小比類巻貴之
小比類巻 貴之(こひるいまき たかゆき、男性、1977年11月7日 - )は、日本のキックボクサー、総合格闘家。本名:同じ、旧リングネーム:小比類巻 太信。究極に自分を追い込む稽古を敢行することから「ミスターストイック」と呼ばれる。チームドラゴン結成メンバーとして活躍。K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントで史上最多の3度の優勝。現在は小比類巻道場を主宰しキックボクシングと空手道の指導。園田顕悟・水町浩・野杁正明や堀啓選手を指導しプロ試合の勝利に貢献。
目次
人物
愛称は「コヒ」で、キャッチコピー(K-1 WORLD MAX出場をきっかけにTBSがつけた)は「ミスターストイック」。青森県三沢市出身、光星学院高等学校卒業。極真空手出身。ボクシング技術は、辰吉丈一郎を育てた島田信行トレーナーに5年間師事。
エピソード
2002-2003年に黒崎道場に所属していた時に、精神修行の一環として黒崎健時会長が行ったとされる「線香を腕に押し当てる」荒行をした。腕に見られる火傷はその時の傷跡。その他の荒行:2年間毎日、朝にサイドステップ1時間と腕立1000回、午後に高架橋の壁を2時間、夜にサンドバッグを2時間蹴り続けた。80kgのリュックを背負い3時間歩き、同様に120kgのリュックを背負い30分歩いた。
来歴
1997年1月31日、全日本キックボクシング連盟興行でアクティブJからプロデビュー。箱崎雄三にKO勝ち。
1997年5月30日、魔裟斗(当時:小林雅人)相手に、膝蹴りでKO勝ち。
1997年10月26日、全日本ウェルター王者鈴木達也と対戦し、TKO勝ち。プロデビュー5戦目にして王者に勝利した。5戦5勝(5KO)の超新星として注目された。
所属していたアクティブJが全日本キックボクシング連盟を離脱し、新団体J-NETWORKを旗揚げした。1997年12月21日、J-NETWORK旗揚げ戦でニュージャパンキックボクシング連盟ミドル級王者新田明臣にローキックでKO負け、6戦目にして初黒星となった。
1998年11月14日、シュートボクシング『GROUND ZERO TOKYO』でシュートボクシング王者土井広之と対戦し、TKO勝ち。
1999年3月17日、全日本キックボクシング連盟興行でチャナペック・ガッティンディと対戦し、KO負け。この試合で肋骨を骨折し、出場予定であった4月24日のマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟興行を欠場した[1]。
1999年8月24日、J-NETWORKを退団して、フリーに転向。前田憲作らとチームドラゴンを結成。チームアンディと合同練習も開始。
1999年10月3日、K-1初参戦となったK-1 GRAND PRIX '99 開幕戦で朴英樹と対戦し、ドロー。
2000年1月25日、「地獄の風車」の異名で恐れられたラモン・デッカーに日本人で初の勝利をTKOで飾る。
2000年6月3日、アンディ・フグが地元スイスで開いた大会K-1 FIGHT NIGHT 2000で、WKAムエタイ世界ミドル級タイトルマッチでマリノ・デフローリンと対戦し、判定負けを喫する
2000年11月1日、K-1 WORLD MAX開幕戦となるK-1 J・MAXのメインイベントでニール・ウッズ(イギリスWAKO欧州ムエタイウェルター級王者)との王座決定戦で3RKO勝ち。ISKAオリエンタル世界スーパーウェルター級王座を獲得した。
2002年2月11日、K-1 WORLD MAX 2002 〜日本代表決定トーナメント〜に出場。1回戦で須藤元気、準決勝で大野崇を破り決勝戦に進出。決勝の対戦相手はかつて自身がKOした経験を持ち、その後人気・実力共に破竹の勢いに乗っていた魔裟斗であったが、判定負けを喫した。試合後のリングで石井和義館長にコメントを求められ、「俺は・・・もう1回やって・・・絶対ぶっ殺します」と発言した[2]。
2002年5月11日、K-1 WORLD MAX 主催者推薦で世界一決定トーナメントに出場。1回戦でマリノ・デフローリンにKO勝ちするも、準決勝でガオラン・カウイチットにKO負け。以後1年以上勝ち星から遠ざかる。
2002年初めから2003年初めまで黒崎健時に師事し、黒崎道場に所属した。この道場はトレーナーが存在せず、寮に住み込んで、練習や自分の身の回りのことなど、あらゆることを自分一人で行なうというスタイルの道場であった。小比類巻はこの道場で、孤独感と闘いながらひたすら1人で練習していた。また、120kgのパチンコ玉が入ったリュックを背負って歩く、線香の束を自分の腕に押し付ける、高架下の壁をひたすら前蹴りする、などの荒行も行なった。最終的には、チームドラゴンへ復帰。
