ゆぅトピア和倉
ゆぅトピア和倉(ゆうとぴあわくら)とは、かつて日本国有鉄道(国鉄)のちに分割民営化後は西日本旅客鉄道(JR西日本)が、大阪駅 - 和倉温泉駅間を東海道本線・湖西線・北陸本線・七尾線で経由して運行していた特急列車である。
本項では、七尾線およびのと鉄道で運行されていた優等列車の沿革についても記述する。
目次
概要
1986年12月に、大阪駅 - 和倉温泉駅間を直通する臨時特急「ゆぅトピア和倉」として運転を開始した。国鉄で電車と気動車が連結して営業運転されるのはこの列車が最初にして最後である。車両運用の都合上、金沢駅 - 和倉温泉駅間や大阪駅 - 金沢駅間に特急「ゆぅトピアライナー」も運転された。
七尾線の電化に伴い、電車が直通運転できるようになったことから、1991年9月により廃止され、「スーパー雷鳥」「雷鳥」が和倉温泉駅まで乗入れるようになった。
運行概況
運転開始から廃止されるまで、大阪駅 - 和倉温泉駅間で1往復運転されていた。当時は七尾線が電化されておらず、大阪駅 - 金沢駅間では485系「雷鳥」の後部に連結され、金沢駅 - 和倉温泉駅間では単独で運転されていた。連結する「雷鳥」は年度により異なっていた。
週末のみ運転されていたものの、1988年3月のダイヤ改正からは、臨時列車ながら毎日運転に変更された。
停車駅
大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 金沢駅 - 和倉温泉駅
使用車両・編成
ゆぅトピア和倉 | ||||
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キハ65形気動車のジョイフルトレイン「ゆぅトピア」が専用に使用され、2両編成で運転されていた。
1988年にはおよそ同タイプの「ゴールデンエクスプレスアストル」が登場した。同車両は団体列車での運用が中心であったが、「ゆぅトピア」の検査時などにはピンチヒッターとしてその代走を務めたこともある。 テンプレート:-
七尾線・のと鉄道優等列車概略
のとじ・能登路
1960年に準急列車として金沢駅 - 輪島駅間で運転を開始した列車で、1959年から同区間で運転を開始した快速列車の列車種別を変更したものである。運転開始してから約半月後に能登線(のちののと鉄道能登線)が開業したことにより、運転区間は金沢駅 - 輪島駅・宇出津駅間(穴水駅 - 宇出津駅間は普通列車)に変更されている。1964年に1往復から4往復に増発、同時に列車名も「のとじ」から「能登路」に変更された。
一等車(1969年よりグリーン車)は大阪直通急行「奥能登」に関連する金沢駅 - 輪島駅間1往復のみに連結されているのみで、使用車両もそれ以外ではキハ58系気動車ではなく、キハ55系やキハ20形気動車などが充当されるなどローカル準急列車としては当時としてはやや標準的なものであったとされている。
1966年に運転区間が101km以上の3往復は急行列車化され、1972年からは年々増加する観光客の対策として、金沢駅 - 七尾駅間を中心に増発が行われ、1978年のピーク時には下り9本・上り10本が運転され、1980年からは多客期の1往復に"ロマンスカー"と称されたキハ28形改造車が連結された。この「ロマンスカー」は当時の0系新幹線と同様の転換クロスシートを設置し、運行中観光案内ビデオを車内で放映を行っていた。普通車座席指定席。同時期に「有明」「にちりん」で運行されていたビデオ特急に似たサービスであった。
1991年に七尾線津幡駅 - 和倉温泉駅間の電化によって、「能登路」は7往復から3往復に削減されたのと同時に、七尾線七尾駅 - 輪島駅間と能登線はのと鉄道へ移管されたが、2001年にのと鉄道七尾線の穴水駅 - 輪島駅間が廃止されたことにより1往復に減少、2002年に廃止された。
奥能登 ・おくのと
1963年に大阪と能登半島を結ぶ最初の優等列車として、1963年に大阪駅 → 和倉駅(現在の和倉温泉駅)、輪島駅 → 大阪駅間として運転を開始した。大阪駅 - 金沢駅間は「きたぐに」と併結運転する関係で急行列車として運転されていたが、金沢駅 - 和倉駅・輪島駅間は準急列車であった。
沿線の期待度も大きく好評で、1966年に全区間が急行列車化されたが、1968年に「加賀」とともに列車名が統合されることにより、「ゆのくに」に統合されて廃止された。
1970年10 - 11月には「ふるさと列車おくのと」[2]として能登線 穴水駅 - 珠洲駅間に土曜・休日運転の普通列車として運転を開始した。こちらは「ポスト万国博」の需要喚起策として企画されたもので、一部をお座敷化及び供食設備を設置した客車を蒸気機関車牽引によって運行し、金沢からの観光客利用の便を考慮して上下列車共に穴水駅で「能登路」に接続するダイヤ設定がされていた。
