シントラ
シントラ (葡: Sintra) は、ポルトガルの都市で、首都・リスボンに隣接する地方自治体である。シントラの市街地には約27,000人が居住しているが、市全域では、36万人を超える人口を誇る。ムーア人が築いた城の跡や、ポルトガル王室の夏の離宮など、様々な年代の文化財が集積していることから観光地として有名であり、また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光の拠点でもある。
歴史
シントラは、すでに11世紀のアラブ人の地理学者であるアル・バクルによる記述が残っており、後には、詩人バイロンが「エデンの園」と称賛した。
8世紀ないしは9世紀には、ムーア人が、ムーアの城跡(カステロ・ド・ムーロ)を建設したとされる。
アフォンス・エンリケスによるシントラのポルトガル併合は、1147年のことであり、このとき、町の大部分の城砦が破壊された。
1493年、クリストファー・コロンブスが、スペイン国王のもとへ航海を続けた際に、突風に巻き込まれ、シントラの岩壁に避難したこともある。ポルトガル国内で、安全な港を探すことができずに、このような事態に陥り、他に選択の余地もなく、シントラからリスボン港へ向かった。
世界遺産
テンプレート:Infobox 宮殿群や城跡を含むシントラの文化財は、「シントラの文化的景観」として、1995年、ユネスコの世界遺産に登録された。
主な物件
主な物件は以下の通り。
- シントラ宮殿(pt:Palácio Nacional de Sintra) - 14世紀にジョアン1世によって建てられた夏の離宮。
- ペーナ宮殿(pt:Palácio Nacional da Pena) - マリア2世の王配フェルナンド2世が建設した。
- ムーアの城跡(pt:Castelo dos Mouros (Sintra)) - 7から8世紀にムーア人によって建設された。現在は、廃墟のようになっている。
- レガレイラ宮殿(pt:Palácio da Regaleira)- 12世紀に建設された王族の別邸を利用して、20世紀前半に、イタリアの建築家ルイージ・マニーニによって改築された宮殿。
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core
地理
首都のリスボンロシオ駅から、列車やバスで約1時間であり、ロカ岬(ユーラシア大陸最西端)にもバスで約40分で訪れることができる。
日本との関係
- 1584年8月、ポルトガルに上陸していた天正遣欧使節の一行がシントラの王宮を訪れ、アルベルト・アウストリア枢機卿(当時ポルトガル王を兼ねていたスペイン王フェリペ2世からポルトガルの統治を任されていた人物)に謁見している。
- 天正遣欧使節の歴史的関係にちなんで、1997年から長崎県大村市と姉妹都市提携をおこなっている。[1][2]
菓子
小麦粉の生地にチーズクリームを詰め込み焼き完成となるケイジャーダが存在する。
ギャラリー
姉妹都市
- テンプレート:Flagicon 大村市、日本
- テンプレート:Flagicon ビサウ、ギニアビサウ
- テンプレート:Flagicon ハバナ、キューバ
- テンプレート:Flagicon ペトロポリス、ブラジル
- テンプレート:Flagicon ホノルル、アメリカ