アグネスフライト

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テンプレート:Infobox アグネスフライトとは、日本の元競走馬種牡馬である。主な勝鞍は2000年東京優駿(日本ダービー)京都新聞杯。祖母アグネスレディー優駿牝馬優勝馬。母アグネスフローラ桜花賞優勝馬。全弟アグネスタキオン2001年皐月賞優勝馬。母、祖母、弟は同じ河内洋騎乗でGIを制している。

経歴

ファイル:Agnes Flight 20001126C1.jpg
ジャパンカップ出走時

戦績

デビューは比較的遅い3歳の2月京都競馬場で行われた新馬戦を勝利する。2戦目の若葉ステークスでは12着に敗れ皐月賞には出走できなかったが、若草ステークス、京都新聞杯を制し、東京優駿へ出走するために十分な賞金を確保した。東京優駿では同競走三連覇のかかった武豊と皐月賞優勝馬エアシャカールを直線で猛然と追い上げハナ差で勝利した。鞍上の河内洋は初の東京優駿制覇となった。秋初戦の神戸新聞杯は2着に敗れるが、エアシャカールには先着する。しかし、1番人気で迎えた三冠最後の菊花賞ではエアシャカールの5着に敗れる。その後ジャパンカップに挑んだが、13着に敗れた。

古馬となった翌年、京都記念を2着とまずまずの滑り出しを見せるが、次走の大阪杯で10着に敗退後、屈腱炎を発症、1年7ヶ月の長期休養を余儀なくされる。そして、2002年天皇賞(秋)で復帰するも15着。ジャパンカップでは16着と最下位に敗れてしまう。その後、6歳まで現役を続けたが、東京優駿以降、1度も勝ち星を上げることができず、2003年阪神大賞典を最後に現役を引退した。

種牡馬時代

2003年5月に引退し日高スタリオンステーション種牡馬入りした。2004年より62頭に種付けを行い、その後ファーストクロップとなる産駒は27頭が血統登録された。この年には鼠径ヘルニアを患っている。2006年には種付け数が92頭にまで増加したが、種牡馬成績は全弟アグネスタキオンに及ばないどころか、成績自体が全く振るわず、年々種付け頭数は減少していった。アグネスタキオンは2008年JRA総合リーディングサイアーとなり、2009年に死亡したが、その後も血統構成は同じながらアグネスフライトの種牡馬としての需要は伸びず、2010年の種付け数はわずか2頭となっていた。

2011年6月24日をもって日高スタリオンステーションを退厩。種牡馬を引退し、生まれ故郷の社台ファームで余生を過ごす[1]こととなった。

2007年8月12日札幌競馬場で行われた2歳新馬戦(ダート1000m)を産駒のマルマツフライトが勝利した。この勝利が産駒の中央・地方通じての初勝利である。

競走成績

ファイル:Agnes Flight 20000528R1.jpg
東京優駿勝利後ファンの声援にこたえる河内洋とアグネスフライト
  • 2000年(8戦4勝)
東京優駿 (GI)
京都新聞杯 (GIII)
  • 2001年(2戦0勝)
  • 2002年(2戦0勝)
  • 2003年(2戦0勝)

主な産駒

血統表

アグネスフライト血統サンデーサイレンス系/5代までアウトクロス

*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ
Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well 1975
鹿毛 アメリカ
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

アグネスフローラ 1987
鹿毛 北海道三石
*ロイヤルスキー
Royal Ski 1974
栗毛 アメリカ
Raja Baba Bold Ruler
Missy Baba
Coz o'Nijinsky Involvement
Gleam
アグネスレディー 1976
鹿毛 北海道三石
*リマンド
Remand
Alcide
Admonish
イコマエイカン Sallymount
*ヘザーランズ F-No.1-l

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:東京優駿勝ち馬
  1. ダービー馬アグネスフライトが種牡馬引退 netkeibaニュース 2011年7月11日