JABA京都大会
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JABA京都大会(ジャバ・きょうとたいかい)は、日本野球連盟近畿地区連盟が主催する社会人野球の大会である。
毎年ゴールデンウィークに、京都府京都市の京都市西京極総合運動公園野球場で行われる。シーズン序盤に全国で行われる地区連盟主催大会の一つであり、近畿を中心とした16チーム(2013年実績)が優勝を争う。なお、2007年の第59回大会から、西京極球場に加え、大津市の皇子山球場も会場として使用されている。従来は1敗敗退のトーナメントで行われていたが、2010年から日本選手権対象大会の形式統一により予選リーグと決勝トーナメントの併用となった。
第14回大会(1960年)が開催直前に中止となり、翌年は大会が開催されなかった。その後1962年の第15回大会から大阪・日本生命球場を中心に「大阪大会」として開催され、第50回(1998年)まで続いたが(1997年に日生球場が閉鎖されたので、1998年は大阪・此花の舞洲ベースボールスタジアム等で開催)、第51回(1999年)から再び京都開催に戻り、大会名も「京都大会」となった。2007年から日本選手権選考大会の一つとなり、優勝チームは同大会出場が決まる。
歴代優勝チーム
第1期京都大会時代
- 第1回(1947年) 大日本土木
- 第2回(1948年) 鐘紡淀川
- 第3回(1949年) 大洋漁業
- 第4回(1950年) 日本生命
- 第5回(1951年) 全鐘紡
- 第6回(1952年) 日鉄二瀬
- 第7回(1953年) 川崎重工業
- 第8回(1954年) 全鐘紡
- 第9回(1955年) 全鐘紡
- 第10回(1956年) 全鐘紡
- 第11回(1957年) 鐘化カネカロン
- 第12回(1958年) 全鐘紡
- 第13回(1959年) 東洋レーヨン
- 第14回(1960年) 中止
- (1961年は休止)
大阪大会時代
- 第15回(1962年) 日本生命
- 第16回(1963年) 全鐘紡
- 第17回(1964年) 日本石油
- 第18回(1965年) 全鐘紡
- 第19回(1966年) 日本石油
- 第20回(1967年) 日立製作所
- 第21回(1968年) 日本石油
- 第22回(1969年) サッポロビール
- 第23回(1970年) 大昭和製紙
- 第24回(1971年) 大昭和製紙
- 第25回(1972年) 熊谷組
- 第26回(1973年) エアロマスター
- 第27回(1974年) 新日鉄広畑
- 第28回(1975年) 日本鋼管
- 第29回(1976年) 東京ガス
- 第30回(1977年) 日本楽器
- 第31回(1978年) 松下電器
- 第32回(1979年) 河合楽器
- (1980年は休止)
- 第33回(1981年) 電電四国
- 第34回(1982年) 松下電器
- 第35回(1983年) 住友金属
- 第36回(1984年) 松下電器
- 第37回(1985年) 本田技研
- 第38回(1986年) 富士重工業
- 第39回(1987年) プリンスホテル
- 第40回(1988年) 熊谷組
- 第41回(1989年) 東芝
- 第42回(1990年) 熊谷組
- 第43回(1991年) 日本生命
- 第44回(1992年) 日本生命
- 第45回(1993年) 日本生命
- 第46回(1994年) 富士重工業
- 第47回(1995年) プリンスホテル
- 第48回(1996年) 日本生命
- 第49回(1997年) 松下電器
- 第50回(1998年) 新日鉄君津
第2期京都大会時代
- 第51回(1999年) シダックス
- 第52回(2000年) 三菱自動車水島
- 第53回(2001年) NTT西日本
- 第54回(2002年) NTT西日本
- 第55回(2003年) 日本生命
- 第56回(2004年) 三菱ふそう川崎
- 第57回(2005年) 大阪ガス
- 第58回(2006年) 日本生命
- 第59回(2007年) JR東日本
- 第60回(2008年) Honda鈴鹿
- 第61回(2009年) パナソニック
- 第62回(2010年) ヤマハ
- 2011年 中止[1]
- 第63回(2012年) NTT西日本
- 第64回(2013年) 日本生命
注釈
- ↑ 東北地方太平洋沖地震により大会中止。同一チーム・同一日程により「チャリティ京都交流大会」が開催され、三菱自動車岡崎が優勝。