ソマリランド
- ソマリランド共和国
- Jamhuuriyadda Soomaaliland(ソマリ語)
جمهورية صومالي لاند(アラビア語)
Republic of Somaliland (英語) -
ソマリランドの国旗 ソマリランドの国章 (国旗) (国章) - 国の標語:لا إله إلا الله محمد رسول الله
(アラビア語: アッラーフの他に神はなし。ムハンマドはアッラーフの使徒である。)- 国歌:Samo ku waar
- ソマリランドの位置
公用語 ソマリ語、アラビア語、英語[1] 首都 ハルゲイサ 最大の都市 ハルゲイサ 通貨 ソマリランド・シリング(SLSH)国際非公式 時間帯 UTC +3(DST:無し) ISO 3166-1 不明 ccTLD 無し 国際電話番号 252 </dd> </dl>
ソマリランド共和国(ソマリランドきょうわこく)、通称ソマリランドは、アフリカ大陸東端のソマリア半島(アフリカの角)に位置する共和制国家。旧イギリス領ソマリランドを領土とする。事実上は独立国家として機能しているが、現在のところ国際的にはソマリアの一部であると見なされており、国家として承認されていない。
ソマリアからの独立宣言の一件目に当たり、他のソマリアからの独立事例とは違ってソマリアから完全な独立を目指している。
目次
国名
正式国名はソマリ語で Jamhuuriyadda Soomaaliland 、通称は Soomaaliland。
公式の英語表記は Republic of Somaliland、通称は Somaliland。
日本語の表記はソマリランド共和国、通称ソマリランド。
歴史
植民地時代
ソマリランドは元来「ソマリ人の地」という意味で、ソマリ人が居住するアフリカ大陸東端地域をそう呼んでいた。この地域は19世紀末~20世紀初頭のアフリカ分割により英仏伊とエチオピア帝国に分割された。
現在のソマリランドの国土は、1887年にイギリスの保護領となり、1905年に植民地化されイギリス領ソマリランドとなった。 テンプレート:Clearleft
ソマリア共和国
イギリス領ソマリランドは1960年6月26日にソマリランド国(英語: State of Somaliland)として独立する。ただしこれは同年7月1日に予定されたイタリア信託統治領ソマリアの独立を見越して同地域との統合を目的とした措置で、この独立はわずか5日間だけの限定的なものである。そして予定通り7月1日に両地域は統合され、「ソマリア共和国」が発足した。ところがモガディシオの中央政府は南部出身者が主導権を掌握し、南部優遇の経済政策などを推し進めた結果、北部地域ではソマリア中央政府および南部地域への反感が強くなり、ソマリアからの分離独立を求める声も高まっていった。
分離再独立
1991年1月にモハメド・シアド・バーレ独裁政権が崩壊した後、それまでの南部優遇政策と混迷を極めるソマリア情勢に失望したイサック主体のソマリ国民運動(SNM)は、1991年5月に北部の旧イギリス領ソマリランド地域の分離・再独立を宣言し、新生ソマリランド共和国を発足させた。見方を変えると、一度消滅したソマリランド国が31年ぶりに復活したことになり、ソマリランド政府も「独立を回復した」という立場をとっている。
初代大統領にはSNM議長のアブドゥラフマン・アリ・トゥールが就任し、その後1993年5月の選挙で第2代大統領にイブラヒム・エガルが選出された。この国の情勢はほとんど伝えられることがないが、エガルは2002年に在任中に死去、副大統領だったダヒル・リヤレ・カヒンが大統領に昇格。翌年の大統領選挙で当選した。
2005年10月に下院の議会選挙が行われ、3党が82議席を争った。その結果、カヒン政権の与党統一人民民主党が33議席を獲得し第1党、次いで平和統一開発党(クルミエ)テンプレート:Enlinkが28議席、正義開発党テンプレート:Enlinkが21議席を獲得した。
2009年に大統領選挙を実施する予定だったが、選挙人名簿の不備を理由に政府は延期を重ね、8月に選挙人名簿無しのまま選挙戦が始まった。これに対し、野党が反発。野党が優勢な下院は大統領選を再考する決議を採択した。
2009年8月29日、野党が優勢なソマリランド下院を、大統領の命を受けたソマリランド軍が制圧。議員は議場に入れない状態となった。英国・アフリカ連合・エチオピアが仲裁に乗り出した。
