原井和也
テンプレート:Infobox baseball player 原井 和也(はらい かずや、1968年6月17日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。
経歴
箕島高時代は、1年生の秋から1番遊撃手をつとめ、3年生時は遊撃手と兼任で救援投手も務めていた。その3年時は夏の和歌山県予選決勝の対桐蔭高戦でリリーフに失敗して甲子園出場を逃す。
高校卒業後所属した社会人野球の松下電器では、誰も達成できなかった、都市対抗での一試合3本塁打を記録している。
2003年、千葉ロッテマリーンズに移籍。
2005年10月4日、戦力外通告を受け現役引退した。2006年はGyaOのマリーンズ中継の解説などを担当。その後、ロッテと提携する中国野球リーグ・中国ホープスターズに選手兼任コーチとして竹清剛治とともに派遣される。
2007年、古巣・西武の1軍守備走塁コーチ補佐に就任。しかしその年のチーム低迷の責任を取る形で、この年限りで解任された。翌年以降は西武主催の少年野球教室に講師として参加。
2011年、NOMOベースボールクラブのコーチとして所属していたが同年で退団。北海道で開催された野球教室に理事長の野茂英雄と共に参加するなどしていた。
人物
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 内野ならどこでも守ることができるユーティリティープレーヤー。しかし、非力なバッティングでチャンスでの二ゴロ併殺が多かった。
西武時代、背番号30を背負っていた時に、東尾修監督に「背番号30は3タコ(3打数0安打)を連想するので変えてください」と直訴したところ、「おまえが3打席も立つことはないから安心しろ」と返されたという。とはいえ、原井が東尾の箕島高校の後輩だということもあり、左投手先発時の二塁手として度々スタメンに起用され、97年はそれなりの成績を残した。それ以降は非力なバッティングが目立つようになったが、それでも東尾に起用され続けたため、ファンの中には「原井は東尾に贔屓されている」という印象を持つ者も多かった。事実、東尾の当時のホームページでは、「監督はなぜ原井選手ばかり起用するのですか、えこひいきはやめてください」という意見が「ファンからの代表的な質問」として掲載されるほどだった。それに対して東尾は「どうせ誰を起用しても打てないのだから、せめて守備がいい原井を起用しているだけ」と答えている。
ちなみにライオンズ時代の携帯の着メロはユーロビートやパラパラの曲を愛用。
その反面、ロッテ移籍後は、手薄な内野陣で貴重な守備固め、ときにスタメンとして大事な場面できっちりと仕事を果たした。ロッテでは精神面でもキャプテンシーを発揮、ぬるま湯体質に浸かりきった選手たちに積極的に「西武の強さの秘密」を伝え、内野陣の精神的支柱として大きな存在となった。またプレーでも2004年5月3日のオリックス戦で谷佳知のイレギュラーしたショートゴロを顎で受け止め骨折するが、翌日の練習には参加し背中でも後輩たちを引っ張った。しかし、バレンタイン監督は「顎を骨折した選手を使うわけにもいかない」とコメントし登録抹消されている。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | 西武 | 4 | 8 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .143 | .000 | .143 |
テンプレート:By2 | 93 | 159 | 127 | 27 | 34 | 4 | 4 | 2 | 52 | 10 | 11 | 2 | 10 | 1 | 20 | 0 | 1 | 27 | 4 | .268 | .369 | .409 | .778 | |
テンプレート:By2 | 39 | 34 | 29 | 5 | 6 | 2 | 1 | 0 | 10 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 1 | .207 | .281 | .345 | .626 | |
テンプレート:By2 | 78 | 111 | 92 | 14 | 20 | 3 | 1 | 0 | 25 | 4 | 5 | 4 | 9 | 0 | 9 | 0 | 1 | 12 | 1 | .217 | .294 | .272 | .566 | |
テンプレート:By2 | 21 | 32 | 28 | 2 | 5 | 0 | 1 | 0 | 7 | 1 | 1 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | .179 | .233 | .250 | .483 | |
テンプレート:By2 | 62 | 118 | 102 | 11 | 25 | 4 | 0 | 0 | 29 | 2 | 3 | 0 | 7 | 0 | 9 | 0 | 0 | 19 | 5 | .245 | .306 | .284 | .590 | |
テンプレート:By2 | 25 | 16 | 11 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 2 | .182 | .308 | .182 | .490 | |
テンプレート:By2 | ロッテ | 82 | 54 | 44 | 12 | 11 | 3 | 2 | 0 | 18 | 5 | 2 | 1 | 4 | 1 | 5 | 0 | 0 | 6 | 2 | .250 | .320 | .409 | .729 |
テンプレート:By2 | 8 | 2 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | .500 | 1.000 | 1.500 | |
通算:9年 | 412 | 534 | 441 | 74 | 104 | 17 | 9 | 2 | 145 | 24 | 24 | 8 | 38 | 2 | 51 | 0 | 2 | 76 | 16 | .236 | .317 | .329 | .646 |
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記録
- 初出場・初先発出場:1996年9月6日、対近鉄バファローズ20回戦(藤井寺球場)、9番・二塁手として先発出場
- 初盗塁:1997年4月13日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(千葉マリンスタジアム)、1回表に二盗(投手:シェーン・デニス、捕手:吉鶴憲治)
- 初安打:同上、3回表にシェーン・デニスから二塁打
- 初打点:1997年5月7日、対福岡ダイエーホークス3回戦(福岡ドーム)、8回表に倉野信次から右翼へ適時二塁打
- 初本塁打:1997年6月25日、対福岡ダイエーホークス12回戦(宮城球場)、8回裏に河田雄祐の代打として出場、吉武真太郎からソロ
背番号
- 30 (1996年 - 1999年)
- 6 (2000年 - 2002年)
- 53 (2003年 - 2005年)
- 87 (2007年)