のメルボルンカップ3連覇を達成している。
距離については当初は2マイル(約3218メートル)で行われていたが、1972年からメートル法を採用したため3200メートルとなっている。1971年以前のレコードタイムは1968年にレインラヴァーが記録した3分19秒1、現在のレコードタイムは1990年にキングストンルール(Kingston Rule)が記録した3分16秒3である。
2005年には5月の天皇賞(春)で3着に入線したアイポッパーが日本調教馬として初めて参戦し、12着だった。翌2006年には、同じく日本から遠征したデルタブルースが優勝、ポップロックが2着となった。
また、2008年より前年度[3]メルボルンカップ優勝馬が天皇賞(春)に招待されることになった。また、当年の天皇賞(春)優勝馬に対してもメルボルンカップの優先出走権が与えられる。
2012年の賞金総額は6,200,000豪ドル[4](約4億9600万円)、1着賞金3,600,000豪ドル(約2億8800万円[2])、2着賞金900,000豪ドル、3着賞金450,000豪ドル、4着賞金250,000豪ドル、5着賞金175,000豪ドル、6着から10着賞金125,000豪ドルと定められている。
歴代優勝馬(2000年以降)
回 | 施行日 | 優勝馬 | 日本語読み | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 |
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第140回 | 2000年11月7日 | Brew | ブルー | 牡5 | 3:18.68 | K.マカヴォイ | M.モロニー |
第141回 | 2001年11月6日 | Ethereal | エセリアル | 牝4 | 3:21.08 | S.シーマー | S.ラクソン |
第142回 | 2002年11月5日 | Media Puzzle | メディアパズル | 騸6 | 3:16.97 | D.オリヴァー | D.ウェルド |
第143回 | 2003年11月4日 | Makybe Diva | マカイビーディーヴァ | 牝4 | 3:19.90 | G.ボス | D.ホール |
第144回 | 2004年11月2日 | Makybe Diva | マカイビーディーヴァ | 牝5 | 3:28.55 | G.ボス | L.フリードマン |
第145回 | 2005年11月1日 | Makybe Diva | マカイビーディーヴァ | 牝6 | 3:19.17 | G.ボス | L.フリードマン |
第146回 | 2006年11月7日 | Delta Blues | デルタブルース | 牡5 | 3:21.42 | 岩田康誠 | 角居勝彦 |
第147回 | 2007年11月6日 | Efficient | エフィシェント | 騸4 | 3:23.34 | M.ロッド | G.ロジャーソン |
第148回 | 2008年11月4日 | Viewed | ビュード | 牡5 | 3:20.58 | B.シン | B.カミングス |
第149回 | 2009年11月3日 | Shocking | ショッキング | 牡4 | 3:23.87 | C.ブラウン | M.カヴァナー |
第150回 | 2010年11月2日 | Americain | アメリケイン | 牡5 | 3:26.87 | G.モッセ | A.ドゥロワイエデュプレ |
第151回 | 2011年11月1日 | Dunaden | ドゥーナデン | 牡5 | 3:20.84 | C.ルメール | M.デルザングル |
第152回 | 2012年11月6日 | Green Moon | グリーンムーン | 牡6 | 3:20.45 | B.プレブル | R.ヒックモット |
第153回 | 2013年11月5日 | Fiorente | フィオレンテ | 牡5 | 3:20.30 | D.オリヴァー | G.ウォーターハウス |
(→英語版の全勝ち馬リスト)
- オセアニア調教馬以外からの優勝馬
- 1993年 Vintage Crop(ヴィンテージクロップ、テンプレート:IRE)
- 2002年 Media Pazzle(メディアパズル、テンプレート:IRE)
- 2006年 デルタブルース(Delta Blues、テンプレート:Flagicon 日本)
- 2010年 Americain(アメリケイン、テンプレート:Flagicon フランス)
- 2011年 Dunaden(ドゥーナデン、テンプレート:Flagicon フランス)
日本調教馬の成績
日本馬によるオーストラリアへの遠征自体が2005年に初めて行なわれたこともあり、メルボルンカップへの日本馬の出走も同競走創設145回目にして初めて行なわれた。そして参戦2回目の2006年にはデルタブルースが日本馬及びアジア調教馬として初めて同競走を優勝している。また2着にポップロックが入り、2002年のクイーンエリザベス2世カップ以来となる日本馬による海外G1競走の1・2着独占となった。
回 | 施行日 | 参戦馬名 | アルファベット表記 | 性齢 | 騎手名 | 管理調教師 | 着順 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
第145回 | 2005年11月1日 | アイポッパー | Eye Popper | 牡5 | 藤田伸二 | 清水出美 | 12着 |
第146回 | 2006年11月7日 | デルタブルース | Delta Blues | 牡5 | 岩田康誠 | 角居勝彦 | 1着 |
ポップロック | Pop Rock | 牡5 | D.オリヴァー | 角居勝彦 | 2着 | ||
第150回 | 2010年11月2日 | トウカイトリック | Tokai Trick | 牡8 | 藤田伸二 | 野中賢二 | 12着 |
脚注
- ↑ 2011 BMWコーフィールドカップ、Tattsコックスプレート、エミレーツ・メルボルンカップの登録について(簡易版) - ジャパン・スタッドブック・インターナショナル「海外競走出馬登録」 2011年9月9日閲覧
- ↑ 2.0 2.1 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「doller
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ オーストラリアは8月から7月を1シーズンとしているため、オーストラリアの基準では同一シーズンとなる。
- ↑ 優勝馬の馬主、調教師、騎手、厩務員、生産者への総額20万豪ドル相当のトロフィーを含む。
外部リンク
- ヴィクトリアレーシングクラブ - フレミントン競馬場を管理するクラブ
- メルボルンカップ - メルボルンカップカーニバルの公式サイトテンプレート:Keiba-stub