由良町
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由良町(ゆらちょう)は、和歌山県のほぼ中央部に位置する町である。
町全体は東西に広がり、東側は山地、西側は紀伊水道に面する。町西部には県立公園白崎海岸があり、石灰岩でできた幻想的な風景が広がっている。
その幻想的な風景は万葉集に読まれており、歌碑も設置されている。
- 妹がため玉を拾ふと紀伊の国の 湯羅の岬にこの日暮しつ
- 白崎は幸くあり待て大船に 真楫しじ貫きまたかへり見む
- 朝開き漕ぎ出て我は湯羅の崎 釣する海人を見て帰り来む
- 湯羅の崎潮干にけらし白神の 磯の浦廻をあへて漕ぐなり
石灰岩内部は戦時中、基地と使用されていた。その後、石灰岩採掘場となったが、現在ではスキューバダイビング施設(白崎海洋公園)がある。
町西部には開山「興国寺」がある。金山寺みそ、醤油発祥の地と言われている。
年々、過疎化が進んでいる。
目次
地理
隣接している自治体
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、畑村・中村・門前村・里村・阿戸村・江ノ駒浦の区域をもって由良村が発足。
- 1947年(昭和22年)10月15日 - 由良村が町制施行して由良町となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 白崎村・衣奈村と合併し、改めて由良町が発足。
- 1958年(昭和33年) - 白崎自然公園が県立公園として指定。
- 1959年(昭和34年) - 蟻島灯台が完成。
- 1961年(昭和36年) - 第2室戸台風による被害を受ける。
- 1962年(昭和37年) - 興国寺灯篭焼き県指定重要無形文化財として指定。
- 1963年(昭和38年) - 国道42号線由良地内起工。
- 1965年(昭和40年) - 国道42号線由良地内開通。
- 1967年(昭和42年) - 紀勢本線紀伊由良駅・湯浅駅間が複線化。
- 1968年(昭和43年) - 国鉄臨港線廃止。紀勢本線紀伊由良駅・御坊駅間が複線化。
- 1969年(昭和44年) - 財政再建団体として指定。
- 1971年(昭和46年) - 紀伊由良駅貨物営業停止。皇太子明仁親王(今上天皇)が来町。
- 1973年(昭和48年) - 三井造船(現、エム・イー・エス)操業開始。
- 1982年(昭和57年) - 由良港臨海土地造成として臨海地域の埋め立て工事を実施。
- 1985年(昭和60年) - 法灯国師700年大遠諱。
- 1987年(昭和62年) - 町議会議員定数削減(20→18)。阿戸区獅子舞県指定重要無形文化財となる。
- 1989年(平成元年) - 役場新庁舎完成。業務効率化のためコンピュータを導入。
- 1990年(平成2年) - 由良町民憲章を制定。
- 1991年(平成3年) - 町議会議員定数削減(18→16)。
- 2007年(平成19年) - 町議会議員定数削減(12→10)。
経済
産業
- 主な産業:観光産業(民宿・旅館)
三井造船株式会社の子会社、(株)エム・イー・エス由良があり、船舶の修理などをおこなっている。 ハルテックがあり、橋梁、鉄骨の鉄鋼構造物の製作などをおこなっている。
日本郵政グループ
- 由良郵便局(里)
無集配郵便局
- 白崎(しらさき)郵便局(吹井=ふけい)
- 衣奈(えな)郵便局(衣奈)
各郵便局にはゆうちょ銀行のATMが設置され、由良郵便局ではホリデーサービスを実施(2011年6月現在)。
※由良町内の郵便番号は「649-11xx」(由良郵便局の管轄)となっている。
地域
人口
教育
交通
- 交通はJR西日本もしくは国道に加えて、中紀バスが7路線を運行。
鉄道路線
道路
町内を高速道路は通っていない。最寄のインターチェンジは湯浅御坊道路の広川IC
港湾
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
横浜、阿戸の獅子舞は県の無形重要文化財に指定されている。
出身有名人
- 由良守応 - 岩倉具視らと欧米に派遣。宮内省宮内馬車掛長。日本初の乗合馬車会社千里軒創業者。
- 楠山義太郎 - 毎日新聞ロンドン特派員。リットン調査団報告をスクープ。1939年(昭和14年)、当時のルーズベルト大統領と日本人記者として単独会見に成功。毎日新聞東京本社編集長、毎日新聞主筆、東京日日新聞社長。衆議院議員。
- 神田耕一郎
- 城本蕉月 - 華道蕉月流創始者。
- 覚明
- 大黒坊弁慶 - プロレスラー
- 直川公俊 - サッカー選手
- 山本哲哉 - プロ野球・東京ヤクルトスワローズ