好評を受けて再開された1971年3月からは列車種別が「急行」に格上げされ、4月末からは運転区間が金沢駅までに延長された。その後も土曜・休日・多客期運転として継続されたが、牽引する蒸気機関車の検査の問題により1973年9月末を持って廃止した。
そそぎ
1962年に準急列車として金沢駅 - 輪島駅・宇出津駅間で運転を開始し、穴水駅 - 宇出津駅間は快速列車として運転されていた。1963年に「奥能登」「へぐら」が運転開始されると、運転区間は金沢駅 - 宇出津駅間(穴水駅 - 宇出津駅間は普通列車)に変更され、そのわずか1年後に「能登路」に統合されて、わずか2年で廃止された。
列車名は、能登半島の北部の輪島市にある曽々木海岸が由来となっている。
つくも
1962年に準急列車として金沢駅 - 輪島駅・宇出津駅間で運転を開始。1963年に能登線の宇出津駅 - 松波駅間が開業したことにより、松波駅発着に変更された。「そそぎ」と同じく1964年に「能登路」に統合されて廃止されたが、1966年には「能登路」のうち運転区間が101kmを越えない1往復については準急のまま残されたため、この列車には「そそぎ」として運転されるようになったものの、1968年に再び「能登路」に統合されて廃止された。
列車名は、能登町付近にある九十九湾が由来となっている。
へぐら
1963年から1964年に運転されていた準急列車で、大阪駅 - 和倉駅・輪島駅間で同日に運転を開始した急行「奥能登」の車両を送り込むために、金沢駅 → 輪島駅・宇出津駅間の下りのみ運転された。「奥能登」の間合い運用のため一等車も連結されていた。1964年の準急列車の列車名統合により「奥能登」に統合されて廃止された。
列車名は、能登半島の北方にある舳倉島が由来となっている。
七尾線・のと鉄道優等列車沿革
創始
- 1960年(昭和35年)4月1日:金沢駅 - 輪島駅間で準急「のとじ」が運転開始。
- 同時に金沢駅 - 和倉駅(現在の和倉温泉駅)間で[快速「のとつばめ」が臨時列車として運転開始する、この列車は「のと」の文字を漢字にした「能登つばめ」として戦前より運行されたともされている。
- 1962年(昭和37年)4月1日:金沢駅 - 輪島駅・宇出津駅間で準急「つくも」が、金沢駅 - 輪島駅間で「そそぎ」が運転開始、七尾線の準急は3往復になる。
- 1963年(昭和38年)
- 4月20日:ダイヤ改正により、次のように変更(1963年のダイヤ改正)。
- 大阪駅 - 和倉駅・輪島駅間で急行「奥能登」(おくのと)が運転開始。
- 金沢駅 → 輪島駅間で準急「へぐら」が運転開始。
- 「そそぎ」の運転区間が金沢駅 - 宇出津駅間に変更。
- これ以前はすべての準急列車は金沢駅 - 輪島駅・宇出津駅間で運転された。
- 10月1日:「つくも」の運転区間が、金沢駅 - 松波駅間に延長される。
- 4月20日:ダイヤ改正により、次のように変更(1963年のダイヤ改正)。
「能登路」への統合とその後の展開
- 1964年(昭和39年)10月1日:能登線蛸島駅開業に伴うダイヤ改正(1964年10月1日国鉄ダイヤ改正)により、金沢駅発着の準急「のとじ」「へぐら」「そそぎ」「つくも」が廃止され、「能登路」(のとじ)に統合されて廃止。
- 1966年(昭和41年)3月5日:ダイヤ改正により、次のように変更(1966年のダイヤ改正)。
- 準急制度改変により、「能登路」のうち、準急区間の金沢駅 - 穴水駅間をのぞき急行列車化。
- 「能登路」が1往復増発され、3往復になる。
- 金沢駅 - 穴水駅間の準急が「つくも」になる。
- 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、以下のように変更。
- 1971年(昭和46年)4月26日:「ゆのくに」(上り)3号の運転区間が珠洲駅まで延長。
- 1972年(昭和47年)3月15日:ダイヤ改正により、次のように変更(1972年3月15日国鉄ダイヤ改正)。
- 「能登路」が下り7本・上り9本に増発(このうち下り1本・上り2本は季節列車)。
- 「ゆのくに」(下り)2号の運転区間が大阪駅 → 輪島駅・宇出津駅間に延長される。
- 1975年(昭和50年)3月10日:ダイヤ改正(1975年3月10日国鉄ダイヤ改正)により、「能登路」下り6本・上り8本(このうち下り2本・ 上り1本は季節列車)になる。
- この改正前後から、定期運用はキハ58系の使用となり、キハ55系・キハ20系の使用の、いわゆる"遜色急行"は多客時のみとなる。
- 1978年(昭和53年)10月2日:ダイヤ改正(1978年10月2日国鉄ダイヤ改正)により、従来大阪駅・名古屋駅より直通していた「ゆのくに」「のりくら」が廃止。「能登路」が1往復増発され、下り7本・上り8本になる。「能登路」は、「ゆのくに」「のりくら」の廃止によりグリーン車の連結が終了し、普通車のみになる。
