塚口駅 (JR西日本)
塚口駅(つかぐちえき)は、兵庫県尼崎市東塚口町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線の駅である。
アーバンネットワークおよび「JR宝塚線」の愛称区間に含まれている。かつては、福知山線の支線に当たる尼崎港線の起点でもあった。
駅構造
島式と単式の複合型2面3線のホームを持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。ホーム間の移動には跨線橋を使う。
単式ホームの屋根は島式ホーム分ほどの大きさで、ホームの外側にも張り出している(掲載写真を参照)。
3番線の外側や尼崎駅方の本線脇(共に東側)には数本の留置線があり、前者は尼崎駅発着の列車(夜間以外にも設定)など、後者は保線用車両の留置に使われている。
直営駅(尼崎駅の被管理駅)で、ICOCA(および相互利用対象のICカード)が利用できる。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:ColorJR宝塚線 | 下り | 宝塚・三田方面 | 土休日の初発のみ2番のりば |
2・3 | テンプレート:ColorJR宝塚線 | 上り | 尼崎・大阪・北新地方面 | 2番のりばは当駅始発・待避用 |
上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で記載している。
1番のりばが単式ホーム、2・3番のりばが島式ホーム。本線は下りが1番のりば、上りが3番のりばである。中線である2番のりばは折り返しのほか、大阪方面行きの普通が入線し、快速や特急の通過待ちを行うことがある。
JR東西線の開通前、上り線は2番線が本線、3番線が待避線として使用されていた(現行の逆)[注記 1]。また、尼崎港線の旅客扱いが行われていた頃は、3番線が起終点となっていた。
ダイヤ
日中は1時間あたり8本で、JR京都線に直通する普通とJR東西線に直通する快速(当駅折り返し)がそれぞれ4本ずつ発車する。朝のラッシュ時はさらに本数が多く設定されている。
快速は東西線経由で当駅を始発・終着とするもののみが停車し、その他は全て通過する。これらは、2011年3月12日のダイヤ改正で、昼間宝塚駅まで運転していたものを当駅折り返しに変更したものである。(一部の列車は折り返さず、当駅の留置線に入る)[注記 2][出典 1]。このような「快速始発駅」には、他に大和路線の柏原駅がある。
利用状況
兵庫県統計書[出典 2]によると、近年の1日平均乗車人員は以下の通り。当駅周辺の道路が広くなったことに加え、JR東西線の開通などにより利用者が以前より増えている。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1995年 | 6,631 |
1996年 | 6,435 |
1997年 | 7,196 |
1998年 | 7,595 |
1999年 | 7,897 |
2000年 | 8,100 |
2001年 | 8,183 |
2002年 | 7,994 |
2003年 | 7,960 |
2004年 | 8,084 |
2005年 | 7,532 |
2006年 | 8,224 |
2007年 | 8,449 |
2008年 | 8,673 |
2009年 | 8,705 |
2010年 | 8,859 |
駅周辺
住宅街が広がる。留置線のすぐ脇には森永製菓の塚口工場があり、ホームに甘い香りを漂わせることもあったが、2013年6月に閉鎖された[出典 3]。
南側で交差する県道は2000年代に立体交差化され、併せて県道の東側にロータリーが整備された。
なお、阪急神戸本線の塚口駅とは直線距離で800mほど離れているが、神戸本線は当駅の北側で立体交差(オーバーパス)している。
- 三菱電機伊丹製作所
- 上坂部西公園
- 尼崎市都市緑化植物園
- 尼崎市役所 緑の相談所
- 近松公園(尼崎市ゆかりの近松門左衛門を記念した公園。記念館もある)
- 尼崎南塚口郵便局
- 尼崎市立上坂部小学校
- ピッコロシアター
- 兵庫県道606号西宮豊中線
- 兵庫県道13号尼崎池田線(産業道路)
バス路線
駅南東の県道沿いにあるロータリーに、尼崎市営バスが乗り入れている。
また、駅の東側にはタクシー乗り場がある。
- 3番標柱
- 4番標柱
- 12・21・21-2番 阪急塚口 行
歴史
当駅が所属する福知山線は、長年にわたって単線・非電化という低規格の路線であったため、ターミナル駅である大阪駅からさほど離れていない[注記 3]割りに利便性は劣っていた。改札も、列車の到着時刻が近付くまで行われないローカル線方式だった。
しかし1981年の複線電化を機に、橋上駅舎が整備されるなど近代化が進み、ようやく大都市近郊駅としての機能を果たすようになった。
