アレクサンダー・ヴルツ
テンプレート:Infobox アレクサンダー・ヴルツ(Alexander Wurz 、1974年2月15日 - )はオーストリア人のレーシングドライバー。1996年、2009年ル・マン24時間レース優勝。FIA 世界耐久選手権に参戦するトヨタのレギュラードライバーであり、F1ではウィリアムズのドライバー顧問も務める。
日本語表記では姓を「ブルツ」、名を短縮形の「アレックス」と記す場合もある[1]。
F1
1997年第7戦カナダGPで、欠場した同郷のゲルハルト・ベルガーの代わりにベネトンチームより出場。早くも参戦3戦目の第9戦イギリスGPでは、2位に入賞したチームメイトのジャン・アレジに次ぐ3位表彰台を果たした。第10戦からはベルガーが復帰したため、この年は3レースの出走のみだった。
この活躍が認められ、翌1998年よりベネトンチームのレギュラーシートを獲得し、1999年もドライブしたが、2000年にはチームメイトのジャンカルロ・フィジケラともども、走らないマシンに手を焼かされてわずか1戦のみのポイント獲得に留まり、翌シーズンのレギュラーシートを失なった。
このため2000年シーズンオフにマクラーレンのテストドライバーとして契約。以降、何度かジャガーなど他チームのシート獲得寸前までいったこともあったが、実現に至っていない。この頃撮影された写真で左右のドライバーシューズの色が異なっている物が見られるが、スポンサーのD2に配慮してのものではない(後述)。
2005年第4戦サンマリノGPには怪我で欠場したファン・パブロ・モントーヤに代わりおよそ5年ぶりにレースに出場し、B・A・Rの失格による繰上げながら3位入賞を果たした。
長らくテストドライバーを務めていたが、上記のジャガーとの交渉でも分かるように常にレギュラードライバーのチャンスをうかがっていることはよく知られている。2006年についてはマクラーレンのテストドライバーを2005年のDTMチャンピオン、ゲイリー・パフェットに譲ることとなったことから、DTMへの転身などの可能性が囁かれていたが、結局2007年以降のレギュラーシートを目指して、ウィリアムズのテストドライバーに就任することになった。
2007年には念願叶い、ウィリアムズのレギュラードライバーに昇格。ベネトンを放出されて以来7年ぶりにレギュラーシートを獲得した。予選ではスピードに勝るニコ・ロズベルグに大敗するものの、大荒れのレースで確実にポイントを獲得し、カナダGPでは2005年以来の3回目の表彰台(3位)を果たした。その後のヨーロッパGPでも、マーク・ウェバーに惜しくも届かなかったが4位入賞を果たしている。なお、中国GP後にF1からの引退を表明し、最終戦ブラジルGPの出走を中嶋一貴に譲ったが、2008年1月10日にホンダからリザーブ兼テストドライバーとして起用することが発表された。
その年の年末にはホンダのF1撤退が発表され、当初は2009年も引き続き後継チームのブラウンGPにて同職を継続するとされた(ただしシーズン中テスト禁止規則のため、実際はリザーブとアドバイザー職を務めるとしていた)[2]。しかし開幕直前になり、チームはヴルツではなくアンソニー・デビッドソンをリザーブドライバーに起用することを発表したため、今後はアドバイザーとしての職務に専念することになると見られている。なおヴルツ自身は「少なくとも今年一杯、おそらく来年以降もチームに残留する」とコメントしている[3]。
2010年F1の参戦枠3チーム増加に伴うエントリー募集に対し、オーストリアの投資会社スーパーファンドと組んだ「チームスーパーファンド」の代表としてヴルツはエントリー。しかし、選ばれたのはUSF1・カンポス・グランプリ・マノー・グランプリの3チームとなり、チームスーパーファンドは2010年のF1新規参戦の道が閉ざされた。
2012年からウィリアムズのドライバー顧問を勤める。また、ウィリアムズからのF1復帰が報じられたが、本人やチームは否定している。
耐久レース
F1デビュー前の1996年にル・マン24時間レースにヨースト・レーシングからポルシェ・WSC95で参戦し、総合優勝を飾った。また、2009年のル・マン24時間レースでは、プジョー・スポールからプジョー・908 HDi FAPで参戦し、自身2度目の総合優勝を飾った。2012年はトヨタ・レーシングに加入、ハイブリッドカーのトヨタ・TS030 HYBRIDをドライブした。ニコラ・ラピエールと共に第3戦ル・マン24時間レースから6戦に出場、うちサンパウロ、富士、上海で優勝し、ドライバーズチャンピオンシップで3位を獲得した。
人物
- オリビエ・パニスやペドロ・デ・ラ・ロサと同じく開発能力を高く評価され、レギュラードライブの機会がない時期もチームを下支えしてきた存在である。2007年にF1引退を発表した際、フランク・ウィリアムズは「これまでチームが一緒に仕事をしてきた中でも最高のテスト及び開発ドライバーの一人」と語った[4]。
