中央即応集団
テンプレート:軍隊資料 中央即応集団(ちゅうおうそくおうしゅうだん、テンプレート:Lang-en-short)は、陸上自衛隊における、防衛大臣直轄の機動運用部隊[1]。日本の新防衛大綱に基づき、2007年3月28日に創設された。集団司令部を神奈川県相模原市の座間駐屯地に置く。
概要
有事に迅速に行動・対処する為の部隊として機動運用部隊(第1空挺団・第1ヘリコプター団)や専門部隊(特殊作戦群・中央特殊武器防護隊など)を一元的に管理・運用する目的と、国際平和協力活動に関する研究及び教育訓練(国際活動教育隊・国際平和協力活動等派遣部隊)および指揮を行う為に新設された。国内展開時には、増援・緊急対応部隊として機能し、国外展開部隊に対しては指揮機構の役割も有する。創設時の人員は約3,200名、2008年3月末の3個部隊発足により現在の人員は約4,500名となっている。
従来、陸上自衛隊の上級指揮官には「○○長」または「総監」の職名が用いられてきたが、中央即応集団にあっては指揮官名として陸上自衛隊では初めて「司令官」が用いられることとなった。司令官には陸将[2](指定職3号)[3]が就き、防衛大臣の直接の指揮監督を受ける[4]。国内担当と国際担当のそれぞれ一人ずつの副司令官には陸将補が就く[2]。
シンボルマークは日の丸を背景に、上に3つの桜花章、中央に青の世界地図、下に黄で「CRF」の文字(陸将の下、日の丸を背負い、世界規模で活躍―ウェブサイト解説より)。
2014年現在、中央即応集団を廃止して、その隷下部隊を新設予定の陸上総隊に移す計画が進められている[5]。
沿革
- 2007年
- 3月28日:中央即応集団編成完結。編成当時の隷下部隊は、第1空挺団・特殊作戦群・第1ヘリコプター団・第101特殊武器防護隊・国際活動教育隊。3月31日、朝霞駐屯地にて発足式典が行われる。
- 4月1日:国際平和協力法に基づき、国際連合ネパール支援団 (UNMIN) に第1次軍事監視要員として石橋克伸2等陸佐(当時)以下6名を派遣。中央即応集団司令部所属かつ内閣府PKO事務局に出向した個人派遣という形がとられ、防衛省発足に伴い国際平和協力活動が本来任務化してから初の自衛隊海外派遣となった。
- 7月17日:新潟県中越沖地震に際し、同年8月13日まで隷下部隊を災害派遣。
- 8月24日:中央即応集団の指揮下部隊としてゴラン高原にUNDOF第24次隊を派遣。(中央即応集団初の海外派遣)
- 9月12日:インドネシアスマトラ南部地域地震対応。
- 10月29日:中央即応集団演習(関東~九州)。
- 2008年
- 2月4日:自衛隊統合演習(指揮所演習)。
- 2月17日:ゴラン高原にUNDOF第25次隊を派遣。
- 3月26日:中央即応連隊、対特殊武器衛生隊が編成完結。第101特殊武器防護隊が「中央特殊武器防護隊」に改編。
- 6月30日:対テロ・ゲリラ対処の見地から中央即応集団に対し北海道洞爺湖サミットにおける支援命令が発出される。
- 8月21日:ゴラン高原にUNDOF第26次隊を派遣。
- 10月24日:閣議決定に基づき国際連合スーダン派遣団 (UNMIS) 司令部への要員派遣を開始。
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 1月15日:国際連合ネパール支援団の任務終了。18日、第4次軍事監視要員6名が帰国
- 2月27日:ゴラン高原にUNDOF第31次隊を派遣。
- 3月11日:福島第一原子力発電所事故の対応を、全組織に対して現場統括。
- 8月20日:ゴラン高原にUNDOF第32次隊を派遣。
- 9月30日:国際連合スーダン派遣団の任務終了に伴い、司令部勤務要員が帰国。
- 10月21日:福島第一原子力発電所事故の対応に当たった現場指揮官2名が、消防、警察と共にスペインのアストゥリアス皇太子賞平和部門を受賞[7]。
- 11月28日:国際連合南スーダン派遣団の司令部がある首都ジュバへ自衛官2名を派遣
- 2012年
- 1月14日:自衛隊南スーダン派遣の先遣隊34名が首都ジュバに向けて出国。
- 2月18日:ゴラン高原にUNDOF第33次隊を派遣。
- 9月:国際連合東ティモール統合ミッション(UNMIT・個人派遣)が年内で終了することに伴い、第4次要員が帰国
