獄門島
テンプレート:基礎情報 書籍 『獄門島』(ごくもんとう)は、横溝正史の長編推理小説。1947年(昭和22年)1月から1948年(昭和23年)10月までの計17回、雑誌『宝石』に掲載された。俳句を用いた見立て殺人を描く。
本作を原作とした映画2作品・テレビドラマ4作品が、2014年3月現在までに制作されている。
目次
ストーリー
終戦から1年経った昭和21年9月下旬。金田一耕助は、引き揚げ船内で死んだ戦友・鬼頭千万太(きとう ちまた)の手紙を届けるため、千万太の故郷・獄門島へと向かっていた。瀬戸内海に浮かぶ獄門島は封建的な因習の残る孤島で、島の漁師の元締めである鬼頭家は、本家の本鬼頭(ほんきとう)と分家の分鬼頭(わけきとう)に分かれ対立していた。金田一は、千万太が息絶える前に残したある言葉が気に掛かっていた。
- 「俺が生きて帰らなければ、3人の妹達が殺される…」
金田一が島を訪れたその日を境に、島では凄惨な連続殺人事件が巻き起こる。
島に着いた金田一は、本鬼頭に客として迎えられ、千万太の死を告げた。島では、復員兵が海賊として出没するという噂が広まっていた。この日、供出されていた千光寺の釣鐘が島に戻り、千万太の従兄弟である一(ひとし)の戦地での無事が知らされた。本鬼頭家には千万太の妹3人と一の妹の早苗が住まい、これを千光寺の和尚・了念、村長の荒木、医者の幸庵が後見していた。
金田一は千光寺に宿泊中、本鬼頭の先代、嘉右衛門の書いた3首の俳句屏風を目にする。「むざんやな 冑の下の きりぎりす」「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」の2首は読めたが、残りの1首が判読できない。千万太の葬儀が行われた後、末妹の花子が行方不明となり、了念和尚の指示で捜索が行われた。金田一は寺へ戻る途中、先を行く和尚の提灯の火を目で追って歩いた。寺に入った和尚はすぐに外へ飛び出すと、寺の近くまで来ていた金田一を呼ぶ。寺の庭では、花子が足を帯で縛られ、梅の古木から逆さまにぶら下げられて死んでいた。金田一は、和尚が「きちがいじゃが仕方がない」とつぶやくのを耳にする。
登場人物
- 金田一耕助(きんだいち こうすけ) - 私立探偵
- 磯川常次郎(いそかわ つねじろう) - 岡山県警警部
- 清水(しみず) - 獄門島駐在巡査
- 鬼頭嘉右衛門(きとう かえもん) - 本鬼頭家先代、故人
- 鬼頭与三松(きとう よさまつ) - 本鬼頭家当主、精神病を患い座敷牢にいる
- お小夜(おさよ) - 与三松の妾、女役者、故人
- 鬼頭千万太(きとう ちまた) - 与三松の息子
- 鬼頭月代(きとう つきよ) - 小夜子の長女、千万太の腹違いの妹
- 鬼頭雪枝(きとう ゆきえ) - 小夜子の次女、千万太の腹違いの妹
- 鬼頭花子(きとう はなこ) - 小夜子の三女、千万太の腹違いの妹
- 鬼頭一(きとう ひとし) - 千万太の従兄弟
- 鬼頭早苗(きとう さなえ) - 一の妹
- お勝(おかつ) - 嘉右衛門の妾
- 鬼頭儀兵衛(きとう ぎへえ) - 分鬼頭当主
- 鬼頭志保(きとう しほ) - 儀兵衛の妻
- 鵜飼章三(うかい しょうぞう) - 分鬼頭居候、復員軍人
- 荒木真喜平(あらき まきへい) - 獄門島村長
- 了然(りょうねん) - 千光寺和尚
- 了沢(りょうたく) - 千光寺典座
- 村瀬幸庵(むらせ こうあん) - 漢方医
- 竹蔵(たけぞう) - 潮つくり
- 清公(せいこう) - 床屋
概要
横溝正史による解説
『獄門島』は『本陣殺人事件』に引き続いて雑誌『宝石』に連載されたもので、「金田一耕助シリーズ」ものとしては2番目の作にあたる。横溝正史が第1回に筆を染めたのは昭和21年10月で、最終篇を脱稿したのは昭和23年8月と、足かけ3年、1年と10か月の長期連載となっていて、横溝は「むろん、私としては初めての経験であった」と振り返っている。
