瀬戸大橋
瀬戸大橋(せとおおはし)は、瀬戸内海をまたいで本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ10の橋の総称であり、本州四国連絡橋のひとつ。
なお、「瀬戸内海大橋」という誤記が見られることもあるが、これは本来西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)のことである。かつて2橋の混同を避けるため、瀬戸大橋のことを「備讃瀬戸大橋」と呼称することもあった。
目次
概要
1978年の着工から9年6ヶ月を経て1988年4月10日供用開始され、総事業費はおよそ1兆1,338億円である。
橋梁上部構造部分は、上部に4車線の瀬戸中央自動車道が走り、下部にJR本四備讃線(愛称:瀬戸大橋線)が通る2階建ての構造であり、用途が2通りあることから「鉄道道路併用橋」と呼ばれている。
塩飽諸島の5つの島の間に架かる6つの橋梁と、それらを結ぶ高架橋により構成されており、橋梁部9,368 m、高架部を含めると13.1kmの延長を持つ。これは鉄道道路併用橋としては世界最長で、人工衛星写真でも確認できる。橋梁は吊り橋・斜張橋・トラス橋の3種類を併設。
工事の際には当時世界初の技術が導入され、「海底無線発破」「設置ケーソン工法」などが実用化された。また、気象条件や荷重による変形が著しいこの規模の吊り橋への鉄道の敷設は世界初の事例であり、橋梁の変形から線路を保護するための技術が新規に開発された[1][2]。
橋上部構造は上部が4車線の道路(瀬戸中央自動車道)、下部が鉄道(JR四国本四備讃線(瀬戸大橋線))の2層構造である。下部の鉄道は新幹線・在来線合わせて4線を敷設できるようになっているが、現在は在来線用に中央寄りの2線分のみが暫定的に敷設され、使用されている。計画中の四国横断新幹線が建設される際には2線増設され、東側2線を在来線に、西側2線を同新幹線として使用する予定である[3]。
設計最高速度は上部の道路が100km/h(第1種第2級)、下部の鉄道が在来線部120km/h、新幹線部160km/h。今のところ新幹線用のスペースのほとんどは何も設置されていないが、一部スペースに建設当初想定されていた新幹線用設備分の死重が設置されている。
1994年(平成6年)に、瀬戸大橋を経由して本州と四国を結ぶ特別高圧電線(50万V)「本四連系線」が電源開発株式会社によって敷設された(鉄道部と同レベル)。
供用が開始されると倉敷市下津井田之浦の一部住民や橋下の各島民から、瀬戸大橋線の騒音やライトアップによる公害の訴えが相次いだ。現在、橋梁のライトアップが事前に決められた日にしか行われないのは、ライトアップの光により「明るすぎて眠れない」「漁業に影響が出る」等の光害に対し住民に配慮したものである。なお、このライトは元々、橋梁の保守・点検用である。
供用開始から25年を迎える2013年4月、岩黒島橋と櫃石島橋にて、車道部を支える鉄製の継ぎ目部分に架橋当初は想定されていなかった金属疲労による5mm前後の亀裂が少なくとも11か所見つかっていたと報道された[4]。現状では、橋の通行に支障はないとしているものの、今後、橋の維持に悪影響を及ぼす恐れもあるという[4]。
沿革
着工まで
- 存命中はほら吹き扱いであったが、のちに先見性が評価された。
- 紫雲丸事故後、香川県議会が「宇高連絡鉄道建設促進に関する意見書」を国に提出。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)6月8日 - 第六管区海上保安本部が瀬戸大橋ルートの底質調査と潮流観測を開始。
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)
- 3月29日 - 鉄道建設審議会が瀬戸大橋(宇野付近・高松)の調査線格上げを承認。
- 6月10日 - 国際連合アーネルト・ワイズマン調査団一行が瀬戸大橋架橋ルートを視察し、本四連絡橋3ルートのうち瀬戸大橋ルートに優先性を与えるべきだと声明。
- 7月10日 - 建設省土木研究所が沙弥島南方で瀬戸大橋架橋工事のためのボーリング調査を開始。
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)10月4日 - 香川県議会が「瀬戸大橋並びに中国四国横断自動車道の早期着工に関する決議案」を可決。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)8月9日 - 瀬戸大橋架橋推進に関する説明会が坂出市の各地区で始まる。
