エディ・ギャラード
テンプレート:Infobox baseball player エディ・ギャラード(Julian Edward "Eddie" Gaillard , 1970年8月13日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身の元プロ野球選手(投手)。
目次
来歴・人物
プロ入り前
フロリダサザン大学からテンプレート:ByのMLBドラフト13巡目でデトロイト・タイガースに入団。
タイガース時代
デビルレイズ・レッズ時代
テンプレート:Byにタンパベイ・デビルレイズに、テンプレート:Byオフにシンシナティ・レッズに移籍。
中日時代
テンプレート:Byのシーズンはじめに、中日ドラゴンズに入団。当初はゲイラードと表記されたが、登録名は本来の発音に近いギャラードとした。前年に引退した宣銅烈の後を継ぐ抑え投手として、150km/hを超える速球を武器に安定した投球を見せ、オールスターゲームにも出場した。
同年は、35セーブを挙げて、史上初めて1年目の外国人投手として最優秀救援投手のタイトルを獲得した。しかし、9月24日の読売ジャイアンツ戦では、マジックが1と迫っていた巨人に4点差から江藤智の満塁本塁打を浴び、続く二岡智宏にはサヨナラ優勝決定本塁打を打たれて敗戦投手となった。
テンプレート:Byにもオールスターゲーム出場を果たし、テンプレート:Byには34セーブを挙げ、自身2度目の最優秀救援投手のタイトルを獲得。
テンプレート:By4月には148試合目で通算100セーブを挙げる最速記録を樹立した。しかし、6月に阪神甲子園球場での練習中に打球を素手で取ろうとして右手を負傷し、二軍に降格してしまう。負傷から復帰した際、当時の監督である山田久志に「二軍戦で調整登板させる」と告げられた際に「今すぐに一軍で投げられる」と断固拒否、さらに一軍復帰後に「中継ぎで様子を見たい」と言い渡された時も「抑え以外は絶対にやらない」と言い切った。その後、大塚晶則が活躍して抑えに転向した事で首脳陣との対立が決定的なものになり、7月28日にウェーバー公示で横浜ベイスターズへ移籍した。当時のトレード期限である6月30日を過ぎて移籍した珍しい選手である。
横浜時代
横浜でも抑えで活躍。移籍直後の8月10日には中日戦でセーブをマークし、史上初の1シーズン2球団セーブを記録した。しかしテンプレート:Byに佐々木主浩が復帰したことで起用法が一定せず、また右肘を痛め、あまり活躍できなかった。6月に手術のため帰国、そのまま退団。中日では岩瀬仁紀、郭源治に続いて球団3位の通算112セーブの記録(2009年現在)、通算セーブ数120は、マーク・クルーンに更新されるまで外国人投手として日本球界最高記録であった。
ロッキーズ・マーリンズ時代
テンプレート:Byはコロラド・ロッキーズでマイナー、翌テンプレート:Byにはフロリダ・マーリンズとそれぞれマイナー契約を結んだものの再びメジャーで登板することは無かった。
引退後
2006年限りで現役を引退した。
プレースタイル・人物
150km/hを超すストレートとスライダー・チェンジアップを投げる。
2000年のオールスターゲームでは、中日の外国人選手ではレオ・ゴメスとメルビン・バンチも出場していたが、ギャラードが最初の打者をストレートの四球で歩かせ、次打者にもまったくストライクが入らないのを見かね、残りの2人がタイムを取ってそろってマウンドへ行きギャラードに話しかけるという場面が見られた。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | DET | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | -- | 1.000 | 88 | 20.1 | 16 | 2 | 10 | 2 | 0 | 12 | 0 | 0 | 12 | 12 | 5.31 | 1.28 |
テンプレート:By2 | TB | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 30 | 7.2 | 4 | 3 | 3 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 5 | 5 | 5.87 | 0.91 |
テンプレート:By2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 43 | 8.2 | 12 | 1 | 4 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | 9 | 2 | 2.08 | 1.85 | |
テンプレート:By2 | 中日 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 35 | -- | .333 | 189 | 47.0 | 37 | 5 | 13 | 3 | 1 | 52 | 1 | 0 | 14 | 14 | 2.68 | 1.06 |
テンプレート:By2 | 47 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 29 | -- | .000 | 181 | 46.2 | 34 | 2 | 11 | 1 | 0 | 24 | 1 | 0 | 11 | 11 | 2.12 | 0.96 | |
テンプレート:By2 | 47 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 34 | -- | .500 | 191 | 47.1 | 40 | 3 | 12 | 5 | 3 | 27 | 1 | 0 | 9 | 8 | 1.52 | 1.08 | |
テンプレート:By2 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 14 | -- | .500 | 97 | 23.0 | 23 | 4 | 7 | 3 | 1 | 21 | 0 | 0 | 14 | 13 | 5.09 | 1.30 | |
横浜 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 | -- | .000 | 43 | 12.1 | 6 | 2 | 2 | 0 | 0 | 12 | 0 | 0 | 3 | 3 | 2.19 | 0.65 | |
'03計 | 36 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 22 | -- | .400 | 140 | 35.1 | 29 | 6 | 9 | 3 | 1 | 33 | 0 | 0 | 17 | 16 | 4.08 | 1.08 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
テンプレート:By2 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 60 | 13.0 | 15 | 3 | 5 | 1 | 2 | 5 | 0 | 0 | 12 | 12 | 8.31 | 1.54 | |
MLB:3年 | 30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1.000 | 161 | 36.2 | 32 | 6 | 17 | 2 | 1 | 24 | 0 | 0 | 26 | 19 | 4.66 | 1.34 | |
NPB:5年 | 194 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 9 | 120 | -- | .400 | 761 | 189.1 | 155 | 19 | 50 | 13 | 7 | 141 | 3 | 0 | 63 | 61 | 2.90 | 1.08 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- NPB
- 最優秀救援投手:2回 (2000年、2002年)
表彰
- NPB
- ファイアマン賞:2回 (2000年、2002年)
記録
- NPB
- 初登板:2000年4月14日、対阪神タイガース1回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に田中秀太から
- 初セーブ:2000年4月25日、対ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場)、9回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初勝利:2000年5月17日、対横浜ベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、11回裏1死に3番手で救援登板、1回2/3を無失点
- 通算100セーブ:2003年4月5日、対横浜ベイスターズ3回戦(ナゴヤドーム)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回1失点 ※史上13人目
- オールスターゲーム出場:2回 (2000年、2001年)
背番号
- 54 (1997年)
- 28 (1998年 - 1999年)
- 52 (2000年)
- 18 (2001年 - 2003年途中)
- 32 (2003年途中 - 同年終了)
- 19 (2004年)
関連項目
外部リンク
- 【8月10日】2003年“キレる”守護神ギャラード 初の1シーズン2球団セーブ スポニチ 日めくりプロ野球09年8月