横溝が瀬戸内海の一孤島を舞台に小説を書きたいと思いだしたのは昭和20年の春に岡山県へ疎開して以来のことだったが、「元来出不精で乗り物恐怖症」のため、疎開中に島を見に行けるか自信はなかったという。にもかかわらず城昌幸編集長からの『本陣』に続く長編原稿の依頼に対し、すぐに島を書こうと思ったのは、同じ部落の友人に加藤一という「軍師」がいたからだったという。この加藤氏はかつて瀬戸内海の島の1つで青年学校の先生をしていたことから、島の話をよくしてくれ、作品中の島の風物は、すべてこの「軍師」の教示に負ったものだった。
横溝はいつも大体の構想がまとまったところで渡辺温や安東左門に聞いてもらう習慣だったが、疎開先ではもっぱら夫人が聞き手役だった。この『獄門島』でも、夫人に話を聞かせていた。すると夫人は「で、犯人というのは---なのね」とある人物を差したという。横溝はそのあまりに意外な発想に、「お前は何ということを言うのであるか、そんな犯人をこさえたら、それこそ鬼どもから罵詈雑言、ヒンシュク、糾弾の火の雨が降るであろう。お前は何年探偵作家と連れ添っているのであるか。」と、「それを聞いて烈火の如く憤った」という。
ところが横溝はそのうちに「待てよ、ちと面白い」と思い立ち、「不自然は不自然だが、書きようによっては何とかなるだろう。第一こんな犯人を書いた探偵小説は今まで1つもなかったようだ。ワアイ、それに極めた!」と、夫人の言そのままに犯人を決めてしまったという。横溝は「したがってこの小説は夫婦共著ともいうべきもので、私がもし蘆花先生のごとき愛妻家であるならば、女房の名も入れるところだが、残念ながらいたって封建的な亭主関白であるところの私は、自分の名前だけでこれを発表するしだいである」とおどけてみせている。
篇中の「吊鐘の力学」のトリックについては海野十三、曹洞宗の知識については千光寺の末永和尚に教示を仰いでいる[1]。
横溝には神戸二中時代に西田徳重という探偵小説マニアの友達がいたが、中学卒業後の秋に早世してしまった。横溝はその縁で兄の西村政治氏と文通するようになっていた[2]。横溝は8月15日の日本敗戦後、疎開先ですることがなく、「本格探偵小説の鬼であった」といい、小さなトリックを、つぎからつぎへと思いついては悦に入っていた。さきの西村兄弟はそろって本格探偵小説ファンで、兄の政治氏は「GIが売り払っていった古本が、古本屋に山のようにある」と、ポケット・ブックを疎開先にあとからあとから送ってくれた。横溝の本格熱はますます火に油を注がれ、「西村政治さんの送ってくれた本の中にアガサ・クリスチーの『そして誰もいなくなりました』があった。これがのちの私の『獄門島』になった。」と語っている。戦後の長編第1作[3]として横溝は『本陣殺人事件』を執筆するが、これは試験的作品であり、「したがって私がはじめから自信をもって着手した、本格探偵小説は第2作の『獄門島』以降ということになるのであろう」としている[4]。
作品解説
この作品では金田一耕助は復員してすぐということになっており、「百日紅の下にて」のすぐ後ということになる。しかし作品としては『本陣殺人事件』の直後ということになる。作者は後の作品『悪魔の手毬唄』との関わりで、この作品が国外の童謡殺人事件に触発されたことを述べている。特にヴァン・ダインの『僧正殺人事件』の名を挙げ、いわゆるマザーグース殺人事件のようなものを日本で書きたい、と言う希望があった。しかし、二番煎じと批判されることを恐れて諦めていたところ、アガサ・クリスティーが『そして誰もいなくなった』で同じようなことをやっており、それが許されるのだから自分もやってみようと思い立った。また、それに当たるような童謡を発見できず、それに変わるものとして俳句を用いるようにしたのがこの作品であると説明している[5]。しかし、童謡殺人という点で作者はこれに満足できず、それが後の『悪魔の手毬唄』の創作につながったという[6]。
作品全体に敗戦直後の混乱が描かれるのも1つの特徴で、復員詐欺、ラジオ番組の「復員だより」、「カムカムの時間」などと言った話題があちこちにみられる。
また、事件の内容は、歌舞伎『京鹿子娘道成寺』とも関係性が深く、3人娘の母親であるお小夜(既に故人)が『娘道成寺』を得意とする旅役者だったことが語られる他、第1被害者・花子は『娘道成寺』に登場する白拍子の名前であり、第2被害者・雪枝は『娘道成寺』の主要テーマである釣鐘の中で発見され、第3被害者・月代は白拍子のような装束で殺害されており、さらに、被害者の死因は総じて日本手ぬぐいによる絞殺であるが、これも『娘道成寺』での小道具の1つである手ぬぐいと符合する。