2010年6月26日に大統領選挙が行われ、現地の選挙管理委員会は最大野党平和統一開発党のアフメド・モハンマド・シランヨ党首の当選を発表した[2]。任期は5年。
国際関係
ソマリランド側はソマリアの暫定政権に対して激しく反発しており、ソマリアとの再統合はもはや不可能な状況になっている。現地住民の中でもソマリランドとソマリアは全く別の国であるという認識が強いようで、ソマリアと比べて治安も格段に安定しているソマリランドに誇りを持っている住民が多いというテンプレート:要出典。
隣国のエチオピアとは連絡事務所を置くなど比較的緊密な関係を保持し、政治的には安定している[3]。しかし、エチオピアやアフリカ連合は国家承認はしていない。
その一方で、同じくソマリアからの分離を宣言したプントランドとは国境紛争を抱えており、関係は良くないといわれている。プントランドはソマリランドと違い、ソマリア連邦政府への参加(要はソマリアに合流する)を表明しており、方針上対立している。また、ソマリランド東部(プントランドでは北西部)はプントランド・ソマリランド紛争も起きており、そこで独立宣言をする地域が出るなど政情が安定しない結果となっている。現在ソマリランドは旧英領ソマリランドの西半部を支配しているが、北東のマーヒル地域はソマリアへの帰属を2007年7月に主張、南東のスール州は2003年からプントランドが支配、西端のアウダル地区には分離の動きがある。2007年10月にソマリランド軍がスール州都を武力攻撃し、占拠した。2008年にソマリランド軍が東部の町サナーグを攻撃し、マーヒルとプントランドの民兵を駆逐した。
政治
議会は二院制。上院は82人の長老から成る。元々は「国民和解のための大会議(ボロマ会議、ボラマ会議)」と呼ばれ、民兵の武装解除に尽力したため "Peace maker" といわれている。
ソマリランドの憲法第9条第2項により政党は3つまでしか存在を認められておらず、前述の3党以外に政党は存在しない。
治安はアフリカ諸国の中では安定している方ではあるが、2003年には国境なき医師団の医師が殺害される事件が発生している他、2005年には民間人と警察との間で銃撃戦が行われたり、アル・カーイダ戦闘員が逮捕されるなど、決して良好とは言えない[4]。
政治的には安定していて、なおかつソマリアとは全く別の国家として機能しているにもかかわらず独立国家と承認されないのは、ほとんどのアフリカ諸国が抱えている自国内の民族独立運動への先例を与えかねない恐れがあるからである。同様のケースにエチオピアから独立したエリトリアやスーダンから独立した南スーダンのケースがあるが、エリトリアの場合、エチオピアのメンギスツ政権を打倒した反乱側にエリトリアの与党・民主正義人民戦線の前身であるエリトリア人民解放戦線が大きく関わっていたため、エチオピア政変後は新政府によって国家承認されている。
地方行政区分
地理
ソマリランドはアフリカの角と言われるソマリアの北西部にある。西にジブチ、南にエチオピア、東にプントランドと接する。北のアデン湾に沿って740kmの海岸線を有する。気候は乾燥と湿潤が混ざっている。良港を持つベルベラは世界でも最も暑いところで47.7度Cを記録した。北東の町エリガボでは最低気温マイナス3.3度になった。
北東部は山岳地域で標高900~2100m、西のアウダル地区は肥沃な平地で海には島・サンゴ礁・マングローブがあり、中央部トグディール地区は半砂漠で多少の緑地がある。エリガボの北10kmにはアデン湾を見下ろす断崖があり、ネズの林が続く。断崖の高さは2000mで、エリガボから海へ下る道がある。この近くに国の最高地点(2416m)がある。
緑に恵まれたサバンナ地帯では動物が繁殖し、ソマリランド固有種もいる。特徴的な動物としてはクーズーをはじめとする各種のレイヨウ、野豚、ソマリノロバ(アフリカノロバの亜種)、イボイノシシ、ヒツジ(ソマリ羊と呼ばれる)、ヤギ、ラクダ、ライオン、チーターなどが見られ、またブラオにはカラカルの世界最大の生息地があることが知られている。その他、鳥類や魚類にも多くの種類が見られる。
経済
ソマリアと比べ政治の安定性はあり、経済も機能しているが、国際的には最貧国の1つとされる。通貨ソマリランド・シリングはソマリアの通貨ソマリア・シリングより価値が高い。主要産業は畜産業など第1次産業がほとんどだが、良港ベルベラを抱えることもあり、海上交通の要衝としても注目される。また、このベルベラ港はエチオピアの輸出・輸入港としても機能している。