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 4月26日 - 政府が本州四国連絡橋の当面早期完成を図るルートとして道路・鉄道併用橋の瀬戸大橋(児島・坂出ルート)を内定し、早急に環境影響評価などを推進する旨を決定。
- 11月1日 - 瀬戸大橋架橋工事に伴う埋蔵文化財発掘調査開始。
- 11月4日 - 第3次全国総合開発計画が閣議決定されたことで、瀬戸大橋(児島・坂出ルート)が当面早期完成を図る1ルートとして正式決定。
- 11月19日 - 本四公団が香川知事に瀬戸大橋(児島・坂出ルート)環境影響評価書案を提出、同月22日香川県内5か所で縦覧を開始。
- 12月13日 - 香川県・坂出市・宇多津町が瀬戸大橋環境問題連絡協議会を設置。
- 12月29日 - 瀬戸大橋環境問題連絡協議会が開催され、櫃石島・岩黒島・与島・宇多津・坂出西部・川津の各地区の代表からの意見を聴聞。
- 1978年(昭和53年)
架橋工事
- 1978年(昭和53年)10月10日 - 坂出市番の州緑町にて起工式。
- 1979年(昭和54年)11月30日 - 本四備讃線高架橋着工。
- 1980年(昭和55年)6月26日 - 坂出市の陸上部測量の為、聖通寺山で最初の幅杭打ち開始。
- 1981年(昭和56年)
- 1988年(昭和63年)
- 1月から2月 - 鉄道総合技術研究所による走行試験の実施[2]。
- 電車や気動車・電気機関車を使用して、列車の走行による橋の状態変化について測定された。特に荷重試験は、1,000tの死荷重としてパンタを下げた電気機関車9両を連ねた空前絶後の編成でおこなわれた。
- 3月1日 - 山陽自動車道の早島IC(倉敷JCT経由) - 福山東IC間(L=39.3km)が開通し、本土の西への道路網整備が整う。
- 3月20日 - JR西日本本四備讃線の茶屋町 - 児島間が部分開業。
- 3月20日 - 同年8月31日まで瀬戸大橋架橋記念博覧会を開催。
- 4月10日 - 瀬戸中央自動車道と、JR四国本四備讃線(瀬戸大橋線)の児島 - 宇多津・坂出間が開業。(与島にて瀬戸大橋開通式を開催)
- 1月から2月 - 鉄道総合技術研究所による走行試験の実施[2]。
完成後
- 1992年(平成4年)4月19日 - 高松自動車道の高松西IC - 善通寺IC、坂出IC - 坂出JCTが開通し、四国の高速道路と接続。
- 1994年(平成6年) - 電源開発により、本州と四国を結ぶ高圧電線(50万V)「本四連系線」が完成。
- 1996年(平成8年)1月10日 - 瀬戸大橋線児島 - 宇多津駅間に100円の加算運賃を設定。
- 2003年(平成15年)7月 - 道路部の通行料金を10%値下げ。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 日本道路公団等民営化関係法により、日本高速道路保有・債務返済機構ならびにJB本四高速に承継。(本州四国連絡橋公団は解散)
- 2008年(平成20年)
- 3月31日 - 2007年度末までの車両の累計通行台数は9,860万台、JR瀬戸大橋線の利用者は約1億8,800万人におよぶ。
- 4月1日 - 北備讃瀬戸大橋にて、開通後初めて作業員の海面への転落事故が発生。翌日、事故現場から16km離れた地点でこの作業員の遺体が発見された。
- 4月10日 - 開通20周年を迎え、12日に香川県坂出市与島で記念式典を開催。13日には橋上で健康マラソン・ジョギング・ウォーク大会を開催。大会当日は8時~13時まで、事故や悪天候以外で初めて橋上部を全面通行止にして実施された。
- 5月24日 - 与島において、瀬戸大橋側から本四高速、JR四国、JR西日本、オーレスン橋側からオーレスン橋公社の代表者が出席して、オーレスン橋との姉妹橋調印式を開催[5]。
- 2009年(平成21年)
- 2013年
- 4月10日 - 瀬戸大橋開業25周年。
- 4月11日から12日 - トワイライトエクスプレス車両 瀬戸大橋開業25周年記念号運行[6][7]。
各橋と沿線の島々
各橋と各島の詳細は、それぞれの項目を参照。
島 | 橋名・トンネル名 | 全長 | 形式 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
本州 | 鷲羽山トンネル | 205m(道路部) | トンネル | 岡山県倉敷市 |
230m(鉄道部) | ||||