この作品のヒロイン鬼頭早苗は、金田一耕助が生涯愛した女性の1人として知られる[7]。金田一は獄門島を離れる際、早苗に「島を出て一緒に東京へ行きませんか」とプロポーズとも取れる言葉を掛けている。しかし、早苗は「島で生まれたものは島で死ぬ。それがさだめられた掟なのです。もうこれきりお眼にかかりません。」と島に残る決意を固めており、金田一は振られてしまうという結果に終わっている。
発表当初より高い評価を受けた本作は、後の本格推理派作家などに大きな影響を与えている。また、横溝作品の中でも「見立て殺人」ものとして高い人気がある。本作に先立って執筆された短編「ペルシャ猫を抱く女」は、後に金田一登場の短編「支那扇の女」に改稿され、さらに長編化されるが、早苗や了然という登場人物名は、本作へと引き継がれたことを中島河太郎は指摘している。
作中に用いられた俳句
作品の評価
- 1949年「第2回探偵作家クラブ賞」候補にノミネートされる[8]。
- 田中潤司は作者作品ベスト5を選出した際、本作品を1位に挙げ[9]、作者もこれを「妥当なもの」としている[5]。
- 『週刊文春』が推理作家や推理小説の愛好者ら約500名のアンケートにより選出した「東西ミステリーベスト100」の国内編で、本作品は1985年版と2012年版のいずれにおいても1位に選出されている[10][11]。
『夜光怪人』版「獄門島」
ジュブナイル『夜光怪人』でも、目的地であるとなりの島への経由地点として、獄門島は終盤のページに登場(ただし読みは「ごくもんじま」)。瀬戸内海の島という地理関係、その昔海賊が跋扈していた地という設定も『獄門島』に準じたもので、島の駐在である清水巡査も再登場する。
この作品は、探偵役として『蝶々殺人事件』などで活躍する由利麟太郎が登場する作品だったが、ソノラマ文庫版および角川文庫版、角川スニーカー文庫版では山村正夫の手により、その部分が金田一耕助に書き換えられている。そのため、清水巡査が金田一のことを知らないという描写がなされており、また金田一の描写もろくに推理をせずピストルを発砲するなど、通常の金田一作品とは大きくかけ離れている。
由利シリーズのジュブナイル作品は、1作ごとに世界観がリセットされるため、この作品も特に『獄門島』との整合性を考慮して執筆されてはいない。
映画
「獄門島」の所在地の設定は、笠岡諸島最南端ということ、作中に登場する定期便の航路(笠岡から出発して真鍋島の次に停泊する島)など、六島と共通する点が見られ、1977年の映画化の際には六島でロケ撮影が行なわれたが、1990年のドラマ化の際には真鍋島でロケ撮影が行われた。
1949年版
『獄門島』は1949年11月20日に、『獄門島 解明篇』は1949年12月5日に公開された。東横映画、監督は松田定次、脚本は比佐芳武、主演は片岡千恵蔵。
- この作品では、「獄門島」の読み仮名は「ごくもんじま」となっている。
1977年版
1977年8月27日に公開された。東宝、監督は市川崑、脚本は久里子亭(日高真也+市川崑)、主演は石坂浩二。
※下記に記載されているように、テンプレート:要出典範囲この作品では、犯人を原作とは別の人物に変更している。それにあわせて予告編では横溝正史本人による「金田一さん、私も映画の中の犯人を知らないんですよ」という語りがある。また、映画館でも入り口に、「テレビとは犯人が違います」という看板が立てられて宣伝されていた。
テレビドラマ
テンプレート:要出典範囲、原作未読の視聴者にとってはなぜ金田一が謎を解けたのか、わけの分からない展開となってしまったことがある(DVDなどではオリジナルのまま収録されている)。近年の映像化作品では、謎解きの部分を変更することで「気違い」という言葉を出さなくとも話が成立するようにされている。
2007年5月1日、NHK-BS2「衛星映画劇場」で市川崑監督作品(映画1977年度版)が放送された際には、上記のような音声処理はまったく行われなかった。本編終了後、現代からすれば不適切な用語・表現などが含まれるが、作品のオリジナリティーを尊重してそのまま放送した旨の断りが表示された。