天然資源としては石油・天然ガス・鉛・石灰・金などの埋蔵が確認されているが、本格的な採掘はされていない。 さらに、独立が承認されていないことからアフリカ連合などの国際機関からの資金援助を受けることができない状態である。
テンプレート:仮リンクの2010年のレポートによると、ソマリランドでは現金があまり信用されておらず、キャッシュカードやATMが普及していないためキャッシュレス化が進んでおり、モバイルバンキングが盛んであるという。ソマリランド国内ではモバイルバンキングキャリアが競争を繰り広げており、広く利用されている。また、世界各地のソマリランド離散民は、テンプレート:仮リンクのような海外送金業者を使用して祖国に米ドルを送金しており、ソマリランドの人々は世界各地の代理店および支店を通じて入金されてから5分以内に米ドルを引き出すことができる[5]。
現地を走る車の99%は日本車であるという[6]。またダーロ航空がジブチ・ドバイ・ジェッダ・アディスアベバに就航し、外国との数少ない交通機関となっている。 テンプレート:Clearleft
国民
民族
住民はソマリ人だが、ソマリ人は6つの氏族に分かれる。ソマリランドの主要氏族はイサック族で、ソマリアの主要氏族ハウィエ族とは異なる。なおイッサ族はジブチやエチオピアにも居住しており、イサック族と名前は似ているが無関係で、氏族で言えばテンプレート:仮リンクである。
言語
大多数の国民は2つの公用語である、ソマリ語かアラビア語を話す。アラビア語教育は学校で義務的に行われ、国中のモスクでも使用される。また、英語も学校で話され、教育されている。
ソマリ語は、クシ語派の、エチオピア、ソマリア、ジブチ、ケニアなどで話されている低地東部クシ語群に属している。最も広く使われているソマリアの方言は共通ソマリ語である。言語の才覚は、ソマリ社会で非常に重要とされている。求婚者、戦士、聖職者、政治家などの能力は、その雄弁さによって大きく左右される。
イギリス領ソマリランドの時代には、英語は学校や政府で支配的だった。政府や民間企業の重要なポストが、ほんの一部の英語使用層によって占められることになり、外国語の支配に基づいて社会・経済の発展を図ることは、大きな問題となった。
1972年にソマリア政府がラテン文字表記によるソマリ語の公的な使用を必須とし、言語による障害は大きく改善することになった。
宗教
ほぼ全ての国民がイスラム教スンナ派であり、イスラム教は国教となっている。イスラム教以前のアニミズムの痕跡はソマリランドに認められるが、イスラム教はソマリランド社会の中心的な規範となっている。
イギリス統治時代には、カトリックによる布教が行われた。
脚注
- ↑ Somaliland Republic : Country Profile
- ↑ 「大統領」に野党党首 独立宣言のソマリランド外務省 海外安全ホームページ
- ↑ Section II: Somaliland. International Council on Security and Development、2010-9-24閲覧。
- ↑ 外務省 海外安全ホームページ
- ↑ ちっぽけなソマリランドは、世界初のキャッシュレス社会になれるか? - TechCrunch
- ↑ NHK「アフリカ」プロジェクト『アフリカ21世紀――内戦・越境・隔離の果てに』日本放送出版協会、2002年、81ページ。ISBN 4-14-080693-1
参考文献
- 松本仁一 『カラシニコフ I』朝日文庫 ISBN 4022615745
関連項目
- ソマリア
- ソマリア内戦
- ソマリランド関係記事の一覧
- ソマリランドの大学一覧
- ソマリランドの大統領一覧
- ソマリランドの政党一覧
- ソマリランドの在外公館の一覧
- エリトリア
- コソボ
- コソボ地位問題
- サハラ・アラブ民主共和国
- プントランド
- 南西ソマリア
- 大ソマリア主義
- 事実上独立した地域一覧
- 独立主張のある地域一覧
外部リンク
- ソマリランド共和国政府 テンプレート:En icon
- ソマリランド共和国(非公認の国々) - 概要解説
- ソマリランド共和国憲法Somalilandlaw.com. (英語)
- 遠藤貢『崩壊国家と国際社会:ソマリアと「ソマリランド」』(PDFファイル) - ソマリランド共和国が「建国」された経緯について紹介したレポート
- 国の標語:لا إله إلا الله محمد رسول الله