2004年2月24日、K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜で優勝。同〜世界一決定トーナメント〜に進出し、準々決勝でマイク・ザンビディスに判定勝ち、準決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに敗退。
2005年2月23日、K-1 WORLD MAZ 2005〜日本トーナメントで連続優勝を果たした。決勝戦1R開始1分で新田明臣に前蹴りでKO勝利。
2005年7月20日、K-1 WORLD MAX 2005〜世界一決定トーナメントでは、「恥骨結合かい離」を発症していたにもかかわらず、1回戦でダリウス・スクリアウディスにKO勝利。準々決勝でアンディ・サワーに判定負け。サワー戦後に治療に専念するためしばらく戦列を離れた。
2006年4月5日、K-1 WORLD MAX 2006〜世界一決定トーナメント開幕戦〜でイム・チビンにKO勝利。
2006年6月30日、K-1 WORLD MAX 2006〜世界一決定トーナメント準々決勝では魔裟斗と3度目の対戦。ダウンを奪われ判定負けを喫した。
2007年2月5日、K-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜の1回戦で、アンディ・オロゴンと対戦し、延長Rにダウンを奪われ判定負け。試合後、2006年末に左足首を骨折していたことを告白した。
2007年10月3日、K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜のリザーブマッチでヴァージル・カラコダと対戦するも、右フックでKO負け[3]。また、この大会からチームドラゴンからBRAVI RAGAZZI所属となった[4]。
2008年2月2日、K-1 WORLD MAX 2008で佐藤嘉洋と開幕戦出場を賭けて対戦予定であったが、自身の両膝靭帯損傷のため欠場となった。
2008年8月28日、小比類巻貴之から小比類巻太信(たいしん)に改名したことが発表された[5]。「自分のなかの太い柱、軸となるもの」「何者にも立ち向かう“信念”」といった意味合いが込められている[6]。
2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALで1年ぶりの復帰戦を行った。ユーリ・メスと対戦し、1Rに左フックでダウンを奪われると、3R終了間際に左フックでダウンを奪われKO負け。
2008年11月23日、千葉県市川市南行徳に自身の道場「小比類巻道場」をオープンさせた[7](なお2010年に「MONSTER GYM」と改名し、小比類巻との関係を解消している[8])。
2008年12月5日、古巣・全日本キックボクシング連盟に約10年ぶりに参戦し、ASH-RAと対戦。2R、3Rにローキックでダウンを奪うなどして、判定勝ちを収めた。
2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜の1回戦で、アンディ・オロゴンと対戦。クリンチによる減点を取られるも、2-0の判定勝ち。準決勝は城戸康裕と対戦し、パンチで2RKO勝ち。決勝は山本優弥と対戦。1Rに膝蹴りからの連打でダウンを奪うと、2Rにも積極的な攻めを見せる。しかし3R、ふらつきながらも前進する山本に押され、右ストレートでダウンを奪われる。3-0の判定勝ち。
2009年4月21日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL16の1回戦でイム・チビンと対戦予定であったが、右足首靭帯損傷によりドクターストップとなり欠場となった[9]。
2009年9月28日、Survivor Round.1で才賀紀左衛門と2Rのエキシビションマッチを行ない、2Rに右ストレートでダウンを奪った。これは才賀にとっての生涯初のダウンだった。
2009年10月、三沢市に小比類巻道場三沢支部を開設[10]。
2009年12月4日西島洋介と練習中にHOPEの作詞作曲者である「前野さん」が一部作詞の依頼をする。
2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALのスーパーファイトでドラゴと対戦し、1Rに1回、2Rに2回ダウンを奪われ判定負け。