- ベネトンからF1デビューした当時、左右で色の異なる(赤と青)レーシングシューズを履いていることが話題となった。これはカート時代、愛用のレーシングシューズを片方隠されてしまい仕方なく別のシューズを片方だけ履いてレースに臨んだところ、優勝してしまったということにゲンを担いだもので、WECにトヨタから参戦した2012年現在も続けている。しかしマクラーレン所属時にはロン・デニスから禁止を言い渡されていた。
- 四輪のドライバーにしては、二輪のライダーのような派手なカラーリングのヘルメットデザインが特徴的だが、これは四輪にデビューする前には二輪のモトクロスにアマチュアで参加しており、その頃のヘルメットのデザインを使用しているからである。
- 1986年、13歳の時にBMX(自転車モトクロス)の世界チャンピオンを獲得している。
- 父親はERAヨーロッパラリークロス選手権(現在のFIA ヨーロッパ選手権 ラリークロスドライバーズ)で活躍していたフランツ・ヴルツ。
レース戦績
ITC
年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | ヨースト・レーシング・オペル | オペル・カリブラ | HOC1 Ret |
HOC2 Ret |
NUR1 12 |
NUR2 Ret |
EST1 10 |
EST2 8 |
HEL1 Ret |
HEL2 9 |
NOR1 12 |
NOR2 8 |
DIE1 9 |
DIE2 8 |
SIL1 7 |
SIL2 4 |
NUR1 Ret |
NUR2 DNS |
MAG1 10 |
MAG2 6 |
MUG1 6 |
MUG2 9 |
HOC1 Ret |
HOC2 DNS |
SAO1 |
SAO2 |
SUZ1 |
SUZ2 |
16位 | 43 |
FIA GT
年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | AMGメルセデス | メルセデス・ベンツ・CLK-GTR | GT1 | HOC Ret |
SIL 2 |
HEL 8 |
NÜR |
SPA 2 |
A1R 4 |
SUZ 7 |
DON 1 |
MUG Ret |
SEB 7 |
LAG 7 |
10位 | 25 |
F1
年 | 所属チーム | 獲得ポイント | ランキング | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | *予選最高位・回数 |
---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | ベネトン | 4 | 14位 | 3位・1回 | 1回 | 8位・1回 |
1998年 | 17 | 8位 | 4位・5回 | 0回 | 5位・3回 | |
1999年 | 3 | 13位 | 5位・1回 | 0回 | 7位・2回 | |
2000年 | 2 | 15位 | 5位・1回 | 0回 | 5位・1回 | |
2005年 | マクラーレン | 6 | 17位 | 3位・1回 | 1回 | 7位・1回 |
2007年 | ウィリアムズ | 13 | 11位 | 3位・1回 | 1回 | 11位・2回 |
*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリット
年 | チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | ランキング | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | ベネトン | B197 | AUS | BRA | ARG | SMR | MON | ESP | CAN Ret |
FRA Ret |
GBR 3 |
GER | HUN | BEL | ITA | AUT | LUX | JPN | EUR | 14位 | 4 | ||
1998 | B198 | AUS 7 |
BRA 4 |
ARG 4 |
SMR Ret |
ESP 4 |
MON Ret |
CAN 4 |
FRA 5 |
GBR 4 |
AUT 9 |
GER 11 |
HUN 16† |
BEL Ret |
ITA Ret |
LUX 7 |
JPN 9 |
8位 | 17 | ||||
1999 | B199 | AUS Ret |
BRA 7 |
SMR Ret |
MON 6 |
ESP 10 |
CAN Ret |
FRA Ret |
GBR 10 |
AUT 5 |
GER 7 |
HUN 7 |
BEL 14 |
ITA Ret |
EUR Ret |
MAL 8 |
JPN 10 |
13位 | 3 | ||||
2000 | B200 | AUS 7 |
BRA Ret |
SMR 9 |
GBR 9 |
ESP 10 |
EUR 12† |
MON Ret |
CAN 9 |
FRA Ret |
AUT 10 |
GER Ret |
HUN 11 |
BEL 13 |
ITA 5 |
USA 10 |
JPN Ret |
MAL 7 |
15位 | 2 | |||
2005 | マクラーレン | MP4-20 | AUS | MAL | BHR TD |
SMR 3 |
