田村元
テンプレート:政治家田村 元(たむら はじめ、1924年5月9日 - )は、日本の政治家。衆議院議員、第66代衆議院議長、労働大臣、運輸大臣、通商産業大臣、自由民主党国会対策委員長を歴任。
来歴・人物
三重県松阪市に生まれる。父親の稔は、弁護士出身で三重県議会議員を経て、1942年の翼賛選挙で衆議院議員に当選した(田村稔は戦後に松阪市長となる梅川文男が治安維持法違反で逮捕された際の弁護や救援活動を行なっている。これは梅川が元の家庭教師をしていたという親しい関係であったことが理由であると思われる)。
旧制三重県立宇治山田中学校を経て、1950年(昭和25年)に慶應義塾大学法学部卒業後、三重交通勤務と中学校の代用教員を経て、参議院議員の前田壌の秘書となる。[1]1953年、衆議院三重2区(当時)から立候補するが落選。しかし、この選挙で田村が予想以上の票を集めたため、田村と票を分ける形で「憲政の神様」と呼ばれ絶対的な強さを誇っていた尾崎行雄が落選し、政界引退へと追い込まれた。1955年(昭和30年)の衆議院議員総選挙に再度立候補し、当時、最年少の30歳で当選した(当選同期に愛知揆一・椎名悦三郎・唐沢俊樹・高村坂彦・渡海元三郎・丹羽兵助など)。
当初は大野伴睦派に所属し、自由党と日本民主党の保守合同による自由民主党の結党に水面下で活躍し、自由民主党青年部長に就任する。1960年(昭和35年)に建設政務次官、1962年(昭和37年)に労働政務次官を務める。伊勢湾台風で大打撃を受けた愛知県と三重県の復興が遅れることを危惧し、自ら希望して建設政務次官となり、三重一帯に当時としては画期的な堤防の建築や河川の改修を行った。
1964年(昭和39年)6月に大野伴睦が死去。その後派閥は村上勇派と船田中派に分裂し、田村は村上派に所属する。1972年(昭和47年)の佐藤栄作引退を受けての自由民主党総裁選挙では村上派を引き継いだ水田三喜男派をまとめ、田中角栄を支持し、第1次田中角栄内閣で労働大臣として初入閣した。労相在任中に田中首相と労働界首脳の間の接着剤として会議を設けたり、週休二日制や定年の延長などの問題に取り組んだ。福田赳夫内閣では運輸大臣を務め成田空港開港に尽力する。
水田派から江崎真澄らと田中派入りするが、直後に田中が逮捕された時は、思わず「しまった!」との声を上げたと言われる。当初、二階堂進の側近を任じるも、次第に距離を置くようになり、派内で「田村グループ」を形成する。鈴木善幸首相が自民党総裁選挙出馬断念を表明し、後継総裁をめぐり、鈴木首相、執行部代表の二階堂幹事長、最高顧問代表の福田赳夫元首相の三者会談が紛糾した際、国会対策委員長で何の権限もない田村が突如三者会談に乱入し、総理総裁分離論を主張した。
田中は自分の派閥から竹下が独立したのを気に入らず、自分の派閥を田村に継がせて対抗させようと田村に打診したが、田中は返事をもらう前に脳梗塞で倒れたためこの話は立ち消えた。田中が脳梗塞で倒れたあと、竹下に協力を乞われて奥田敬和と共に中間派をまとめ竹下派に合流した。第3次中曽根内閣で通商産業大臣に就任。続く竹下内閣でも留任した。竹下内閣辞任の後、総理の要請を受けるが断り、1989年(平成元年)6月2日、予算案強行採決を巡る国会混乱の引責で原健三郎衆議院議長、多賀谷真稔副議長が辞任したことで、後任の衆議院議長に選出される。消費税導入に伴う衆議院の解散による第39回衆議院議員総選挙後、議長職は桜内義雄に回り、自民党最高顧問となる。1994年(平成6年)、死刑廃止を推進する議員連盟の初代会長に就任する。1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙には「自分は旧三重2区の人々に支持されてきたのであり、次の選挙で(今までの支持者を半分に)分けることは出来ない」と小選挙区制になることを嫌って出馬せず、政界を引退。甥の田村憲久が地盤を継承した。連続当選14回(中選挙区制でのトップ当選連続13回は三木武夫と並び最高記録)。2004年(平成16年)に松阪市の名誉市民に選ばれる。
エピソード
- 自由党と日本民主党が合併の打ち合わせを大野伴睦の命令で三木武吉などと交渉。自民党になる秘密会合を開く際は両党の党首が同じ料亭で会っているのがマスコミにバレないように前後に建つ別々の料亭に入ってもらい、両境の塀を「あとできちんと弁償するから」と自らノコギリで壊し、表で待つ新聞記者に分からないように秘密の通路を作った[2]。
- 政治家を引退する時、中曽根康弘に「いつまでも年寄りがのさばっているのは良くない。俺と一緒に引退して、ここらで若い者に道を譲ろう」と呼びかけたら「嫌だ。俺は辞めん」と言われた。
- 三重県鳥羽市神島では田村への感謝から島民がお金を出し合って田村の銅像を島に建てた。
- 文化人として教養も豊かで、引退後は趣味として俳句を嗜むようになったがホトトギス (雑誌)などに掲載されるほどの腕前である。
選挙歴
当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
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落 | 第26回衆議院議員総選挙 | 1953年4月19日 | 三重県第2区 | 無所属 | 22,630 | 8.6 | 7/9 | - | - | |
当 | 第27回衆議院議員総選挙 | 1955年2月27日 | 三重県第2区 | 自由党 | 36,818 | 13.3 | 3/10 | - | - | |
当 | 第28回衆議院議員総選挙 | 1958年5月22日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 65,758 | 22.6 | 1/10 | - | - | |
当 | 第29回衆議院議員総選挙 | 1960年11月20日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 87,461 | 32.1 | 1/7 | - | - | |
当 | 第30回衆議院議員総選挙 | 1963年11月21日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 75,340 | 25.6 | 1/9 | - | - | |
当 | 第31回衆議院議員総選挙 | 1967年1月29日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 75,308 | 24.5 | 1/9 | - | - | |
