TOTO (バンド)
テンプレート:Infobox Musician TOTO(トト)は、アメリカのロックバンド。
1977年にロサンゼルスでスタジオミュージシャンをしていたデヴィッド・ペイチとジェフ・ポーカロ を中心に結成。2008年3月のボズ・スキャッグスとの来日公演を最後に活動を無期限に休止すると宣言し、公式ウェブサイトで7月23日に正式に解散が発表された。その後ALSを患ったマイク・ポーカロの救済目的で、2010年7月にヨーロッパ各地で期間限定としてツアーが行われた。以降2011年9月には日本でもツアーが行われ、2014年現在もツアー予定が組まれており、事実上恒久的な活動を再開している。
目次
バンド名の由来
メンバーによって、またその時によって説明が異なっているため、正確には不明であるが、元メンバー、ボビー・キンボールの本名「ロバート・トトース(Robert Toteaux) 」をもじったもの、「全てを含む」を意味するラテン語を英語風に変えたもの、日本の便器メーカーTOTOからとった[1](来日の際、TOTOの便器を欲しがったと言われる)など、複数の説、及びメンバーの説明がある。ただし便器メーカーのTOTOからとったという説明については、デビュー当時は日本での人気が先行していたため、日本のファンへのリップサービスがてらのジョークとして音楽雑誌『ミュージック・ライフ』のインタビューで語ったものである。また、キンボールの本名説に関しても、実際の本名はトトースではない。これもメンバーによるジョークであると考えられている。
なお、2012年まで公式ウェブサイト内のバンドヒストリーでは次のような説明がなされていた。
- バンドがデモ・テープを作っていた際に、映画『オズの魔法使い』を見たばかりであったジェフが、映画に登場する犬の名前「トト」をテープに書いてすぐ判別できるようにした。その後、デヴィッド・ハンゲイトが詳しく調べたところ、「トト(toto)」はラテン語で「total」 、あるいは「all-encompassing(網羅的な)」を意味することが分かった。これは数々のセッションに参加していたメンバーの経歴やどんなジャンルの音楽にも対応できるバンドの演奏能力にぴったりであるということから、デビュー・アルバムのタイトル及びバンド名として採用された。
- (参考:[1] 2012年8月時点、ウェブアーカイブによる)。
2014年現在はこの記述は削除されているが、オズの魔法使いの部分を除き同様の回答をしているインタビュー映像がDVD作品、グレイテスト・ヒッツ・ライヴ・アンド・モアに収録されている。
解散直前のインタビューで、スティーヴ・ルカサーが語るところによると「バンド名がブランドになってしまっているからもう変えられないけど、俺はこのバンド名が好きじゃないんだ。俺が命名に関わっている訳じゃないし、気がついたらそういう名前になっていたんだけど。イヤんなっちゃうよ、世界的に有名なトイレメーカー(TOTO)と同じ名前なんだぜ。皮肉っぽくてギャグとしては面白いと思うけどね」と語っている。同時に、ルカサー自身は「バット・ホール・サーファー(Butt hole surfer)の方が良かったが、もっとマジメにやれと拒否された」とも語っている[2]。
音楽的特徴
一般的には、典型的なAORサウンドと評されている。また、商業的な成功と聴きやすいサウンドを有していることから、産業ロックなどと表現されることがある。実際に、そういった趣が色濃い曲も数多く、それゆえヒット曲が多いのも事実である。ただし、作品全般を通して聴くと、ハードロックからプログレッシブ・ロック、ジャズ・フュージョンといった、さまざまなスタイルを内包しており、商業性を優先しているとは言いがたい幅広い音楽性を持っているという意見もある。
専任のボーカリストがいるにも関わらず、ギタリストのスティーヴ・ルカサーやキーボーディストのデヴィッド・ペイチがリード・ボーカルをとることが多い(実際、TOTO最大のヒット曲「Africa」はペイチのボーカルである)。また、スティーヴ・ポーカロも、リード・ボーカルをとる曲が存在し、2005年加入のグレッグ・フィンリンゲインズも、キーボーディスト兼リード・ボーカルとしての加入で、「Falling in Between」では、彼のリード・ボーカル曲も多くフィーチャーされ、ステージでは、休止中のペイチのボーカル曲を代行しているなど、ビートルズやキッスさながらに、演奏陣が歌うバンドとしても知られている(ただし、ビートルズやキッスには、専任ボーカルはおらず、全員が兼任ボーカルである)。