2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜で西島洋介の入場曲「HOPE」のボーカルを担当[11]。作詞作曲者は「前野さん」[12]。
2010年3月23日、股関節の負傷のため同月27日の大会欠場と引退が同時に発表された[13]。
2010年3月末より堀啓を小比類巻道場でコーチし、4月29日に堀にとってKrush初参戦となったKrush.6で長谷川康也とのKO勝ちに貢献、8月14日のKrush.9で福田雄平とのTKO勝ちに貢献し指導者としても力を発揮する。
2010年9月23日、谷山ジム主催「ビッグバン・統一への道 其の参」に来場、休憩中にリング上に上がり「(2011年2月25日開催の)次回大会に出たいと思います」と現役復帰をアピールした。この発言を受け、メインイベントに勝利した城戸康裕が対戦相手に名乗りを挙げた[14]。
2011年1月、行徳の旧道場との関係解消に伴い、東京・恵比寿に新たな「小比類巻道場」をオープン[15]。
2011年3月11日に発生した東日本大震災により出身地の東北が大きな被害を受けたことをテレビで知り、以降は被災地への復興活動や協力活動を積極的に行なう。K-1でのライバルだった魔裟斗が六本木で行った募金活動にも参加。バンドGLAYのTERUらと共にたびたび被災地を訪れる。米軍の行った捜索救出活動トモダチ作戦に感銘を受け、トモダチ作戦に深くかかわった米軍三沢飛行場にて米国人を対象にキックセミナーを行なう。その様子がAFNにて放送された[16]。
2011年7月1日、地元三沢市の空手家らと共に小比類巻道場に空手部門を設立[17]。
2011年7月22日、三沢市のアメリカ村にて西島洋介とチャリティーと三沢市活性化のためエキシビションマッチを行なう。
2011年10-11月、トモダチ作戦へ感謝して米軍の体力訓練で空手指導をし米軍人から好評を得る。AFNで活動が紹介される。
2012年3月9日、「RINGS〜reincarnation 再臨〜」にて、総合格闘技デビュー[18]。ベン・アボットと77kg以下契約で対戦し、スリーパーホールドで一本負けを喫した。
2012年6月12日、「リングネームを小比類巻貴之に戻す」と自身のブログにて発表する[19]。
2014年3月、恵比寿の小比類巻道場を「K-1 GYM EBISU 小比類巻道場」としてリニューアルオープンした(正式オープンは4月1日)[20]。なお同ジムのオープニングレセプションでは「引退試合をやっていないので、最後に1試合やりたい」と語り、事実上自らが引退状態にあることを認めた上で、引退試合の対戦相手に魔裟斗を指名した[21]。
戦績
総合格闘技
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キックボクシング
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獲得タイトル
- ISKAオリエンタル世界スーパーウェルター級王座
- K-1 WORLD MAX 2002 日本代表決定トーナメント 準優勝
- K-1 WORLD MAX 2004 日本代表決定トーナメント 優勝
- K-1 WORLD MAX 2005 日本代表決定トーナメント 優勝
- K-1 WORLD MAX 2009 日本代表決定トーナメント 優勝
出演作品
テレビ
CM
UNIQLOモデル “ミスター・ストイック”がUNICLO新商品の“顔”になる。K-1WORLD MAX 2005で悲願の世界王座獲りを目指す小比類巻貴之は、ユニクロの新商品 BODY TECH(ボディテック)の発表会に出席。同商品のCMに出演している小比類巻は、BODY TECHを身に付けデモンストレーションを行う。 エスカップCM 角田信明、ボブ・サップ、ピーター・アーツのK-1最強戦士と出演。
ゲームソフト
k-1WORLDMAX2005 K-1 MAX初のゲーム完成披露会見に魔裟斗、小比類巻、須藤元気、武田幸三、安廣一哉が一堂に集結。
脚注
関連項目
外部リンク
- TAISHIN KOHIRUIMAKI OFFICIAL WEB SITE
- 小比類巻太信オフィシャルブログ「サンドバッグと牛乳」
- テンプレート:Twitter
- K-1 選手データ
- SHERDOG 選手データ
- 株式会社BESIDE
- NEWS FOOTAGE