シドニーオリンピック野球日本代表
テンプレート:告知 シドニーオリンピック野球日本代表(シドニーオリンピックやきゅうにっぽんだいひょう)は、テンプレート:Byにシドニーで開催されたシドニーオリンピックの野球競技に出場する野球日本代表選手を編成したチームのことである。
目次
概要
国際オリンピック委員会(IOC)の方針でプロ野球選手の出場が解禁となったことから、プロ野球選手をどの程度選出するか議論が起こり、パシフィック・リーグは1球団1人を選出することで合意が得られたが、当時読売ジャイアンツのオーナーだった渡邉恒雄が、「オリンピックに選手を出すような球団は優勝を放棄するのか。そんな球団は出て行け」と脅しとも受け取られかねない発言をしたこともありセントラル・リーグからは6球団で2人しか選出されず、不透明な選出との非難を浴びた。大会後にはセントラル・リーグや読売新聞社に抗議の電話やメールが殺到。これを受け2004年のアテネオリンピックは全面協力することとなった。
オリンピックに対する選手の受け止めも様々で、出場に前向きな選手がいた反面、イチローは、「興味がない」と発言していた[1]。
また、予選では選出されていた古田敦也の扱いをめぐって、日本野球機構側と日本野球連盟側との間に軋轢が生じるなどの混乱が生じた。さらにオールアマ時代には当たり前であった代表合宿は行われず、大会中もアマ選手は選手村、プロ選手はホテル暮らしの区別があり、練習と試合のときしか顔を合わせない状況が生まれ、結果としてチームの一体感が生まれなかった。
選手24人のうち大学生は5人、社会人は11人、プロは8人の構成である。
出場国はキューバ、アメリカ合衆国、韓国、日本、オランダ、イタリア、オーストラリア、南アフリカ共和国の8か国。日本は初戦の対アメリカ合衆国戦でサヨナラ負けするなど予選リーグで苦戦、キューバと韓国に敗れ、予選を4勝3敗の4位で通過。準決勝ではキューバの前に完封負けを喫し、ロサンゼルスから続いた連続メダル獲得を賭けた3位決定戦では、韓国のエース具臺晟と松坂大輔の投げ合いで0-0の均衡が続いていたが、終盤に松坂が韓国の主砲イ・スンヨプに決勝タイムリーを打たれて1-3で敗れた。結果として、初めてメダルを逃す大会となった。
代表メンバー
所属は選出当時。
シドニーオリンピックの戦績
リーグ | 対戦相手 | 結果 | 備考 |
---|---|---|---|
予選リーグ | テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 | 2-4x | 延長13回 |
テンプレート:Flagicon オランダ | 10-2 | ||
テンプレート:Flagicon オーストラリア | 7-3 | ||
テンプレート:Flagicon イタリア | 6-1 | ||
テンプレート:Flagicon 南アフリカ共和国 | 8-0 | ||
テンプレート:Flagicon 韓国 | 6-7 | ||
テンプレート:Flagicon キューバ | 2-6 | 4位通過 | |
準決勝 | テンプレート:Flagicon キューバ | 0-3 | |
3位決定戦 | テンプレート:Flagicon 韓国 | 1-3 | 4位決定 |
シドニーオリンピックアジア地区予選兼第20回アジア野球選手権の戦績
※会場は蚕室総合運動場野球場。1999年9月11日から16日にかけて開催。
リーグ | 対戦相手 | 結果 | 備考 |
---|---|---|---|
予選リーグ | テンプレート:Flagicon フィリピン | 10-0 | |
テンプレート:Flagicon チャイニーズタイペイ | 9-1 | 1位通過 | |
決勝リーグ | テンプレート:Flagicon チャイニーズタイペイ | 2-1 | |
テンプレート:Flagicon 中国 | 3-0 | ||
テンプレート:Flagicon 韓国 | 3-5 | 準優勝、シドニー五輪出場権獲得 |
予選時に選出されていたプロ野球選手
シドニー五輪アジア地区予選を兼ねた第20回アジア野球選手権大会に、史上初めてプロ野球選手が日本代表に選出された。このうち松坂と松中は本大会でも代表に選出されている。
- 松坂大輔投手(西武ライオンズ)
- 小池秀郎投手(大阪近鉄バファローズ)
- 川越英隆投手(オリックス・ブルーウェーブ)
- 古田敦也捕手(ヤクルトスワローズ)
- 野村謙二郎内野手(広島東洋カープ)
- 松中信彦内野手(福岡ダイエーホークス)
- 初芝清内野手(千葉ロッテマリーンズ)
- 井出竜也外野手(日本ハムファイターズ)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:オリンピック野球日本代表- ↑ それまでオリンピックの野球競技はアマチュア野球選手の目標とされており、プロの参加によりアマチュアの参加機会が狭められるとの見解から。プロ同士の国別対抗戦であるワールド・ベースボール・クラシックには積極的に参加している。また、結果としてその後2回のオリンピックを経験した宮本慎也も大学・社会人経験者であり、大会後に「出場できなかったアマ選手に申し訳ない」との発言をしている。