デビュー当時がちょうど、汎用IC、LSI(ICの高度集積化されたもの)の低コスト化が本格的に加速し始めた時期であった故、サウンド・エフェクター、シンセサイザーという音楽関連テクノロジーも飛躍的に発達、普及した時期となり、これとぴったり重なっていたこと、及びこういった先進技術の恩恵を潤沢に受けられるロサンゼルスのスタジオミュージシャンからキャリアをスタートさせたことから、当時「スペイシー (Spacy) 」と音楽雑誌が称していた、空間的広がりに散乱するような華やかなサウンドで、ほぼ同時期にデビューしたボストン (Boston) と並んで、この後1980年代のアメリカン・ロック・サウンドの雛形となったサウンドを提起した。より具体的には、全体のエフェクトにリバーブやゲート・リバーブ、ギターには、コーラスなどを多用し、アンプに通さず直接ミキサーのインプットに入力した、クリスタル・クリーンなどと形容されるギターサウンド、ペイチのジャジーなピアノやオルガン、エレクトリックピアノ、そして、スティーヴ・ポーカロのブラス系を含む、煌びやかなシンセサイザー・サウンドは、正に1980年代サウンドのお手本と言える。
しかしながら、初期TOTOにおいて一番その特徴としていえるのが、バンドの中心人物で、ドラマーのジェフ・ポーカロのリズムである。基本的に16ビート調の曲が多いのだが、通常の8ビートや16ビートでも独特のハネとウネりがあり、それが初期のTOTOをTOTOたらしめていると言っても過言ではない。特に顕著なのが「Rosanna」に代表されるような3連ゴースト・ノートを多用する16ビートのハーフ・タイム・シャッフルである。レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムやスティーリー・ダンでプレイしたバーナード・パーディから影響を受け、ボ・ディドリーのパターンも加え、独自にアレンジしたというこれらのリズムは、未だに多くのドラマーの課題となっている(実際、ジェフ自身も、スティーリー・ダンでプレイした経験がある)。
全員が、マイケル・ジャクソンなどの大物アーティストから依頼の多いスタジオ・ミュージシャンであり、TOTOの成功にも関わらず、スタジオ・ワークを縮小せず、精力的だったこともあり、1980年代には、ジャンル問わず、彼らの関わった作品では良くも悪くもTOTOのようなサウンドが多産されていた。
バンド・メンバー
メンバー全員が少年期からの旧知の仲であり、高校時代にはすでにバンドを組んでいた。時が経って1975年、ボズ・スキャッグスのアルバム『シルク・ディグリーズ』の制作時に再び集まったのがきっかけで、TOTOは結成された。メンバーチェンジは繰り返され、時代ごとにラインナップが異なる。2006年1月、解散前の最終メンバーでは唯一の作品がリリースされた。
メンバー
- オリジナル・メンバー。初期には楽曲のほとんどの作曲を担当し、ジェフと共にTOTOの音楽的方向性をリードしていた事実上の中心人物。代表的なヒット曲は彼の作品が多い。
- 父はジャズ・ミュージシャンとして著名なマーティ・ペイチ。
- スティーヴ・ポーカロとのツインキーボード時代は、スティーヴの演奏するスペーシーと表現される「いかにもシンセサイザー」的な派手なサウンドに対して、オーソドックスでジャジーなピアノ、オルガンサウンドでボトムを支えた。
- 2004年より家族の病気を理由に、ツアーやライブには参加しておらず、レコーディングのみの参加となり、ペイチのヴォーカル曲はグレッグ・フィリンゲインズがほとんどを代行した。再結成に際してツアーにも完全復帰している。
- スティーヴ・ルカサー(Steve Lukather、1957年10月21日) - ボーカル、リードギター
- オリジナル・メンバー。『キングダム・オヴ・デザイア〜欲望の王国〜』以降の作品から現在テンプレート:いつまで、実質的なバンドリーダーとして活動。
