パナソニック野球部
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テンプレート:社会人野球チーム パナソニック野球部(ぱなそにっくやきゅうぶ)は、大阪府門真市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである(練習グラウンド・合宿所は大阪府枚方市に所在するパナソニックベースボールスタジアムである)。旧チーム名は、松下電器野球部(まつしたでんきやきゅうぶ)。
概要
1950年創部。激戦区・大阪地区で強豪と数々の名勝負を繰り広げ、今も近畿地区の社会人野球をリードする存在。数多くの日本代表選手やプロ野球選手を輩出してきた関西の名門であり、都市対抗野球大会は出場45回、日本選手権は出場32回(出場を逃したのは5回のみ)を誇る。ただ、頂点を極めたことは少なく、都市対抗ではまだ準優勝が1回のみ、日本選手権でも34回の出場で2回の優勝のみである。
2005年、都市対抗大会阪和地区2次予選でクラブチームのNOMO Baseball Clubに敗れて同大会本大会の連続出場が6年で止まるという屈辱を味わった。雪辱を期すべく猛練習を重ね、秋の日本選手権では決勝戦で同じ関西勢のNTT西日本を延長の末破り、2回目の美酒に酔った。
2008年10月1日、松下電器産業がパナソニックに社名変更されたのに伴い、野球部の名称もパナソニック野球部に変更された。関西地区有数の実力を持つ社会人野球チームであるが、2010年は都市対抗近畿地区最終予選で大和高田クラブに敗れ本大会出場を逃し、2011年も近畿地区予選最後の枠を確保しギリギリで本大会出場するなど精彩を欠いていたが、予選が近畿地区に統合された2012年は第1代表の座を確保し、2013年も第3代表の座を、2014年も第4代表の座を確保するなど、再び力を取り戻した。
設立・沿革
- 1950年 - 創部
- 1953年 - 都市対抗野球大会初出場(初戦敗退)
- 1974年 - 日本選手権初出場(第1回大会;初戦敗退)
- 2000年 - 日本選手権初優勝
- 2005年 - 日本選手権2回目の優勝
- 2008年 - チーム名を「松下電器野球部」から「パナソニック野球部」に改称
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球大会:出場49回、準優勝1回(1960年)
- 社会人野球日本選手権大会:出場34回、優勝2回(2000,05年)
- JABA静岡大会:優勝1回(1967年)
- JABA長野県知事旗争奪野球大会:優勝2回(2009,14年)
- JABA京都大会:優勝5回(1978,83,84,97,2009年)
- JABA岡山大会:優勝2回(1965,2001年)
- JABA四国大会:優勝3回(1997,2001,09年)
- JABA九州大会:優勝2回(1973,2012年)
- JABA日立市長杯争奪大会:優勝1回(1994年)
主な在籍選手
主な出身プロ野球選手
- 加藤英司内野手(テンプレート:NPBドラフト 阪急ドラフト2位→広島→近鉄→巨人→南海)
- 福本豊外野手(1968年 阪急ドラフト7位)
- 山口高志投手(テンプレート:NPBドラフト 阪急ドラフト1位)
- 福間納投手(テンプレート:NPBドラフト ロッテ1位→阪神)
- 山田勉外野手(テンプレート:NPBドラフト 南海ドラフト4位→広島)
- 岡本光投手(テンプレート:NPBドラフト 巨人ドラフト2位→西武)
- 潮崎哲也投手(テンプレート:NPBドラフト 西武ドラフト1位)
- 小池秀郎投手(テンプレート:NPBドラフト 近鉄ドラフト1位→中日→近鉄→楽天)
- 古池拓一投手(1992年 中日ドラフト6位→近鉄)
- 原井和也内野手(テンプレート:NPBドラフト 西武ドラフト5位→ロッテ)
- 建山義紀投手(テンプレート:NPBドラフト 日本ハムドラフト2位)
- 愛敬尚史投手(テンプレート:NPBドラフト 近鉄ドラフト2位→楽天)
- 大久保勝信投手(2000年 オリックスドラフト2位)
- 岡崎太一捕手(テンプレート:NPBドラフト 阪神自由獲得枠)
- 久保康友投手(2004年 ロッテ自由獲得枠→阪神)
- 新田玄気捕手(テンプレート:NPBドラフト ヤクルトドラフト5位)
- 楠城祐介外野手(2008年 楽天ドラフト5位)
元プロ野球選手の競技者登録
- 丸尾英司コーチ(元オリックス、近鉄)
- 栗山聡投手(元オリックス、中日:退部)
- 梶原康司内野手(元阪神)
- 相木崇投手(元オリックス、阪神:退部)
- 田中充外野手(元横浜:退部)
- 森田丈武内野手(元楽天:退部)
- 橋本良平内野手(元阪神)