- 1980年(昭和55年)7月12日:「能登路」が多客期の1往復にロマンスカー"と称されたキハ28形改造車が連結される。
- 1982年(昭和57年)11月15日:「能登路」の季節列車が廃止。また、このころまでに"ロマンスカー"の連結が終了
- 1985年(昭和60年)3月14日:「能登路」の上り1本が廃止。
- 1986年(昭和61年)12月27日:大阪駅 - 和倉温泉駅間で臨時特急「ゆぅトピア和倉」が運転開始(週末運転)。
のと鉄道への移管とその後の展開
- 1988年(昭和63年)3月13日:一本列島と呼ばれるダイヤ改正により、以下のように変更。
- 同年3月25日付けで能登線がのと鉄道に移管されるため、「能登路」が能登線への乗り入れ終了。
- 「ゆぅトピア和倉」が毎日運転の臨時列車に変更。
- 3月25日:七尾駅 - 珠洲駅間で急行「のと恋路号」が運転開始(七尾線の七尾駅 - 穴水駅間は快速列車)。
- 1991年(平成3年)9月1日:七尾線津幡駅 - 和倉温泉駅間の電化と、七尾線七尾駅以北ののと鉄道移管に伴い、次のように変更。
- 特急「スーパー雷鳥」3往復が和倉温泉駅まで乗り入れを開始。
- 特急「ゆぅトピア和倉」が廃止。
- 特急「しらさぎ」1往復が和倉温泉駅まで乗り入れを開始。
- 「能登路」は7往復から3往復に削減され、運転区間が金沢駅 - 珠洲駅・輪島駅間(穴水駅で分割併合)1往復、金沢駅 - 輪島駅間1往復、金沢駅 - 和倉温泉駅間1往復とし、1988年3月13日以来中止していた「能登路」の能登線への乗り入れが再開。
- 「のと恋路号」の運転区間が、和倉温泉駅 - 珠洲駅間に延長される。
- 1992年(平成4年)3月14日:ダイヤ改正により、次のように変更。
- 「かがやき」の1往復が和倉温泉駅に乗り入れ開始。
- 「雷鳥」の上り1本が和倉温泉駅始発になる。
- 「能登路」の金沢駅 - 和倉温泉駅間の上り1本が廃止。
- 1995年(平成7年)4月20日:「スーパー雷鳥」に681系電車が導入される。同車を用いた列車は「スーパー雷鳥(サンダーバード)」に名称を変更。和倉温泉駅乗り入れの従来の「スーパー雷鳥」3往復は「スーパー雷鳥(サンダーバード)」に変更。
- 1997年(平成9年)3月22日:ダイヤ改正により、次のように変更。
- 1998年(平成10年)
- 10月1日:「能登路」の上り1本が廃止。
- 12月8日:金沢駅 - 珠洲駅・輪島駅間の「能登路」1往復は穴水駅での増解結が廃止され、金沢駅 - 珠洲駅間の単独運転になる。これにより、「能登路」は金沢駅 - 珠洲駅間1往復、金沢駅 - 輪島駅間1往復、金沢駅 - 和倉温泉駅間下り1本になる。
- 2001年(平成13年)3月3日:「能登路」が金沢駅 - 珠洲駅間の1往復になる。また、「サンダーバード」の和倉温泉駅への直通が増発され、下り5本・上り4本になる。
- 2002年(平成14年)
- 2004年(平成16年)
- 2007年(平成19年)3月18日:禁煙車の拡大により「おはようエクスプレス」が全面禁煙化[7]。
- 2010年(平成22年)3月13日:七尾線の「おはようエクスプレス」が廃止[8]。
脚注
参考文献
- 寺本光照『国鉄・JR列車名大事典』中央書院、2001年。ISBN 4-88732-093-0。
- 今尾恵介・原武史『日本鉄道旅行歴史地図帳-全線・全駅・全優等列車- 6号・北信越』新潮社、2010年。ISBN 978-4-10-790040-1。
外部リンク
- 特急「ゆぅトピア和倉」 - 鉄道コム
- 急行「能登路」 - 鉄道コム
- ↑ 『JR列車名鑑 '91・3改正最新データ』鉄道ジャーナル社 1991年
- ↑ 列車名は雑誌記事により「おくのと」「ふるさと列車おくのと」の両方がある。
- ↑ 平成14年春 ダイヤ改正について I.在来線特急・急行列車(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2001年12月14日
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2004年1月13日
- ↑ 皆様への感謝を込めて「リバイバル能登路」号運転(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2004年6月14日
- ↑ 『JR気動車客車編成表 '05年版』ジェー・アール・アール、2005年。ISBN 4-88283-126-0。
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道金沢支社プレスリリース 2006年12月22日
- ↑ テンプレート:PDFlink - 西日本旅客鉄道金沢支社プレスリリース 2009年12月18日