海 | 下津井瀬戸大橋 | 1,447m | 吊り橋 | |
香川県坂出市 | ||||
櫃石島 | 櫃石島高架橋 | 1,316m | 高架橋 | |
海 | 櫃石島橋 | 792m | 斜張橋 | |
岩黒島 | 岩黒島高架橋 | 93m | 高架橋 | |
海 | 岩黒島橋 | 792m | 斜張橋 | |
羽佐島 | 与島橋 | 877m | トラス橋 | |
海 | ||||
与島 | 与島高架橋 | 717m | 高架橋 | |
海 | 北備讃瀬戸大橋 | 1,611m | 吊り橋 | |
三つ子島 | ||||
南備讃瀬戸大橋 | 1,723m | 吊り橋 | ||
海 | ||||
四国 | 番の州高架橋 | 2,939m | 高架橋 |
姉妹橋提携
- テンプレート:Flagiconゴールデンゲートブリッジ(米国 カリフォルニア州)
- 1988年(昭和63年)4月5日姉妹提携
- テンプレート:Flagiconファーティフ・スルタン・メフメト橋(トルコ イスタンブル)
- 1988年(昭和63年)7月3日姉妹提携
- テンプレート:Flagiconオーレスン橋(スウェーデン マルメ・デンマーク コペンハーゲン )
記念発行物
瀬戸大橋を記念する施設
香川県坂出市番の州緑町(番の州高架橋の西側)にある公園。1988年にこの場所で開催された瀬戸大橋架橋記念博覧会(瀬戸大橋博'88/四国)の跡地を公園としたもので、記念館はその当時のパビリオンのひとつが残されたものである。
- 公園は道の駅にもなっている。
- 記念館には瀬戸大橋関連の展示室のほか、200人収容のブリッジシアターがあり、瀬戸大橋関連の全天周映像作品を上演している。
- 公園の西側には瀬戸大橋タワーがある。瀬戸大橋タワーは回転式展望室をもち、108mまでのぼる。
- タワーの南側に香川県立東山魁夷せとうち美術館がある。
船舶信号
一番北側にある下津井瀬戸大橋の西側には、潮流信号所の電光掲示板があり、「見張励行・VHF聴守」の文字が1字ずつ表示される(道路・鉄道どちらからも見ることができる)。この電光掲示板は、船舶に対して潮流への注意を促すために設置されているものである。
他に船舶関連として、南北備讃瀬戸大橋などの橋台は、巨大さゆえに船のレーダー電波を反射してしまい、レーダーが電波の反射した位置からの電波も受け取ってしまうため、不要な電波を返さないように電波を上斜めに反射させるための細かい構造がある(橋台の横線はこの構造によるもの)。
脚注
参考文献
- 河口栄二著『瀬戸大橋をかけた男』(三省堂、1988年、ISBN 4-385-35326-3)
- 藤川寛之著、財団法人交通研究協会発行『本州四国連絡橋のはなし-長大橋を架ける-』(成山堂書店、2002年、ISBN 4-425-76111-1)
関連項目
- 一本列島
- 本州四国連絡橋
- 四国新幹線 - 「四国横断新幹線」計画ルートに含まれる
- 九頭竜ダム - テストモデル橋の存在
- 児坂フェリー - 瀬戸大橋と完全に並行するため、瀬戸大橋開通と同時に廃止された航路
- 橋の一覧 (長さ順)
外部リンク
- JB本四高速(本州四国連絡高速道路株式会社)
- JR四国(四国旅客鉄道株式会社)
- 本四連系線増架工事の終了及び運転開始について(電源開発株式会社プレスリリース)
- 瀬戸大橋記念公園
- 倉敷市瀬戸大橋架橋記念館
- インターネット自然研究所
- 鷲羽山(岡山県側)からの定点カメラ(静止画)
- 五色台(香川県側)からの定点カメラ(静止画)
テンプレート:瀬戸中央自動車道 テンプレート:Navbox テンプレート:瀬戸大橋
テンプレート:宇高航路- ↑ 主塔間隔が1,100mの南備讃瀬戸大橋では、1,000tに及ぶ列車が通過する際は、主塔間の橋梁は、下方に4.9m、上方に2.4mの歪みが発生する。これに起因して橋梁の端部で発生する、1.0m以上に及ぶ線路の伸縮を、専用の緩衝桁軌道伸縮装置で吸収している
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:PDFlink鉄道総合技術研究所
- ↑ 在来線部分に2本敷設しなかったのは、橋の片側のみに負担がかかることを避けたためである
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 5.0 5.1 瀬戸大橋とオーレスン橋の姉妹橋調印式について
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web