- ボーカリストとしては初期は柔らかく優しい、クリアなタイプの声質で、高音がよく伸び、特にバラードをメインに歌っていたが、上記アルバムの頃から野太いハスキーボイスに変化している。
- TOTO以外でもセッションミュージシャンとして広く活動している。
- スティーヴ・ポーカロとは高校のクラスメートで、友人のスタジオ・ミュージシャン、ギタリストのマイケル・ランドウは一学年下の後輩である。ペイチ、ジェフ、マイクは高校の先輩である。
- 結成以後、唯一全てのステージ、作品に参加している(レコーディングでは、ペイチも全て参加している)。
- スティーヴ・ポーカロ(Steve Porcaro、1957年9月2日 - ) - キーボード、ボーカル
- オリジナル・メンバー。ポーカロ3兄弟の末っ子。
- 80年代TOTOの派手で煌びやかなシンセサイザーサウンドは彼によるもので、TOTOのリズム、楽曲の方向性の中核がジェフとペイチならば、サウンド面の中核は彼の存在によるものとも言える。『Fahrenheit』を最後に脱退するが、次作『The Seventh One』でも正式メンバー並みに参加し、その派手なサウンドを聴かせてくれる。最近ではスティーヴ・ルカサーがインタビューで「俺はスティーヴには実際、正式に復帰してもらいたいと思っているんだよ」と語っている[3](脱退したとはいえ、『The Seventh One』以降の作品でもほぼ毎回ゲスト参加し、正式メンバー並に活躍しているので、単にクレジット表記を変更しただけとも言える)。
- ボーカリストとしては、中音域中心の柔らかい歌声である。
- TOTOにおいて自身の作った楽曲は全てスティーブが歌っているものと思われていたが「リア」のリードヴォーカルはジョセフ・ウィリアムスである。
- ルカサーとは高校のクラスメートである。
- マイケル・ジャクソンのモンスターヒット・アルバム『スリラー』収録の「ヒューマン・ネイチャー」はスティーヴの作編曲である。無論このアルバムの他の曲も含め数曲でキーボードも演奏している。
- 再結成では正式メンバーとして復帰、20年以上ぶりにオリジナルのツインキーボードとなった。
- ポーカロ3兄弟の次男。セッションとしては『TOTO IV』から既に参加しているが、正式加入はリリース直後のデヴィッド・ハンゲイト脱退から。同作に収録されている楽曲のプロモーション・ビデオはハンゲイト脱退直後に撮影されているため、映像に映っているのはマイクだが演奏自体はハンゲイトという状態になっている。ポーカロ3兄弟のうちバンドに最後まで参加していた。
- ルカサーによれば、TOTOの本当のオリジナル・メンバーはマイクだという。デビュー時のメンバーやスキャッグスのバックに集まったミュージシャンという直接的な結成を考えれば、ハンゲイトがオリジナル・メンバーであるが、恐らくTOTOのメンバーが高校時代に参加していたバンド「Ruaral Still Life」時代も含めての発言と考えられる。
- 2007年に筋萎縮性側索硬化症を発症したため療養しており、リーランド・スカラーが代役を務めた。復帰は回復次第とされていたが、TOTOの活動休止・解散までには間に合わず復帰は叶わなかった。TOTOの解散は彼の病状が大きな原因とも言われており、ルカサーは「ペイチが引退して、マイクまで倒れた状態で何がTOTOと呼べるものか」と活動終了の経緯を語っている。しかし、再結成も彼の救済が目的でもあり、解散・再結成共に彼の存在によるもの。病気のため実際のツアーには不参加だが、再結成以降も正式メンバーに名を連ねている。ライヴDVD『Live in Amsterdam』ではルカサーによるメンバー紹介の際に日本語字幕上では「リーダーのマイク・ポーカロ!」と紹介されているが、後にも先にもマイクがリーダーとされたのはこの時だけである。実際は「Groove Maestro」と発言したものを「Group Master」と聞き違えた誤訳の可能性が高い。また、聞き違えでなくとも「Maestro(指揮者)」という意味からリーダーと訳者が誤認している可能性もある。
- ジョセフ・ウィリアムズ(Joseph Williams、1960年9月1日 - ) - ボーカル
