元号法
テンプレート:Infobox 元号法(げんごうほう)は、元号(年号)について定めた日本の法律である。
構成
本則は次の2項をもって構成される。附則も2項あり。
日本の法律のなかで、もっとも条文が短い。
経緯
大日本帝国憲法下においては、元号に関する規定は旧皇室典範第12条に明記されていたが、日本国憲法下においては、1947年に現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し、法的明文がなくなった。しかし、その後も国会・政府・裁判所の公的文書、民間の新聞等で慣例的に[1]元号による年号表記が用いられた。昭和天皇の高齢化と日本人の87.5%が元号を使用している事情に鑑み[2]、1979年(昭和54年)6月6日に国会で元号法が成立、同月12日に公布・即日施行された。
「昭和」の元号はこの法律第1項の規定に基づき定められたものとされ(附則第2項)、「平成」の元号は元号を改める政令(昭和64年政令第1号。1989年(昭和64年)1月7日公布・翌日施行)により定められた。
経過
- 1979年2月2日 「元号法案」(所管・総理府本府)が閣議決定され、閣法第2号として衆議院に提出(併せて参議院に予備審査のため送付)される。
- 3月16日 衆議院本会議において総理府総務長官三原朝雄が趣旨説明。衆議院内閣委員会(委員長・藏内修治)に付託
- 3月20日 衆議院内閣委員会において総理府総務長官三原朝雄が趣旨説明
- 4月13日 衆議院内閣委員会において参考人意見聴取(参考人:國學院大學教授・坂本太郎、青山学院大学教授・小林孝輔、駒澤大学教授・林修三、慶應義塾大学講師・村上重良、筑波大学教授・村松剛)
- 4月20日 衆議院内閣委員会において原案が起立多数により可決(賛成:自由民主党、公明党・国民会議、民社党、新自由クラブ / 反対:日本社会党、日本共産党・革新共同)
- 4月24日 衆議院本会議において原案が起立多数により可決。参議院に送付
- 4月27日 参議院本会議において総理府総務長官三原朝雄が趣旨説明。参議院内閣委員会(委員長・檜垣徳太郎)に付託
- 5月8日 参議院内閣委員会において総理府総務長官三原朝雄が趣旨説明
- 5月25日 参議院内閣委員会において参考人意見聴取(参考人:評論家・松岡英夫、二松学舎大学教授・宇野精一、日本キリスト教団行人坂教会牧師・木村知己、全日本労働総同盟政治局長・小川泰、東京大学教授・高柳信一)
- 5月26日 参議院内閣委員会において参考人意見聴取(参考人:神社本庁講師・小野祖教、名古屋大学教授・長谷川正安、歴史学者・村尾次郎、日本労働組合総評議会副議長・丸山康雄、東京新聞論説委員・堀健三)
- 5月30日 参議院内閣委員会、地方行政委員会、法務委員会、文教委員会連合審査会が開かれる。
- 6月1日 大阪府大阪市において現地聴聞会開催
- 6月2日 北海道札幌市において現地聴聞会開催
- 6月5日 参議院内閣委員会において原案が挙手多数により可決(賛成:自由民主党・自由国民会議、公明党、民社党、新自由クラブ / 反対:日本社会党、日本共産党、社会民主連合)
- 6月6日 参議院本会議において原案が起立多数により可決。奏上
- 6月12日 公布、即日施行
元号選定手続について
1979年(昭和54年)10月、大平内閣(第1次大平内閣)は、元号法に定める元号の選定について、具体的な要領を定めた(昭和54年10月23日閣議報告)[3]。
これによれば、元号は、「候補名の考案」、「候補名の整理」、「原案の選定」、「新元号の決定」の各段階を践んで決定される。まず、候補名の考案は内閣総理大臣が選んだ若干名の有識者に委嘱され、各考案者は2ないし5の候補名を、その意味・典拠等の説明を付して提出する。総理府総務長官(後に官房長官)は、提出された候補名について検討・整理し、結果を内閣総理大臣に報告する。このとき、次の事項に留意するものと定められている。
- 国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。
- 漢字2字であること。
- 書きやすいこと。
- 読みやすいこと。
- これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと。
- 俗用されているものでないこと。
整理された候補名について、総理府総務長官、内閣官房長官、内閣法制局長官らによる会議において精査し、新元号の原案として数個の案を選定する。全閣僚会議において、新元号の原案について協議する。内閣総理大臣は、新元号の原案について衆議院及び参議院の議長及び副議長に連絡し、意見を聴取する。そして、新元号は、閣議において、改元の政令の決定という形で決められる。