ESP | MON TD |
EUR TD |
CAN | USA | FRA | GBR | GER TD |
HUN TD |
TUR | ITA | BEL TD |
BRA TD |
JPN | CHN | 17位 | 6 |
2006 | ウィリアムズ | FW28 | BHR TD |
MAL TD |
AUS TD |
SMR TD |
EUR TD |
ESP TD |
MON TD |
GBR TD |
CAN TD |
USA TD |
FRA TD |
GER TD |
HUN TD |
TUR TD |
ITA TD |
CHN TD |
JPN TD |
BRA TD |
– | – | |
2007 | FW29 | AUS Ret |
MAL 9 |
BHR 11 |
ESP Ret |
MON 7 |
CAN 3 |
USA 10 |
FRA 14 |
GBR 13 |
EUR 4 |
HUN 14 |
TUR 11 |
ITA 13 |
BEL Ret |
JPN Ret |
CHN 12 |
BRA | 11位 | 13 |
LMS
年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | プジョー・スポール トタル | プジョー・908 HDi FAP | LMP1 | CAT |
SPA 12 |
ALG |
NÜR |
SIL |
NC | 0 |
2010 | プジョー・スポール トタル | プジョー・908 HDi FAP | LMP1 | CAS |
SPA 4 |
ALG |
HUN |
SIL |
31位 | 11 |
2011 | プジョー・スポール トタル | プジョー・908 | LMP1 | CAS |
SPA 1 |
IMO | SIL | EST |
NC | 0 |
ILMC
年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | プジョー・スポール トタル | プジョー・908 HDi FAP | LMP1 | SIL |
PET 2 |
ZHU |
||||
2011 | プジョー・スポール トタル | プジョー・908 | LMP1 | SEB 8 |
SPA 1 |
LEM 4 |
IMO | SIL | PET 1 |
ZHU |
WEC
年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | トヨタ・レーシング | トヨタ・TS030 HYBRID | LMP1 | SEB |
SPA |
LMN Ret |
SIL 2 |
SAO 1 |
BHR Ret |
FUJ 1 |
SHA 1 |
3位 | 96 |
2013 | トヨタ・レーシング | トヨタ・TS030 HYBRID | LMP1 | SIL 4 |
SPA Ret |
LMN 4 |
SAO |
COA |
FUJ 1 |
SHA 2 |
BHR Ret |
4位 | 69.5 |
2014 | トヨタ・レーシング | トヨタ・TS040 HYBRID | LMP1-H | SIL 2 |
SPA 3 |
LMN Ret |
COA |
FSW |
SHA |
BHR |
SÃO |
6位 | 35 |
脚注
関連項目
外部リンク
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
ヤニック・ダルマス
J.J.レート
関谷正徳
|style="width:40%; text-align:center"|ル・マン24時間優勝者
1996 with:
マニュエル・ロイター
デイビー・ジョーンズ (レーサー)
|style="width:30%"|次代:
ミケーレ・アルボレート
ステファン・ヨハンソン
トム・クリステンセン
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
アラン・マクニッシュ
リナルド・カペッロ
トム・クリステンセン
|style="width:40%; text-align:center"|ル・マン24時間優勝者
2009 with:
マルク・ジェネ
デビッド・ブラバム
|style="width:30%"|次代:
マイク・ロッケンフェラー
ロマン・デュマ
ティモ・ベルンハルト
- 転送 Template:End
テンプレート:ベネトン・フォーミュラ テンプレート:マクラーレン テンプレート:ウィリアムズ テンプレート:ホンダF1 テンプレート:ブラウンGP
- ↑ アレックス・ブルツ - 本田技研工業(2012年11月20日閲覧)。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ Wurz surprised to miss Brawn reserve role - OneStopStrategy.com(2009年3月27日)
- ↑ A.ブルツがF1引退を発表、最終戦も出走せず - carview(2007年10月9日)2012年11月20日閲覧。