- 映画音楽作曲家のジョン・ウィリアムズの息子。キンボールと並ぶバンドの代表的ボーカリスト。正式メンバーとしては2作の参加にも関わらず、彼をTOTO史上最高のボーカリストという声も大きく、復帰を望む声もあった。元々ボーカリストのみならず作曲家として活躍していたキャリアから、TOTO在籍時には楽曲の方向性の面でも非常に貢献した。『The Seventh One』を最後に脱退したが、その後もTOTOの作品に作曲やゲスト・ボーカルとして参加していた。2008年のボズ・スキャッグスとの来日公演では最終の2日間に参加。また、再結成ではボビーに代わり正式参加。TOTO以外でのキャリアなどは本人の項を参照のこと。
- スティング、ジョン・メイヤー、スティーリー・ダン、ジェームス・テイラー、ドナルド・フェイゲン、ウォルター・ベッカー、ダイアナ・ロス、フェイス・ヒルなどの専属ドラマーを経て、2014年にサイモンの後任として加入。
過去に在籍していたメンバー
- オリジナル・メンバー。ポーカロ3兄弟の長男。結成から死去まで、TOTOの中心人物として活動。1992年、自宅の庭で殺虫剤を散布中にアレルギーによる心不全で死去。しかし、死因に疑わしい面が多く、コカインが検出されたため薬物中毒による死だという説もある。「ジェフこそがTOTOである」「TOTOはジェフとペイチのバンドだ」などの声も多く、現在テンプレート:いつも現テンプレート:いつメンバーは彼をメンバーとして扱い、依然としてリスペクトされ続けている。
- グレッグ・フィリンゲインズ(Greg Phillinganes、1956年5月12日 - ) - ボーカル、キーボード
- 2005年より加入。マイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンなどのツアーメンバーとしても活動していた。以前よりツアーでのサポートメンバーとして参加していたが、その力量を買ったペイチの誘いで正式加入し、解散まで籍を置いた。メンバー交代ではなく、追加という珍しい形である。再結成にはオリジナルメンバーのスティーヴ・ポーカロが参加したため不参加。レコーディング参加は2006年1月の『Falling in Between』からだが、次回作を作ることなく解散したため、この作品が唯一の参加アルバムとなった。コーラスなどのバッキング・ボーカルは長い間様々なアーティストのバックで経験しているが、リード・ボーカルはTOTOに加入してから初めての挑戦となる。中低音域からボビーやジョセフの音域にも迫るハイトーンまで、非常に広い音域を繰り高評価を得ている。また、それまでのTOTOのボーカリストにないタイプであるため、バンドに新しい血を導入することにも成功している。ツアー活動を休止しているペイチのヴォーカル曲や、彼の演奏パートもステージ上で代行している。TOTO初のアフリカ系アメリカ人(外国人メンバーも含めればジャン=ミシェル・バイロンに次ぐ2人目のアフリカ系アメリカ人)。
- ファーギー・フレデリクセン(Fergie Frederiksen、1951年5月15日 - 2014年1月18日) - ボーカル
- 1984年加入。元体操選手という経歴を持つ。TOTO加入前は、トリリオンやル・ルーに在籍。『Isolation』のみの参加で脱退したが、「Fahrenheit」にはコーラスで参加している。2014年1月18日、癌のため死亡。
- オリジナル・メンバー。1984年『Isolation』制作中に脱退。1999年の『MindFields』より復帰し、解散まで籍を置いた。メンバーチェンジの多いTOTOにおいて、最盛期を担った代表的なボーカリストである。TOTOのバンド名の由来として「ボビーの本名、ロバート・トトース(Robert Toteaux)から」などというジョークがメンバーによって語られ、半ば真実として信じている人も多く、TOTOを紹介する際、現在テンプレート:いつにおいても語られることがある。実際の本名はロバート・トロイ・キンボール(Robert Troy Kimball)であり全くの冗談である。2010年の再結成には不参加。
- ジャン=ミシェル・バイロン(Jean-Michel Byron、10月13日 - ) - ボーカル
- 南アフリカ出身。メンバー初の外国人で唯一のアフリカ人。
- ベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』で彼を売り出そうとしたレコード会社の意向により、新曲のみ参加(本来は、この作品からキンボールが復帰する予定だった)。「Past To Present Tour」直後に脱退。なお、レコード会社の強制的な参加と短期間の在籍のためか、公式ウェブサイトの旧メンバー紹介ページでは唯一彼だけ記載がない。
- サイモン・フィリップス(Simon Phillips、 1957年2月6日 - ) - ドラムス
- 死去したジェフの代役を務め、解散予定であったTOTOの起死回生を図った。『キングダム・オヴ・デザイア〜欲望の王国〜』のツアーよりサポート・メンバーとして参加し、その後正式加入。レコーディング参加は『Tambu』から。
- 最終メンバーとしては唯一の外国人(イギリス人)メンバー(ジャンに次ぐ2人目)。
- ジェフ・ベック、マイケル・シェンカー・グループなどのレコーディングやサポートをはじめ、1989年のザ・フーの再結成ツアーにも、亡きキース・ムーンの代役として参加している。
- 2014年、TOTOを脱退する。
- デヴィッド・ハンゲイト(David Hungate、 1948年8月5日 - ) - ベース
- オリジナル・メンバー。『TOTO IV』を最後に脱退。
- ボズ・スキャッグス、スリー・ディグリーズ、アリス・クーパーなど数々のアルバムにもセッションベーシストとして参加。
- 2014年夏のツアーよりネイザン・イーストに代わり約32年ぶりにTOTOに復帰予定。
主なサポートメンバー
サポートでの参加者はあまりにも多いため、ここでは特に参加していたことが有名な者や、後期の者に特化する。
- レニー・カストロ(Lenny Castro) - パーカッション
- 初期から後期まで、アルバムからツアーまで多くの現場でTOTOを支えてきた。TOTO以外でも非常に有名なパーカッショニストの一人。
- ジョー・ポーカロ(Joe Porcaro) - パーカッション
- ジャズ・ドラマーでポーカロ兄弟の父。『TOTO IV〜聖なる剣〜』を初めとして幾つかの作品に参加し、息子たちとの共演を行っている。
- ジェームズ・ニュートン・ハワード(James Newton Howard) - キーボード
- 1981年から1982年までのツアーに参加。
- ティモシー・B・シュミット(Timothy Bruce Schmit) - ボーカル
- イーグルスのベーシスト。コーラス担当として1981年から1982年までのツアーに参加。
- ジェニー・ダグラス(Jenny Douglas、本名:Jenny Douglas-McRae) - ボーカル
- 90年代にバックコーラスやリードボーカルで参加。当時TOTOは専任ボーカリストが存在しなかったため、ルカサーやペイチでは歌えない楽曲のシンガーを務め上げた。また、レコーディングでも『TAMBU』にて数曲リードボーカルを担っている。
- ジョン・ジェームズ(John James) - ボーカル
- ジェニーと同様、ツアーなどでのバックコーラス、リードシンガーとして専任シンガーのいない90年代TOTOのサポートとして参加。
- グレッグ・ビソネット(Gregg Bissonette) - ドラムス
- 1995年後半にサイモンの代役として参加。
- テンプレート:仮リンク(Tony Spinner) - ギター、ボーカル
- 1999年以降、ツアーにて、ほぼレギュラーでサポートでギターを演奏していた。また、曲によってはリード・ボーカルをとることも。
- ジョン・ジョッセル(John Jessel) - キーボード、コーラス
- 2003年までサポートキーボードとして、ペイチのサポートを行っていた。ステージ袖でプレイしていたようで、彼の参加した映像作品でもメンバー紹介時に顔を出す以外はほとんど姿が見えなかった。フィリンゲインズが後任として正式メンバーとなる。
- ジェフ・バブコ(Jeff Babko) - キーボード、ボーカル
- リーランド・スカラー(Leland Sklar) - ベース
- リーランド・スクラー、リー・スクラーとも。セッションミュージシャンとして、数々のアルバムやセッションに参加。2007年より病気療養に入ったマイクの代役を務めている。