1984年までは、尼崎港駅へ至る支線(通称・尼崎港線)が当駅 - 尼崎駅間で分岐していた。開業当時はそれが本線とされ、尼崎港方面へ向かう線路が直線的に敷設(現在でも路盤の跡が残っている)されていたのに対し、現在の本線は一旦西にそれて大きく回り込むような線形となっている[注記 4]。この迂回ルート上にあるカーブで、2005年4月25日に脱線事故が発生した[注記 5]。
東海道本線の東京駅 - 大阪駅間で運転されていた長距離特急『つばめ』や『はと』は、大阪駅に到着した後に当駅まで回送された上、当駅で機関車を編成の後端に付け替えた後、宮原操車場へ入り方向転換を行っていた。これは各列車の先頭に展望車があり、展望車側を先頭にする必要があったためである。こういった運用に対応すべく、1956年11月のダイヤ改正を機に尼崎駅 - 当駅間は早々に電化された。その後も1978年10月のダイヤ改正まで、宮原操車場への回送の際の時間調整のため、大阪駅から一部の特急が当駅まで回送されて運行まで待機していた。同改正をもって電気運転は一旦廃止されたものの、電化設備はそのまま残され、1981年の線内電化の際に再利用された[注記 6]。
また、かつては貨物取扱を実施しており、駅東側の現在の留置線のあたりに貨物取り扱い線と貨物ホームが設けられ、近隣の森永製菓や三菱電機の工場からの貨物を主に取り扱っていた。駅北側には三菱電機への引き込み線があり、蓄電池式の機関車が入れ替えを行っていた。また引き込み線横の側線には、1980年代半ばまで、廃車となっていた国鉄シキ400形貨車が長らく留置されていた。貨物取扱量は多く、駅の北側と南側の両方には信号所が設置されていた。
阪神・淡路大震災が発生した折には、発生翌日から東海道本線の尼崎駅 - 甲子園口駅間が復旧するまでの数日間のみ、大阪方面からの列車の一部が当駅で折り返していた。
年表
- 1891年(明治24年)
- 1893年(明治26年)12月12日 - 川辺馬車鉄道が摂津鉄道と改称。塚口駅が廃止されたため塚口村有志者が復活を出願したとの資料があるが[出典 5][出典 6]、恒久的な廃止の予定だったのか、一時的な休止だったのか定かでない。
- 1894年(明治27年)3月6日 - 摂津鉄道の長州駅(現存せず) - 伊丹南口駅(現存せず)間に再開業。旅客・貨物取扱開始。
- 1897年(明治30年)2月16日 - 阪鶴鉄道が摂津鉄道を買収、同社の駅となる。
- 1898年(明治31年)6月8日 - 神崎駅(現在の尼崎駅) - 塚口駅間が開業。長州駅、尼ヶ崎駅(のちの尼崎港駅)方面は支線に。
- 1907年(明治40年)8月1日 - 阪鶴鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。阪鶴線の所属となる。
- 1912年(明治45年)3月1日 - 線路名称改定。阪鶴線福知山駅以南が福知山線となり、当駅もその所属となる。
- 1981年(昭和56年)4月1日 - 尼崎港線の旅客営業が廃止される。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物取扱廃止。尼崎港線が廃止される。
- 1987年(昭和61年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
- 1992年(平成4年)11月 - みどりの窓口営業開始。
- 2003年(平成15年)11月1日 - ICカード・ICOCAの供用開始。
- 2005年(平成17年)
- 4月25日 - JR福知山線脱線事故の影響で営業休止となる。
- 6月19日 - 福知山線が復旧、脱線事故後55日ぶりに営業を再開。
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- テンプレート:ColorJR宝塚線(福知山線)
- テンプレート:Color丹波路快速・テンプレート:Color快速(下記以外)
- 通過
- テンプレート:Color快速(JR東西線直通・当駅始発)
- 尼崎駅 - 塚口駅
- テンプレート:Color普通
- 尼崎駅 - 塚口駅 - 猪名寺駅
- テンプレート:Color丹波路快速・テンプレート:Color快速(下記以外)
かつて存在した路線
- 日本国有鉄道
- 福知山線支線(尼崎港線)
- 塚口駅 - 尼崎駅(尼崎臨時乗降場)
脚注
- 注記
- 出典
関連項目
外部リンク
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テンプレート:福知山線 (尼崎港支線)
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