朝霞駐屯地
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朝霞駐屯地(あさかちゅうとんち、JGSDF Camp Asaka)は、東京都練馬区、埼玉県朝霞市、和光市、新座市にまたがる陸上自衛隊の駐屯地である。
駐屯地司令は東部方面総監部幕僚長が兼務(東部方面総監部の移駐前は第1施設団長が兼務)。朝霞門右側には陸上自衛隊広報センターが所在する。また、隣接している朝霞訓練場では3年に一度、自衛隊記念日に中央観閲式が実施される。
駐屯部隊・機関
- 東部方面総監部及び同付隊
- 東部方面警務隊本部
- 自衛隊情報保全隊東部情報保全隊本部
- 会計監査隊東部方面分遣隊
- 東部方面衛生隊
- 東部方面通信群本部
- 東部方面会計隊
- 東部方面後方支援隊本部
- 東部方面指揮所訓練支援隊
- 東部方面情報処理隊
- 東部方面音楽隊
- (中央即応集団)対特殊武器衛生隊
- (中央情報隊)現地情報隊
- 第1施設大隊
- 女性自衛官教育隊
- 中央音楽隊
- 陸上自衛隊輸送学校
- 陸上自衛隊研究本部
- 自衛隊体育学校
- (第2高射特科群)第335高射中隊
- 朝霞駐屯地業務隊
沿革
- 朝霞駐屯地を含む一帯は、1930年(昭和5年)に開設された「東京ゴルフ倶楽部朝霞コース」跡地。1940年(昭和15年)陸軍省により買収され、1941年(昭和16年)陸軍予科士官学校が市ヶ谷から移転した(東京ゴルフ倶楽部は狭山へ移転)。現在の朝霞駐屯地構内の池「びわ湖」は三番ショートホールの名残りである[1]。
- 1960年(昭和35年)3月15日:朝霞駐屯地を開設[1]。
- 1964年(昭和39年):朝霞駐屯地内射撃場を、第18回夏季オリンピック東京大会ライフル射撃競技会場として使用[2]。
- 1971年(昭和46年)8月21日:朝霞自衛官殺害事件発生。
- 1978年(昭和53年):キャンプ座間の陸軍士官学校跡から旧皇族舎を移築し、予科士官学校時代から伝わる史料を展示・保管する「振武台記念館」を開設[1]。
- 1994年(平成6年)11月:市ヶ谷駐屯地への防衛庁本庁の移転計画に伴い、東部方面総監部は朝霞駐屯地に移駐。
- 2001年(平成13年)3月:
- 第1施設団が古河駐屯地へ移転し、代わって第1施設大隊が古河から朝霞に移駐
- 東部方面通信群の第106通信運用大隊・第304搬送通信中隊が久里浜駐屯地から移駐
- 2002年(平成14年)3月:第31普通科連隊が武山駐屯地に移駐
- 2002年(平成14年)3月:陸上自衛隊広報センターを開設。
- 2007年(平成19年)3月28日:中央即応集団を新編。
- 2013年(平成25年)3月26日:中央即応集団司令部の移駐に伴い、隷属の座間分屯地を廃止(駐屯地に昇格)
所在地住所について
前述のように駐屯地の敷地は東京都練馬区、埼玉県朝霞市、和光市及び新座市の1都1県、1特別区3市にまたがって所在している。東京都練馬区にかかるのは東部方面総監部庁舎及び正門部分のみだが、自衛隊の駐屯地の住所は駐屯地司令部がある場所によって判別されるため、便宜上の住所は〒178-8501 東京都練馬区大泉学園町九丁目4番となる。
なお、電話の市外局番は埼玉県地域の川口MA、「048」が適用されている。 ただし、駐屯地内で東京都練馬区内の場所にある公衆電話は、東京MA「03」が適用されている。
朝霞訓練場
駐屯地に隣接する形で朝霞訓練場が設置されている。
訓練場内は自動車教習所、屋内射撃場・弾薬庫等が設置されており、一部の区域で陣地構築等の小規模な訓練が可能となっている。
3年に一度の自衛隊観閲式では訓練場内の広場と道路が会場となって観閲式が行われている
脚注
関連項目
最寄の幹線交通
- 高速道路
- 一般道:国道254号(川越街道)、埼玉県道36号保谷志木線、埼玉県道・東京都道40号さいたま東村山線、埼玉県道108号東京朝霞線、東京都道311号環状八号線、東京都道443号南田中町旭町線
- 鉄道:(朝霞門) 東武東上線、東京メトロ有楽町線・副都心線 和光市駅 徒歩約30分
- 路線バス
- 港湾:東京港(指定特定重要港湾)
- 飛行場