カスカイス

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テンプレート:基礎情報 ポルトガルの自治体 カスカイスCascais)は、ポルトガルリスボン県の都市である。市内には、国際的なリゾート地であるエストリルを含む。

また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬へのバスがここから発着している。

歴史

カスカイスが町として形成しだしたのは、12世紀のころである。町が形成されだした初期のころは、行政面では、隣の町であるシントラに多く依存していた。13世紀になると、漁業や農業が盛んになり、リスボンへ食糧を供給するようになっていった。

14世紀になると人口も増え、行政面では、1364年に、シントラからの独立を達成し、カスカイス及び周辺の村々は、ジョアン・ダス・レグラス卿が統括する地域になった。

中世以来、カスカイスは、漁業、リスボンへの航路の港町であったことから発展した海運業、ワインオリーヴオイル穀物果物を生産する農業が盛んであり、テージョ川に近いという地理的要因もあり、リスボンを守る防衛拠点ともなった。1488年ごろ、ジョアン2世は、海の側に小さな要塞を建設した。この要塞は、最終的には防衛上、何一つ役に立つことはなく、1580年のスペインとポルトガルの同君連合が成立した際も、貢献することはなかった。この城塞は、フィリペ1世の時代に、ルネサンス建築の城塞へと拡張された。また、カスカイス周辺の海岸線には、多くの城塞が建築され、多くが現存する。

1755年リスボン地震において、カスカイスも大きな被害を受けた。1774年ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョの経済政策により、カスカイス近郊のカルカヴェロスのワイン生産の保護化、王立の羊毛工場が建設され、19世紀初頭まで、残った。半島戦争の期間は、カスカイスも他のポルトガルの都市同様、フランス軍に占領された経験を持つ。

軍事都市の性格を帯びていたカスカイスが国際的なリゾート地へ脱皮するきっかけとなったのがルイス1世による城塞を王族の夏の離宮とする転換であった。1870年から1908年の間、王族は夏の間、カスカイスで滞在することが多かった。また、カスカイスでは、ポルトガルで初めて、電灯が灯ったことでも有名である。リスボンやシントラへの道路が整備されると同時に、カジノ闘牛場、スポーツクラブが作られ、人口は増え始め、1889年には、鉄道も開通した。

交通

姉妹都市

ギャラリー

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脚注

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外部リンク

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