揖保乃糸

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揖保乃糸(いぼのいと)は、兵庫県手延素麺協同組合が有する手延素麺商標。主に揖保川中流域のたつの市揖保郡太子町宍粟市姫路市林田、安富地区で生産される。奈良県三輪素麺と共に、日本を代表する素麺である。

たつの市は醤油の世界三大生産地の1つとされる。主に淡口醤油の生産。その淡口醤油と共に揖保乃糸も兵庫県の名産品として知られている。播磨地方(播州)を訪れた観光客が「揖保乃糸」の広告として想起するのは、新幹線姫路駅南西のじばさんびる屋上に聳えるネオンサインである。揖保乃糸は播州の土産品の一つとして買われている。

特徴

  • 素麺には手延素麺と機械素麺があるが、「揖保乃糸」は手延素麺である。手延素麺と機械素麺の相違は「素麺」を参照。
  • 検査指導員が組合員の製造した製品を検査した上で等級を決めて組合責任で管理し、これをオンシーズンに出荷、全国の流通網を通じて消費者の手許へ配送する販売システムを採用している。
  • 揖保の糸の商品ランクは、赤帯(上級品)・紫帯(縒つむぎ)・黒帯(特級品)等に分けられる。
  • 組合では素麺の他に「手延冷麦」、「手延うどん」「中華麺」も販売している。
  • 素麺の製造期間は組合で厳格に決められており、おおむね10月から翌年5月の間である。
  • 近年ではコンビニエンスストア向け商品も販売されている。

歴史

  • 斑鳩寺(揖保郡太子町)の寺院日記『鵤庄引付』中、1418年応永25年)9月15日の条に「サウメン」の記述がある。素麺に関する記述として、播磨国では最古のものである。
  • 1865年慶応元年)、当時の龍野藩林田藩新宮藩の素麺屋仲間の内で「素麺屋仲間取締方申合文書」が交わされ、品質等について取り決めた。
  • 廃藩置県によりそれまでのの保護を失った製麺業者の組織として、1872年明治5年)に明神講が、1874年(明治7年)には開益社が設立された。開益社設立時点の文書に残る製造業者は127名。
  • 1887年(明治20年)に播磨国揖東西両郡素麺営業組合の設立を申請、同年9月9日認可された。初年度組合員は309名、生産量は約116,000箱だった。この2年後に飾西郡素麺営業組合、4年後には飾東郡素麺営業組合がそれぞれ設立された。
  • 1898年(明治31年)には機械素麺の製造を開始。組合員33名により16,000箱が製造された。翌年には龍野市神岡町に、三輪素麺の産地の大神神社から勧請を受けて素麺神社(大神神社)が建立されている。
  • 1906年(明治39年)頃から北海道朝鮮等の遠隔地へ販路の拡大を図りはじめた。またこの年、特許局へ「三神乃糸」「揖保乃糸」等の商標登録を行っている。
  • 1922年大正11年)に揖保郡素麺同業組合を播州素麺同業組合に改組。対外的には1924年(大正13年)に全国製麺同業組合連合会を結成し、事務局を龍野に置いた。
  • その後生産量は順調に伸び、1931年昭和6年)には手延素麺の生産高が998,499箱と、戦前では頂点に達した。だがやがて戦雲が広がり、1939年(昭和16年)には政府により生産統制をかけられた。また1945年(昭和20年)7月3日姫路大空襲では組合事務所を焼失、組合本部を龍野へ戻した。終戦を迎えた同年の生産は120,000箱だった。翌年は戦後の混乱の中で原料となる小麦が入手できず、生産量は約23,000箱まで落ち込み、産地存続の危機となった。
  • 時代が前後するが、播州素麺同業組合は1935年(昭和10年)に消費市場で手延素麺と機械素麺との混同を防ぐため機械素麺業者を分離し、組合名を播州手延素麺工業組合に改めていた。戦後の復興で需要が伸びる中、1962年(昭和37年)には播州手延素麺工業組合も水車製粉を廃し、大手製粉を取り入れた。この時、組合の名称を兵庫県手延素麺協同組合に改称している。1976年(昭和51年)には、分裂していた3組合を吸収合併し、播州手延素麺の商標を「揖保乃糸」に一本化した。素麺業界への動きとしては、1966年(昭和41年)に日本手延素麺協同組合連合会を結成、事務局を龍野に置いている。
  • 1993年平成5年)、当時の理事長が「手延製麺技能士」の新設を労働省に要望、国家資格としての手延製麺技能士試験が始まった。1997年(平成9年)には「揖保乃糸資料館 そうめんの里」が開設されている[1]

CM

  • 1992年(平成4年)から長期間に渡り、女優で元キャンディーズ田中好子がCMキャラクターを務めていた。2011年4月21日、田中好子の逝去が報道された際には揖保乃糸公式サイトで追悼メッセージが表示されたが、報道翌日以降もCM自体は同年4月26日まで放送が継続され[2]、一部報道番組[3]でも歴代CMについて紹介された。
  • 田中の死後、揖保乃糸のホームページに田中が出演したCMの継続を望む書き込みが殺到。これを受けて、兵庫県手延素麺協同組合事務局が、田中の長年に渡ったCM出演に対する功績を讃え、没後も「田中好子さんには永遠に『揖保乃糸』を見守っていただきたい」と公表したところ、一部メディア[4]が“揖保乃糸CMキャラクターを永久的に務める”として、ホームページ上で過去に出演したCM動画や撮影風景を紹介すると断定的に報道して混乱が生じた。これに対して同組合は、永久キャラクターについて否定しCM動画などの公開についても未定であるとコメントした。その後、同組合は女優の京野ことみをCMキャラクターとして起用することを発表した[5]

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 揖保乃糸 資料館 そうめんの里(公式サイト。所在地: 兵庫県たつの市神岡町奥村56)
  • 2011年4月24日午前8時52分頃・UHB北海道文化放送ほか
  • 2011年4月26日『FNNスーパーニュース』(フジテレビ)・文化芸能部コーナー(一部地域のみ)
  • スーちゃん、「揖保乃糸」永久CMキャラ2011年4月27日付サンケイスポーツ
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