- ジョン・ファリス(Jon Farriss) - ドラムス
- INXSのドラマー。「Live Promos」参加時、サイモンが病気で入院したため、急遽サポートとして参加。
- リッキー・ローソン(Ricky Lawson) - ドラムス
- 上記のジョン・ファリスの代役後にもサイモンの病状が思わしくなかったため、ファリスの後任サポートとして「Live Promos」にて代役を担った。
- ネイザン・イースト(Nathan East) - ベース、ボーカル
- フォープレイのベーシスト。2010年のマイク・ポーカロ支援ツアーにマイクの代役として参加。2013年からのTOTO35周年ツアーにも2014年春の日本ツアーまで参加。この35周年のツアーにあたり公式サイトではサポートではなく正式メンバーとしてマイク・ポーカロの名前と共にクレジットされている。
メンバーの変遷
年 | ボーカル | ギター | キーボード | ドラムス | ベース |
---|---|---|---|---|---|
1977-1982 TOTO〜宇宙の騎士〜/Hydra/ Turn Back/TOTO IV〜聖なる剣〜 |
ボビー・キンボール スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ |
スティーヴ・ルカサー | デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ |
ジェフ・ポーカロ | デヴィッド・ハンゲイト |
1982-1983 TOTO IV〜聖なる剣〜完成直後から Isolation制作途中まで |
マイク・ポーカロ | ||||
1983-1986 Isolation |
ファーギー・フレデリクセン スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ | ||||
1986-1988 FAHRENHEIT |
ジョセフ・ウィリアムズ スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ | ||||
1988-1990 The Seventh One〜第七の剣〜 |
ジョセフ・ウィリアムズ スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ |
デヴィッド・ペイチ | |||
1990 Past to Present 1977 - 1990グレイテスト・ヒッツ |
ジャン・ミシェル・バイロン スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ | ||||
1990-1992 Kingdom of Desire |
スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ | ||||
1992-1999 Absolutery Live/Tambu |
サイモン・フィリップス | ||||
1999-2005 Mind Fields/Through The Looking Glass |
ボビー・キンボール スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ | ||||
2005-2008 Falling in Between |
ボビー・キンボール スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ グレッグ・フィリンゲインズ |
デヴィッド・ペイチ グレッグ・フィリンゲインズ |
マイク・ポーカロ リーランド・スカラー(代役) | ||
2008-2010 | 解散中 | ||||
2010-2013 再結成 In The Blink Of An Eye 1977-2011 35th Anniversary |
ジョセフ・ウィリアムズ スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ |
スティーヴ・ルカサー | デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ |
サイモン・フィリップス | マイク・ポーカロ ネイザン・イースト |
2014- 35th Anniversary |
キース・カーロック |
ディスコグラフィー
オリジナル・アルバム
- 1978年-TOTO(邦題:宇宙の騎士)
- 1979年-HYDRA(ハイドラ)
- 1981年-TURN BACK(ターン・バック)
- 1982年-TOTO IV(邦題:TOTO IV〜聖なる剣〜)
- 1984年-ISOLATION(アイソレーション)
- 1986年-FAHRENHEIT(ファーレンハイト)
- 1988年-The Seventh One(邦題:ザ・セブンス・ワン〜第7の剣〜)
- 1992年-KINGDOM OF DESIRE(邦題:キングダム・オヴ・デザイア〜欲望の王国〜)
- 1995年-TAMBU(タンブ)
- 1999年-MINDFIELDS(マインドフィールズ)
- 2006年-FALLING IN BETWEEN(フォーリング・イン・ビトゥイーン)
ベスト・アルバム
- 1988年-STAR BOX
- 1990年-PAST TO PRESENT 1977-1990(邦題:グレイテスト・ヒッツ)
- 1995年-BEST BALLADS(邦題:TOTO・ザ・バラード)
- 1999年-Premium Best(プレミアム・ベスト)
- 2001年-Super Hits(スーパー・ヒッツ)
- 2003年-GREATEST HITS AND MORE(グレイテスト・ヒッツ・アンド・モア)
- 2004年-The Essential TOTO(エッセンシャル・TOTO)
- 2011年-In The Blink Of An Eye 1977-2011(邦題:オールタイム・ベスト1977-2011 ~イン・ザ・ブリンク・オブ・アイ~)
ライヴアルバム、未発表曲集等
- 1984年-DUNE(サウンドトラック)
- 1984年-The Official Music Of The 23rd Olimpiad Los Angeles 1984 ※ 1曲のみ(Moodido(The Match)/Boxing Theme)
- 1988年-CARMEN COMES NANIWA 4月20日大阪フェスティバル・ホールでのライブ
- 1993年-ABSOLUTELY LIVE(邦題:ライヴ)
- 1998年-TOTO XX<1977-1997>(未発表曲集)
- 1999年-LIVEFIELDS(ライヴ・フィールズ)
- 2002年-THROUGH THE LOOKING GLASS(スルー・ザ・ルッキング・グラス) ※カヴァー・アルバム
- 2003年-25TH ANNIVERSARY: LIVE IN AMSTERDAM(ライヴ・イン・アムステルダム~25TH ANNIVERSARY)
- 2008年-FALLING IN BETWEEN LIVE(フォーリング・イン・ビトゥイーン・ライヴ)
- 2014年-35th Anniversary Tour: Live in Porland(35周年アニヴァーサリー・ツアー ライヴ・イン・ポーランド 2013)
DVD
- 2003年-25th Anniversary: Live in Amsterdam(ライヴ・イン・アムステルダム~25TH ANNIVERSARY)
- 2005年-GREATEST HITS LIVE AND MORE(グレイテスト・ヒッツ・ライヴ・アンド・モア)
- 2008年-FALLING IN BETWEEN LIVE(フォーリング・イン・ビトゥイーン・ライブ)
- 2014年-35th Anniversary Tour: Live in Porland(35周年アニヴァーサリー・ツアー ライヴ・イン・ポーランド 2013)
脚注
- ↑ 松任谷由実がこの説をオールナイトニッポンで紹介していた
- ↑ [スティーヴ・ルカサー インタビュー 2008年1月8日 http://www.woopie.jp/video/watch/4fc3283b6a358065]
- ↑ サウンドデザイナー誌2005年6月号、オリジナルアルバムのDSDリマスター発売に関するインタビューにて発言。