1977年版
『横溝正史シリーズI・獄門島』は、TBS系列で1977年7月30日から8月20日まで毎週土曜日22:00 - 22:55に放送された。全4回。
毎日放送製作。
- キャスト
- スタッフ
- その他
1990年版
『横溝正史シリーズ・獄門島』は、フジテレビ系列の2時間ドラマ「男と女のミステリー」(金曜日21:03 - 23:22)で1990年9月28日に放送された。
- キャスト
- スタッフ
- その他
- 上記の理由で、「“き”が違っている」の部分の「気」ではなく「樹(いちじくの木)」と表現している。
- この作品では、金田一と月代の淡いロマンスが描かれている。
- この作品では、月代・雪枝が誘い出される手紙の差出人に鵜飼ではなく、金田一の名前が使われている。
1997年版
『名探偵・金田一耕助シリーズ・獄門島』は、TBS系列の2時間ドラマ「月曜ドラマスペシャル」(毎週月曜日21:00 - 22:54)で1997年5月5日に放送された。
- キャスト
- スタッフ
2003年版
『金田一耕助ファイルII 獄門島』は、テレビ東京系列・BSジャパン共同制作の2時間ドラマ「女と愛とミステリー」(毎週水曜日20:54 - 22:48)で2003年10月26日に放送された。
- キャスト
- スタッフ
- その他
- 「きちがい」の件が丸々省略されている。
- 月代・雪枝・花子は年子ではなく三つ子になっている。
- 鬼頭一(ひとし)は早苗の兄ではなく弟になっている。
- 島に逃げ込んだ海賊は、東京から逃げてきた殺人犯になっている。
漫画化
本作はささやななえ、いけうち誠一、JET、長尾文子により、4作品の漫画化が行われている。
関連イベント
- エキスポランド・人が演じる幽霊屋敷『獄門島』
参考文献
- 中島河太郎 (1971)、「解説」(角川文庫、横溝正史『獄門島』)
- 中島河太郎 (1977)、「解説」(角川文庫、横溝正史『ペルシャ猫を抱く女』)
- 大坪直行 (1971)、「解説」(角川文庫、横溝正史『悪魔の手毬唄』)
脚注
外部リンク
テンプレート:Asbox- ↑ 『獄門島』あとがき(昭和23年9月)
- ↑ 『一杯亭綺言』(『小説推理』、昭和49年8月)
- ↑ 作者の戦後最初に発表した作品は、1945年10月に『講談雑誌』に掲載された朝顔金太捕物聞書帳の「孟宗竹」だが、執筆時期は戦中であったと見られる。戦後に書かれた作品でもっとも発表が早かったのは『講談雑誌』1946年2月号に掲載された『人形佐七捕物文庫』の短編「銀の簪」だったが、横溝自身の記憶によれば戦後最初に執筆したのは探偵小説「神楽太夫」(『週刊河北』1946年3月)で、1945年の秋には脱稿していたという(『金田一耕助のモノローグ』ほか)。ただし、いずれの作品も単発掲載で連載長篇ではなく、戦後の長篇第1作は『本陣殺人事件』である。
- ↑ 『本格探偵小説への転機』「本陣殺人事件」の前後(『問題小説』、昭和48年8月)
- ↑ 5.0 5.1 『真説 金田一耕助』(横溝正史著・角川文庫、1979年)を参照。
- ↑ 『悪魔の手毬唄』(横溝正史著・角川文庫旧版、1971年)の大坪直行による巻末解説、および『横溝正史読本』(小林信彦編・角川文庫、2008年改版)参照。
- ↑ 『悪霊島』の中に、早苗のことを思い起こす記述がある。
- ↑ このときの受賞作は 坂口安吾の『不連続殺人事件』で、ほかにも高木彬光の『刺青殺人事件』がノミネートされるなど、傑作と評価される作品が揃っていた。
- ↑ 1位から5位までの作品は、1.本作品、2.『本陣殺人事件』、3.『犬神家の一族』、4.『悪魔の手毬唄』、5.『八つ墓村』。
- ↑ 1985年版では、他の横溝作品は『本陣殺人事件』が7位、『悪魔の手毬唄』が42位、『八つ墓村』が44位、『蝶々殺人事件』が69位に選出されている。
- ↑ 2012年版では、『本陣殺人事件』が10位、『犬神家の一族』が39位、『八つ墓村』が57位、『悪魔の手毬唄』が75位に選出されている。