お笑いブーム
お笑いブーム(おわらいブーム)とは、日本において多数の若手お笑い芸人がテレビなどのメディアに多く露出し、ブームになる現象である。これまでに何度かお笑いブームと言われる時期があった。
よく「第○次お笑いブーム」という言い方がなされるが、そのはっきりとした定義は人によって様々である。また、ブレイク時期によって「お笑い第○世代」と芸人を呼び分けることもある。例えばとんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンなどを「お笑い第三世代」と呼ぶことがある。ただしこの呼称が使われるのは第3世代と第4世代ぐらいである。
お笑いブームの後に、恋愛をテーマにしたバラエティが増えるという法則がある[1]。詳しくは恋愛バラエティ番組を参照。
ブームの歴史
- お笑い第一世代- 1960年代の演芸ブーム。民放テレビの拡大に伴う。浅草芸人や落語家たちがテレビに抜擢されてスターになっていった
- お笑い第二世代- 1980年代初期の漫才ブーム(ザ・ぼんち・ツービート・B&B・紳助・竜介などが人気だった)
- 1980年代中期のお笑いBIG3(タモリ・ビートたけし・明石家さんま)や萩本欽一の時代
- お笑い第三世代- 1980年代後期-1990年代中期のとんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンらの台頭した時代 - これ以降の世代の芸人は旧来の師弟関係に組み込まれないで世に出るようになった。いわゆる一流の舞台での実演経験が極めて少ない。当初よりテレビでの成功を最終目標にしているなどの共通点がある。
- お笑い第四世代- 1990年代後期のテレビ番組『タモリのボキャブラ天国』『めちゃ²イケてるッ!』『進め!電波少年』など、作りこまれた番組構成から大人数の芸人が輩出された時代。ゴールデンエイジともいう。
- お笑い第五世代- 2000年代初頭から現在。詳しくは後述。
ブーム発生の要因
2000年代以降のお笑いブーム(第五世代)が起こった理由としては、芸人大量供給・大量消費の体制が受け入れられたことが挙げられる。吉本興業のNSC[2]、人力舎のJCAをはじめとするお笑い芸人を養成する学校が次々とできた。
劇場の存在も大きい。東京吉本の渋谷公園通り劇場が1998年・銀座7丁目劇場が1999年に閉館してから、ルミネtheよしもとが2001年にオープンするまでの間は多くの若手芸人が活躍の場を失った。また大阪でも1999年に心斎橋筋2丁目劇場が閉館し、同年にbaseよしもとがオープンしており、第五世代の隆盛と時期が符合する。
『爆笑オンエアバトル』(NHK)、『エンタの神様』(日本テレビ)、『M-1グランプリ』(朝日放送)などをはじめとする「ネタ見せ」番組が増えた。第四世代はロケーションや構成中心であったのと対照的である。
もちろん、前回のブームから世代のサイクルが一回りし、若者にとって身近に感じやすい同世代の芸人がまとまって取り上げられることもある。
2010年代に入るとネタ番組が次々に終了し、毎週レギュラー番組がほぼ全滅した(唯一残っていたと言っていいNHK『オンバト+』も2014年3月に終了が決まっている)。一方『アメトーーク!』(テレビ朝日)を筆頭とするトーク力を試される番組が目立つようになり、芸人の淘汰が起きている。
雛壇芸人・ガヤ芸人などと呼ばれる主に中堅の芸人が多くの注目を集めるようになり、2000年代のブームからは明らかに変質している。またネタ番組ブームの終了と前後してブレークしたオードリー・NON STYLE・ピースらは第五世代に属しており、第四世代の有吉弘行やTKOといった面々もブレークした。
脚注・出典
- ↑ 「テレビお笑いふ!vol.1」
- ↑ 大阪NSCは1982年から存在するが、東京NSCは1995年に開校した。