- 2013年
- 1月15日:自衛隊ゴラン高原派遣(UNDOF)の全隊が撤収。20日に防衛省で隊旗返還を行った。
- 3月15日:ハイチ派遣国際救援隊(MINUSTAH)の後送業務隊が撤収完了
- 3月26日:司令部及び司令部付隊が座間駐屯地に移駐。司令部幕僚長が同駐屯地司令職務担任部隊長に指定[8]
編制
- 国際平和協力活動等派遣部隊
- UNMISS - 自衛隊南スーダン派遣
司令部
中央即応集団司令部は発足当初東京都練馬区の朝霞駐屯地に置かれた。2013年3月26日付でキャンプ座間(座間駐屯地)に移転し、同地のアメリカ陸軍第一軍団司令部との連携を行う。
師団及び旅団司令部は第一部・第二部のように数字で部の名称を表しているが、中央即応集団司令部は職務内容を表す用語を部の名称としている。ただし、基本的な各部の職務分掌は共通している。第一部と人事部、第二部と情報部、第三部と防衛部、第四部と後方補給部の職務はほぼ等しい(司令部#陸上自衛隊の師団の司令部等の構成を参照)。
また、中央即応集団司令部は方面総監部と同様、2名の幕僚副長(一等陸佐)が置かれている。司令部編成は下記の通り[9]。
主要幹部
職名 | 氏名 | 階級 | 就任日 | 出身校・期 | 前職 |
---|---|---|---|---|---|
中央即応集団司令官 | 川又弘道 | 陸将 | 2014年8月5日 | 防大25期 | 第4師団長 |
副司令官 | 堀切光彦 | 陸将補(二) | 2014年8月5日 | 防大30期 | 防衛監察本部監察官 |
堀井泰造 | 2013年8月22日 | 防大32期 | 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課長 | ||
幕僚長 (兼座間駐屯地司令) |
伊崎義彦 | 1等陸佐 | 2013年8月22日 | 防大31期 | 国際活動教育隊長 |
幕僚副長 | 菅野隆 | 2013年4月1日 | 防大33期 | 第35普通科連隊長 | |
髙木勝也 | 2014年3月23日 | 中央即応集団司令部防衛部長 |
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 山口淨秀 | 2007.3.28 - 2008.8.1 | 防大17期 | 西部方面総監部幕僚長 | 退職 |
2 | 柴田幹雄 | 2008.8.1 - 2009.12.7 | 防大19期 | 北部方面総監部幕僚長 | |
3 | 宮島俊信 | 2009.12.7 - 2011.8.5 | 防大20期 | 統合幕僚学校長 | |
4 | 藤崎護 | 2011.8.5 - 2012.1.31 | 防大22期 | 第3師団長 | |
5 | 山本洋 | 2012.1.31 - 2012.7.26 | 防大21期 | 陸上自衛隊富士学校長 | |
6 | 日高政広 | 2012.7.26 - 2014.8.5 | 防大23期 | 第6師団長 |
脚注
外部リンク
- 中央即応集団
- 法律第45号・防衛庁設置法等の一部を改正する法律(2006年5月31日)
- 法律第118号・改正自衛隊法(2006年12月22日)
- United States-Japan Roadmap for Realignment Implementation(2006年5月1日) - 日米安全保障協議委員会成果文書『再編実施のための日米のロードマップ』(英文)(和文)
- ↑ 防衛計画の大綱の別表で機動運用部隊に分類されている。
- ↑ 2.0 2.1 自衛隊法施行令 第二章 部隊 第一節 陸上自衛隊の部隊
- ↑ 発足当時は指定職2号
- ↑ 自衛隊法 第一節 陸上自衛隊の部隊の組織及び編成
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 防衛省人事発令(2010年2月6日)
- ↑ 【主張】福島の英雄たち 日本国民全てが受賞者だ 産経新聞 2011年10月24日
- ↑ 防衛省人事発令(1佐職:2013/3/26付、2013/3/25閲覧。)
- ↑ 方面総監部、師団司令部、旅団司令部及び中央即応集団司令部組織規則(昭和三十四年十二月二十一日総理府令第六十二号)