当 | 第32回衆議院議員総選挙 | 1969年12月27日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 83,953 | 26.6 | 1/6 | - | - | |
当 | 第33回衆議院議員総選挙 | 1972年12月10日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 112,343 | 37.6 | 1/5 | - | - | |
当 | 第34回衆議院議員総選挙 | 1976年12月5日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 91,022 | 30.0 | 1/5 | - | - | |
当 | 第35回衆議院議員総選挙 | 1979年10月7日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 105,850 | 34.7 | 1/5 | - | - | |
当 | 第36回衆議院議員総選挙 | 1980年6月22日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 102,876 | 32.2 | 1/5 | - | - | |
当 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 79,584 | 25.2 | 1/7 | - | - | |
当 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年7月6日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 104,966 | 32.6 | 1/5 | - | - | |
当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年2月18日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 81,446 | 23.8 | 1/6 | - | - | |
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年7月18日 | 三重県第2区 | 自由民主党 | 91,200 | 27.7 | 1/5 | - | - | |
当選回数14回 (衆議院議員14) |
栄典
- 1989年5月8日:イタリア共和国功労勲章カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ
- 1994年11月3日:勲一等旭日桐花大綬章
著書
- 『政治家の正体』 講談社、1994年6月
関連人物
脚注
テンプレート:S-par
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
原健三郎
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院議長
第66代:1989年 - 1990年
|style="width:30%"|次代:
櫻内義雄
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
竹下登
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院予算委員長
1979年 - 1980年
|style="width:30%"|次代:
小山長規
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
内田常雄
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院大蔵委員長
1968年
|style="width:30%"|次代:
田中正巳
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
森山欽司
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院建設委員長
1966年
|style="width:30%"|次代:
森下國雄
テンプレート:S-ppo
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
田沢吉郎
|style="width:40%; text-align:center"|自由民主党国会対策委員長
第26代:1981年 - 1982年
|style="width:30%"|次代:
小此木彦三郎
テンプレート:S-off
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
渡辺美智雄
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 通商産業大臣
第48・49代:1986年 - 1988年
|style="width:30%"|次代:
三塚博
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
石田博英
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 運輸大臣
第48代:1976年 - 1977年
|style="width:30%"|次代:
福永健司
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
塚原俊郎
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 労働大臣
第33代:1972年
|style="width:30%"|次代:
加藤常太郎
テンプレート:S-other
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
斎藤昇
|style="width:40%; text-align:center"|三重県遺族会会長
第6代:1972年 - 2000年
|style="width:30%"|次代:
谷嘉昭
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